2011/07 ≪  2011/08 12345678910111213141516171819202122232425262728293031  ≫ 2011/09
広島から福島を見ると
2011/08/06(Sat)
8月6日(土)

 今年の8月6日は、0時を過ぎて少したって頃、ゆずが 「hey和」 を広島平和公園・元安川のふもとで熱唱する姿がテレビで全国に映し出されることから始まりました。
 ゆずは、3月11日の東日本大震災の直後から各地の被災地を回り、避難所で熱唱し続け、広島に辿り着きました。

 原爆は、一瞬にして大量の人々を殺戮しました。生き残った者にどのような後遺症を残すのかは誰もわかりませんでした。だから治療方法もわかりません。放射能は生き残った人々を今も苦しめています。
 被爆者にかならずその症状が表れるとは限りません。しかし原爆症の恐怖と隣り合わせ、恐怖におののきながら生きています。生まれたときから被爆者である胎内被爆者、二世・三世も増えています。人間が作った科学兵器の犠牲者である被爆者。それは宿命ではありません。

 原爆が投下された20日後から、逓信病院の要請に岡山医科大学は医療救援隊を交代で派遣しました。9月11日からの第三陣に学生だった杉原芳夫さんがいました。杉原さんが体験を語っていました。
 「広島市白島にある焼けただれた逓信病院の庭の堀立小屋が、岡山医科大学生救援隊の一員としてやってきた私の働き場所でした。そこでの仕事は広島医学専門学校の玉川忠太郎教授がやっていた病理解剖を手伝うことでした。
 1945年9月20日、黒くすすけ、ガランとした逓信病院の病室で、折り重なるようにあふれていた被爆者の1人から8か月の早産児が誕生しました。だがそのような児が生き長らえる条件は全くありません。解剖は夜の9時過ぎに終りましたが、翌朝、39歳になる衰弱しきったその母親もまた、解剖へ運ばれてきました。戸口までついてきた夫は、目にいっぱい涙を溜めながら、小学校3年ぐらいの男の子に 「さあお母ちゃんにさよならをしなさい」 と言って子供に合掌させ、自らも深く頭を垂れて手を合わすのでした。
 そのとき私は、この姿を一生忘れてはならない、と自らの心に強く言い聞かせました。目に見えぬ敵への、素朴な憎しみを押さえきれなかったのです。
……
 台風で不通になった鉄道線路を、たくさんの復員兵と一緒に歩きながら、9月29日の午後、やっと岡山に帰ったのですが、その夜、ひどい全身倦怠に続いて41度の高熱と、経験したこともない激しい咽頭痛に襲われ、文字どおり展転反側して一夜を明かしました。その異常な苦しさに、私はピカドンにやられたと直感しました。」
杉原さんは、医者になると広島に住み原爆被害者の治療を続けました。

 人を殺すための科学の開発は極秘に進められ、たくさんの被害者を出します。人を救い、生かすための医学の研究は追いかけても追い付けません。
 安全だったはずの原発事故への対応策は誰も持っていませんでした。危険と知らずに原発修理の作業に従事した労働者がいました。被害を小さくするため危険を承知しながら放水活動に従事した消防士たちがいました。周辺の住民は追い出され、不安と恐怖にさいなまれ続けています。
 被害者の叫びは届いていませんでした。
 広島、長崎で数えきれないほどの被爆者の治療にあたってきた医師たちは、その経験を3月11日からは福島で生かすことになりました。66年経ってもまだまだ解明されていない治療方法を、それでも専門医として予防と臨床に生かすことになりました。

 事故の危険と廃棄物の処理方法がない原子力に 「平和的利用」 などありません。使用そのものが 「暴力」 です。
 医学の発展は暴力をカバーするのが任務ではありません。
 過ちを繰り返させてはいけません。そのためには過去の経験を忘れてはいけません。

 原発を継続しようとする、人たちは 「経済成長」 を理由にします。しかし、前回の 「活動報告」 で書いたように、バブルの崩壊後は長期に景気は拡張していましたが労働者にとってそれに見合った人件費増・賃金上昇はありませんでした。その典型が格差の拡大と非正規雇用労働者の増大です。「経済成長」 は労働者には説得力を持ちません。一部のものがさらに富むために 「暴力」 が行使され、被害者を出すのを了承できません。
 過ちを繰り返させてはいけません。そのためには騙されてはいけません。
 「経済成長」 ではなく、「絆」 の太さ、強さ、大きさこそ大切にしなければなりません。
 ゆずの 「Hey和」 はその 「絆」 を希求しています。

   「Hey和」

  神は僕らの 心の中にある
  一つ一つの 命の中に
  耳をすませば 聴こえてくるだろう
  気付かずにいた 生命 (いのち) の声を

  見上げた夜空に 君を思うよ
  体中に感じる 温もり
  どこにいたって 一人じゃないんだ
  深い悲しみ 泪溢れても

  wow……
  祈るように 今日も唄うよ
  Hey和 この地球 (ほし) に生れ
  Hey和 僕らは出逢えた
  君のために 何ができるのだろう

  Hey和 絶えない微笑み
  Hey和 喜びの唄
  消せない明かり 灯し続けゆく
  君がいるから

  神は僕らを 試し問うのさ
  罪を過ちを 歴史は繰り返す
  癒えることなく 残る傷痕
  決して忘れずに 僕らは生きる

  人は何故にこんなにも 苦しみを抱き
  全てを奪う争いは 今もまだ止まらない
  子供たちの笑い声 未来を写す瞳
  重ねた手と手を かけがえのない日々
  愛しい……

  どこまで歩けば 辿り着けるだろう
  終わり 始まりを探し求めて
  そっと目を閉じ 問いかけてみるんだ
  雲の切れ間から 差し込む光

  Hey和 この地球 (ほし) に生れ
  Hey和 僕らは出逢えた
  君のために 何ができるのだろう

  Hey和 咲く花のように
  Hey和 大地は色付く
  捨てない希望 守り続けていく
  願いを込めて 今 想いは繋がる
  いつも 君がいるから

 
    当センター「いじめ・メンタルヘルス労働者支援センター」のホームページ・ご相談はこちらから
この記事のURL | ヒロシマ | ▲ top
| メイン |