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気になること
2011/08/30(Tue)
8月29日(月)

 重大な問題をはらむニュースがさらりと語られています。
 タレントの島田紳助が芸能界からの引退宣言をしました。理由は、数年前から暴力団と関係を持っていたことを、本人はこれくらいなら大丈夫と捉えていたが、やっぱりいけないことだと理解したからだといいます。
 いつから暴力団と関係を持つようになったのか。
 テレビ録画中の発言が右翼団体の反発を買い、攻撃を受けた事態を知人に相談したら、知人が暴力団員を介して中止させた時からと説明しています。
 しかし報道するマスコミは、「テレビ録画中の発言が右翼団体の反発を買い、攻撃を受けた」ことが、報道機関内で行われた言論の自由に対する攻撃であることを取り上げようとしません。録画が外に漏れたことを含めて問題としないのは危険で、自殺行為です。報道の自由とはこの程度のものなのでしょうか。もっとこだわる必要があります。
 そして攻撃を受けていたことを知っている出演したテレビ局も、所属するプロダクションも彼を守ろうとしなかったのです。タレントは個人で自分を守らなければならなくなったのです。有名人なら特に恐怖は大きかったと思います。
 言論の自由の結末は「自己責任」なのでしょうか。そのようなものを言論の自由とは言いません。

 そしていとも簡単に暴力団を存在悪と切り捨てます。
 暴力団員と判明し、なおかつ不法行為があった場合は住宅の明渡しをされたりします。
 はたして暴力団の壊滅は、社会的孤立化・包囲で可能なのでしょうか。なぜ存在するのかその基盤から問い直すことが必要なのではないでしょうか。雇用契約を解除されたが再就職が困難に陥ったり、競争社会で「負組」になって追い出されたりした者が辿り着いた「衣・食・住」が保障される社会です。「反社会的組織」に生存権を保障された人たちも多くいます。
 現在は、努力すれば何でも実現可能な社会などでは決してありません。努力する基盤の確保が個人ではどうしようもないところに立たされていたりします。
 「反社会的組織」は社会的に存在しているのです。そこから抜け出すことを呼びかけるなら、社会的生存権の保障を伴なって行われなければ成功しません。
 きれいごとを話されると、聞いている側はむなしくなります。
 「ムチ」の政策ではなく暴力団を「追放」した町があります。かつては「日本のシカゴ」と呼ばれた福島県郡山市です。「追放」の手段は文化活動でした。明るい文化的な町を作る地域活動が盛んになる中で特に力を入れたのが音楽活動です。いつの間にか暴力団は位置を失いました。
 福島県の学校は全国の合唱コンクールで上位を占める常連になっています。
 そして震災と原発被害のなかにあっても音楽は被災者の心の拠り所になっています。

 もうひとつ気になるニュースがありました。
 甲子園大会の準優勝校の生徒が禁煙していたことをツイッターで報告していたというニュースです。
 処分を受けることになりましたが、どうして数人の部員の行為が、部や学校への出場停止という処分になるのでしょうか。戦時中の軍隊の連帯責任を連想させます。
 不祥事が起きるたびに、監督不行届という責任追及は、出来ないことをしなかったことが悪いと言ってうやむやにする悪習の解決方法です。このやり方は、ビジネス商品としての校名を守りますが、当事者でない選手たちが犠牲になります。他者が行ったことで全体が影響を受けることはおかしいです。納得できるはずがなく、問題は解決しないままになります。
 社会は余りにも高校野球を神聖化し、学校はビジネス化しています。高校野球の球児だからといって、スポーツ選手だからといって、すべてに他者の模範にならなければならない理由はありません。選手1人ひとりに人格があります。選手たちをもう少しリラックスさせて、楽しんで野球をさせることが出来ないものでしょうか。自分たちの高校生活を自分たちで謳歌させてやってもいいのではないでしょうか。
 選手たちだって息抜きも必要です。しかし煙草を吸ってはいけません。

 ついでながら、夏の甲子園大会にはずっと不満があります。なぜ開会式が8月6日午前9時からなのか。以前はそうではありませんでした。10日過ぎではいけないのか。15日以降の方が涼しくなってコンディションが良くなるのではないでしょうか。
 あえて広島に原爆が落とされた日の、時刻が近い時間開始というのは、人びとが忘れてはいけない日を忘れさせようとしているとしか思われません。
 そしてなぜ1つの会場だけを使用して長期間選手を拘束して開催するのか。出場校の経済的負担は大変なものです。それでも私立高校はトータル的には採算がとれています。これでも健全といえるのでしょうか。

 同じ時、短い期間ですが、全国高等学校定時制通信制軟式野球大会が神宮球場を中心にして開催されています。今年は東北の被災地から代表2校が出場しています。
 かつては観客がゼロという試合も珍しくありませんでした。しかし出場校とは縁がなくても仕事の合間を縫って駆けつける自主応援団がいました。1塁側が攻撃の時は1塁側のベンチの上で、3塁側が攻撃の時は3塁側に移って声援します。面白かったのは、カセットデッキから早稲田大学野球部の応援歌「コンバットマーチ」を流しながら応援団員の素振りで応援しているファンもいました。
 九州地区は2県から1校の地区代表を選びます。かなり前、ある高校は県代表にはなったけど、勝っても遠征費がないという理由で地区大会を棄権しました。ある年は、決勝戦を残して雨天が続きました。選手たちは仕事を休めないと決勝戦を残して帰省しました。
 このことを聞き付けたコメディアンの萩本欽一たちが翌年から応援に駆け付け、その後少しずつファンが増えてきています。今はかなりのファンがいます。
 今年は決勝戦が雨天のため2日間延期になりました。しかしちゃんと行われました。
 この大会が面白いのは、選手は野球が好きで真から楽しんでいるからです。自分のために野球をしています。これこそが高校野球です。


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『メンタルヘルスの労働相談』を出版
2011/08/26(Fri)
8月26日(金)

 メンタルヘルス・ケア研究会は、『メンタルヘルスの労働相談』を7月末に出版し、すでに書店にも並んでいます。おそらくメンタルヘルス・ケアの問題について労働者・労働組合の側から出版された最初のものです。
 手にした方から感想も寄せられています。9月20日(火)6時半から、務所で出版パンパーティーを開催します。

 「あとがき」に出版に至る経過について触れていますが補足します。
 2003年頃から精神疾患に罹患している労働者の相談が急増しました。そのことに気付いた時、周囲の者たちと何らかの対策を取らなければならないという結論になり、手探りの中で始めたのがメンタルヘルス・ケア研究会です。そこでは、当該の心象、要望を聞いたり、医師の講演会の開催、関連する本・資料の検討などを続けてきました。その中ではっきりしてきたことは、これまで労働者の側に立ってこの問題を取り上げた組織はなかったということでした。
 しかしまさに問題は労働現場で、業務遂行上で発生しています。だとしたら医療機関などに解決をゆだねるのではなく、労働者の職場環境の問題、労働組合の取り組むべきかだいであるはずです。その立場で研究会を続けてきました。
 研究会の参加者は多くありません。しかし少数でも続けることが必要です。厚労省から通達等がでたり、法改正があります。社会的変動にも影響を受けます。それらに対応することが必要です。これまでに70数回開催してきました。

 精神疾患に罹患している労働者の労働相談は正直大変です。
 2人一組で相談を受けることを決めていても、いつの間にか隣の相談員がいなくなっていることがしょっちゅうありました。相談員は相談内容の得手不得手があります。不得手と思う人を強制できません。体調不良を招く危険性もあります。
 相談者の中には医者から「あなたの病気は医者だけでは治らないから、こだわっている労働問題については労働組合に相談した方がいいです」とアドバイスを受けて訪れる例もたくさんあります。そうするとユニオンと医師は相談者のために連携でき、いい解決に向かうことができます。
 心理カウンセラーやコンサルタントから対応方法を相談されたこともありました。
 正直、大手企業の人事課や総務部からもありました。講演依頼もありました。
 労も使も苦闘している課題です。

 一昨年のコミュニティ・ユニオン全国交流会の分科会資料として「いじめ相談マニュアル」を作成しました。コンパクトにするつもりがなかなかうまくいきませんでした。いっそのことちゃんとしたものを作成してみようと挑戦したら、A4版で100ページになってしまいました。『労働者のための メンタルヘルス・ケア相談マニュアル』のタイトルにして作成しました。
 それを昨年3月に、取材に来た新聞記者に渡したら紹介記事を載せてくれました。しかも最初は小さな記事の予定だったのが、デスクからもっと大きな記事にしろと指示されたということでかなりの大きなものになりました。記事は、内容紹介とともに「労働組合関係者だけでなく使用者にも読んでほしいと」書いてくれました。
 そうすると使用者からも入手希望の電話が相次ぎ、最終的に650部作成しました。記事を載せてくれた新聞社の人事部からも5部の要請がありました。行政の労働相談機関や図書館、社労士などからもありました。
 しかし労働組合からの要請はそう多くありませんでした。

 交流会などを開いても労働組合や相談員は、うまくいった相談事例の報告はしますがそうでなかったのは隠します。しかしうまくいくかどうかは、彼我の力関係、問題の困難さ、などで違います。使用者の中には体調不良に陥った労働者をなるべく早く社外に追い出そうといい退職条件を提示してくることがあります。しかしそれを受け入れることがいい解決と言えるかどうかは別です。
 逆に、問題を深刻にとらえ返して職場環境改善に向かおうとして検討している使用者に対しては拙速な解決は止めた方がいいと思うこともあります。
 しかしいずれにしても相談者である当該の意思は尊重されなければなりません。
 相談者は体調不良に陥ると、ややもすると使用者に“仇討ち”的な、無理な要求を出したりすることがあります。“仇討ち”は解決ではありません。
 相談者は、自分が思うような解決に向かわないとなると相談員に批判の矛先を向けてきたり、裁判をしたいという希望を出したりします。裁判は、当該相談者だけでなく使用者も望むことがあります。使用者にとってはそのほうが楽だからです。手続きを進めていけばいつかは終了します。
 しかし労働紛争を安易に訴訟に持ち込むことは、労働組合・労働者としては自分たちの力量不足を認め、労使関係づくりを放棄することにつながりかねません。ましてや労働者の体調不良問題を司法の判断にゆだねるということは労働組合としては逃げです。労働組合はもっと困難に対応し、苦闘して力量を付けるべきです。

 精神疾患に罹患している労働者を生み出す職場の環境改善は労使双方の責務と位置付けた取り組みが必要ではないでしょうか。労使関係を関係法律の解釈とするのは双方の感性が干からびているという証拠です。問題の解決に向けて一緒に考えていく必要があります。
 労働紛争の最終的解決とは、労働者が生活維持の基盤を固めて再スタートすることができるようになることです。そして安定した生活、人生を送ることです。
 そのために常に意識しておかなければならないのは、金銭的な問題もありますが、心身のこれ以上の悪化を防ぎ、より早期の健康回復をすることです。

 このようなことを考えながら、失敗した事例も公然とさせながら(もちろん個人情報は守りながら)、他の者の事案対応の経験を聞きながら、新たな案件は何とかうまく解決するように、うまく解決しなくても失敗を小さくするようにと知恵を絞りだしてきた経験を集積したのが今回の本です。


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お盆が過ぎて
2011/08/23(Tue)
8月23日(火)

 夏休みは、被災地を開通した電車と自転車と徒歩で回りました。

 政府は当初、お盆までには避難所に入った被災者全員を仮設住宅に入居させると言っていましたが間に合いませんでした。政府の怠慢ということだけでなく、用地が確保できませんでした。
 1つには、各地方自治体に用地確保に優先して専念できるような体制・人的余裕がありません。1人が何役もこなす中での用地確保業務です。繰り返しますが「小さな政府」の犠牲です。8月8日の『産経新聞』によると、被災地に派遣されたある自治体職員の男性は、多忙な業務に追われ、鬱病を発症した末に自殺しました。
 2つ目には、土地があっても長い間過疎化が進んでいて、親族でも疎遠になっているなかで土地所有者の確認と承諾は困難を極めます。なおかつ電気、上下水道を設置できる条件のところは限られます。
 3つ目は、民間の空地は、地元以外の建設業者等がすでに賃貸契約を結んで使用しています。
 何とか建設した仮設住宅の中には、田圃の中にあって買い物ができる最短の店が1キロ離れていたりしているところもあります。お年寄りが生活をしていくには不便としか言いようがありません。だから空室も目立ちます。
 しかし洗濯物が干してある光景が見えると、生活に少しは落ち着きができたかとほっとします。
 一方、被災者が避難所から仮設住宅に移ると、被災地域から本当に人影がなくなります。ここをどう復興させるのだろうかと考えると正直気が遠くなります。

 行政は、仮設住宅の建設をスピードが求められているという理由で、合理的に作業が行えるからと大手メーカーに委託しました。8月上旬までに地元業者が建設したのは岩手県が約1万4千戸のうち2500戸、福島県が約1万5千戸のうち5千戸、宮城県は2万3千戸のうちわずか300戸です。仮設住宅建設の権限は県です。ここに宮城県が描く復興の姿があります。復興は大手資本の在庫処理のためのものです。だからこれまでの被災体験者の意見などを無視して、窓が一か所にしかない、段差などがあってハンディーを負っている人たちにとっては不自由なものが、数合わせで建てられています。
 被災地は西側に大きな山を背負っています。木材に不自由はしません。岩手県は地元の杉で仮設住宅を建てました。地域産業振興だけでなく、夏の暑さ対策、冬の寒さ対策にも適しています。宮城県でも南三陸町の西側は全国的に有名な「津山杉」の産地です。しかし使用しません。この辺りは、「気仙大工」と呼ばれる腕のいい大工さんも大勢います。
 大手メーカーが在庫資材を吐き出し、実際に建設するのは大手が集めた下請、孫請です。その下請等の建設業者が民間の空地を賃貸契約しているのです。地元では、ある大手の住宅メーカーが建設した仮設は手抜きが多いと噂になっています。
 仮設住宅は1戸あたり、建設、備品搬入、取り壊しまで含めると500万円かかります。地元の業者は2年後に取り壊しても、それを一戸建て建設の時にリサイクルできるようにしよう、そのためには一過性の業者ではなく地元の業者でなければならないと訴えましたが受け入れられませんでした。
 地元業者は、割り当ても受けられず、大手メーカーの下請けに入り込むだけだったといいます。地元でできることも地元にさせないのが宮城県の復興策です。2年後は、現在頭を痛めている瓦礫処理に、取り壊した仮設住宅資材が追加されます。
 宮城県は仮設住宅建設から地元業者を排除したのです。この姿勢は漁協に特区を設けて民間企業を参入させようとする構想と同じです。
 そうすると次は。具体的な案は出されていませんが、津波が押し寄せた広大な農地を、農民がヘドロや塩分を排除したら大手資本による「農業株式会社」が襲ってくることが予想されます。ワタミは介護が必要なお年寄りへの食事の配達事業を東北に手を伸ばそうとしています。

 仮設住宅問題からは現在の政府の住宅政策も見えてきます。
 住宅建設のスピードは、阪神淡路大震災の時よりも原爆にあった広島、長崎の方が早かったです。現在と比べて資材の調達など困難さは比べものにならない状況でしたがそうでした。
 住宅を生活必需ととらえるか商品・ビジネスと捉えるかの違いです。住宅・建設業界にとって、被災者に「自己責任」で商品獲得に向かわせるには政府の過保護は迷惑なのです。

 かつて自民党政権時代に「小さな政府」を目指して行政改革が叫ばれて担当大臣に就任した石原伸晃は、記者からの具体的に何から始めるのかとの質問に「たとえば住宅金融公庫や雇用能力開発機構とか」と答えました。いずれも労働者の生活に影響を及ぼす部署。これらの部署の一部分が抱えていた問題点をクローズアップさせる裏で、労働者の住宅問題や職業訓練の問題が切り捨てられていきました。同時期に論議を開始されたのが、かつて炭鉱閉山で大量に失業者が出た時に住居の保証のために建てられた雇用促進住宅の廃止問題でした。住宅問題を厚生労働省管轄から完全に切り離し、経済問題と位置付けて国土交通省の管轄に一本化しようとしました。
 しかし雇用促進住宅は“派遣村”がその必要性をあらためて問題にしました。
 労働者の衣食住の確保は「自己責任」でなければならないのでしょうか。だとしたら政府はいりません。
 住宅金融公庫は労働者が住宅を入手しようとする時、便宜を図るものでした。廃止後は、労働者が住宅を入手するには建設・不動産業界と金融業界に相当の金額を支払うことを強制されます。

 お盆は、被災者にとって一つの区切りになりました。
 地元新聞には、犠牲者の葬儀の案内がたくさん載っていましたが、どれも通夜や火葬の日時がありません。そして複数合同の葬儀も結構あります。
 石巻市で津波の後に火災に遭った地域はお寺と墓地がたくさんあります。瓦礫は撤去されましたが墓石は倒れたままだったり、骨壺が野ざらしになったりしています。犠牲者の納骨をどうするかの前に現在の墓地をどうするかの問題があります。
 建立される墓石には、みな同じ命日が刻まれます。このような光景は広島、長崎で見ることができますが、一家で同じ命日が並んでいる墓石をみると本当に悲しくなります。

 少しでも早く、被災者が心身ともにゆったりできる空間を確保することができ、犠牲者を心から弔うことができるようになることを願わざるを得ませんでした。


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『きけ わだつみの声』 を繰り返さないために
2011/08/13(Sat)
8月13日 (土)

 大昔、『はるかなる山河に』 を読みました。戦争体験者がまだ周囲に沢山いた頃、戦争がもたらす悲惨さとともに、もったいない人材が犬死を強制されているという思いに至った記憶が残っています。
 『はるかなる山河に』 は 『きけ わだつみの声』 に編集しなおされました。
 その後の1969年、立命館大学で、「わだつみの像」 が学生たちによって壊される事件がありました。「像」 を崇拝するだけでは平和は守れないと主張する学生たちの問題提起に共感しました。崇拝と忘れない、繰り返させないという思いは違います。

 『きけ わだつみの声』 を読み返しました。正直言って面白くありません。感動しません。なぜなのか。自分の心象を探ってみました。
 1つには、手記を残した学生たち個々人の心象は時代を照らしていますが、全体からは編集者の心象がバイパスしていると思われます。たくさんの手記からの選択段階で傾向が出来上がったのではないでしょうか。手記の学生は、理想とする国家像が欧米に偏っています。日本、アジアへの評価は低いです。「近代化」 が進んだ国家なら、「民主主義」 の国なら 「国民」 を悲惨な目に合わせないとでも言いたそうに。
 もうひとつ。学生たちが、時の政府・権力者をどう評価していたのか、そこに自分をどう存在させていたのかが見えてきません。もちろん自分の思いをストレートに表現できない状況がありました。
 戦時中の民衆の行動におけるヨーロッパと日本の大きな違いにレジスタンス運動があります。伝統的風土の違いが国家・政府の行為に対する民衆の対応姿勢にも表れてきています。

 「1931年7月におこなわれた東京大学学生調査がある。満州事変 (9月) の2か月前の調査である。『満蒙に武力行使は正当なりや』 については、『然り』 が88%もいる。しかも 『直ちに武力行使すべき』 とするものが52%いる。この調査を紹介した著者は、『直ちに武力行使すべき』 を右派、『外交手段を尽くした後にすべし』 を中間派、「(満蒙に武力行使は正当なりやについて) 然らず」 を左派としているが、そうすれば、右派52%、中間派36%、左派12%となる (大学新聞連盟 『現代大学の実態』)。まだ、本格的な国粋主義時代になる以前にも 『右派』 が圧倒的多数派で、『左派』 は10人に1人の少数派にすぎない。」 (竹内洋著 『丸山眞男の時代』 中公新書)
 この後、戦況は拡大していきます。しかし学生層の意識に大きな変化が起きるようなことはありませんでした。

 年少兵までもが戦地に赴きます。しかし学生に在学徴集延期年限、いわゆる徴兵猶予が行われ、学生生活を楽しんでいました。学生というよりは出身階層の特権がありました。
 1943年10月2日、緊急勅令が発表され、徴兵猶予は停止されました。理工科・医科系、農科の4学科、国立教員養成系の学生などは延期されましたがその他の満20歳に達した学生は直ちに徴兵検査を受け、10月21日に学徒出陣していきます。
 早稲田大と慶応大の野球部は、中止命令を受けた大学野球の開催に奔走し、10月16日に 「最後の早慶戦」 を開催します。試合終了後はスタンドのどこからともなく巻き起こった 「海ゆかば」 を合唱。そして10月21日を迎えます。
 当時の学生は、その出身階層から、情報収集の機会・能力から、戦況については他の階層の人びとより情報は集まり、客観的判断ができたはずです。
 しかしもはや流れは止められません。
 徴兵がまさか自分の身の上には降りかからないと思い込んでいた、まさに 『満蒙に武力行使は正当なりや』 に 『然り』 と机上で回答していた潮流は、なすすべがありません。自由奔放に振る舞うことができると思い込んでいても、実際に国家に統合されきって浸っていた意識からは脱出口は見つけ出せません。
 自分の不安と強制する国家への不満の解消先をある者たちはヨーロッパの国家像にもとめました。しかしそのヨーロッパ諸国も理想とするものではありません。
 その心象が10月21日以降の 『きけ わだつみの声』 に収録されているのです。

 「わだつみの像」 を破壊した学生たちは、ベトナム戦争の悲惨な状況を自分に引き付けて捉え、元凶を攻撃し続けました。ベトナムから目を背けて 「平和」 を語ることを拒否しました。『きけ わだつみの声』 を繰り返さないために、繰り返させないための行動を続けました。

 それからも40年が経ちます。
 『きけ わだつみの声』 が現在の私たちに残した教訓は、民衆は簡単に国家に糾合されない、恒常的に社会的対抗勢力を構築して国家を監視する潮流の必要性です。
 平和とは、国家と対置する社会的勢力の押し返しによってこそ守られます。沖縄の民衆の姿はまさにそのようなものです。 

 福島原発事故の惨状はまさに 「きけ わだつみの声」 です。
 かつて安全地帯にいて若者を戦場に送り続けた軍司令部と軍需産業と、安全地域にいて既得権を維持しようとする電力会社と原発製造会社が重なります。いずれも国家を隠れ蓑に利権で肥え太っています。
 福島原発事故の教訓は、国家と対置する社会的対抗勢力を構築して押し返し続けることが騙されない、過ちを繰り返させないためには不可欠だということです。  

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被災地の自治体労働者の状況
2011/08/11(Thu)
8月10日(水)

 7月13日付の『朝日新聞』に、宮城県石巻市の職員1.450人の震災後の健康調査結果が載っています。市と東北大学が6月から7月上旬にかけて実施したものです。
 80人以上が「気が晴れない」「自分に価値がない」などと感じたり、不眠や無気力感など強いストレス症状がみられる心のケアが必要とみられるといいます。

 7月30日付の『河北新報』に、自治労宮城県本部が4月末から6月にかけて県内の組合員を対象にした緊急健康調査の結果が載っています。回答は43組合の内22組合で3652にからありました。県職員と仙台市職労が大半で石巻市職労は326人です。
 震災発生から約1か月間に休日を1日も取得できなかった職員は全体の12.7%、これと合わせた取得した休日が2日未満が21.7%です。超過勤務が100時間を越えている職員も13.4%います。
 自己診断チェックリストで、仕事による負担度が非常に高い職員は10.1%、メンタルストレス判定では16.4%が中程度の抑うつ傾向を訴えています。長期療養に入ってしまう職員も増える傾向にあると言います。

 どれくらいの労働時間だったのでしょうか。
 少し古いですが5月20日付の『河北新報』に次のような記事がありました。
 「東日本大震災の対応に当たった自治体職員の残業代問題で、宮城県岩沼市は市職員の3月分の時間外手当を総額で3割削減して支払ったことが19日、分かった。市は『震災という非常事態を考慮し労使双方で協議して決めた』としている。
 市によると、削減されたのは3月11日以降の時間外手当で管理職を除く264人が対象。1人平均92時間残業をしており、消防や水道関係職員の中には200時間を超えたケースもあった。
 市はこれら時間外手当を特例措置として、本人の基本給の額や、夜間・深夜割り増しを計算せず、一律1時間当たり1800円に統一。上限を150時間と設定し、超過した場合は支給せず、その時間分を休日取得に振り替えてもらうことにした。
 その結果、通常の規定で支払えば約6000万円に上る時間外手当を約4200万円に縮減させ、13日に支給した。1人当たり平均支給額は約16万5000円。
 県市町村課は『給与制度の変更は、基本的に各自治体が条例や規則で定める必要がある』としている。
 一方、市職員の残業代1億6000万円(530人分)を半額カットし県から違法性を指摘された名取市は、4月に未払いだった約8000万円を20日に全額支給する。」
 3月11日から31日までに集中しての1人平均92時間残業、消防や水道関係職員200時間を超えた残業は長時間というようなものではありません。緊張感と使命感に裏付けされていたとはいえ、心身ともに限界に近かったと想像でいます。
 ましてや被災者でありながら公務に専念していたというよりも避難所で生活をしていた職員や教員もたくさんいます。しかし周囲から被災者とは見られませんでした。
 そして、残業代の支払いについては“遠慮”をしています。

 この間進められてきた行政改革・「小さな政府」は、現場や住民の要望を無視して強行されてきました。各自治体は平時の最低人数を定員としています。日常的にすでに対応能力は崩壊しています。しかし納税者を名乗る者からの攻撃と報道機関の煽りのなかで職員は声を上げられませんでした。とっさの時は、今回の大震災のような事態ではなくても対処できません。しかし行政機関の末端である現場の職員が責任を負わされ多のです。被災者は行革から二次被害・三次被害に遭遇しました。同じように医療機関・介護システムなどの受け入れ態勢も崩壊していました。
 「民間主導」は震災のような事態では何もできません。行政の機能をカバーしているのはもう一つの民間・ボランティアです。
 しかし何もできない「民間」は今、「復興」利得を「主導」しようとしています。

 震災から1000時間・約1か月半が過ぎた頃、公務員連絡会地方公務員部会はパンフレット「1000時間後のあなたへ ~東日本震災で頑張ったあなたへ~」を作成しました。震災から1000時間とは復旧・復興の開始時期にあたるのだそうです。被災者も自治体職員も心身・生活の切り替えが必要になってきます。
 パンフレットは、「こんな大事なときに倒れたら」という思いに「それよりは、長期戦に備えて、体力気力を養うことが大切です。それが被災地の再生のためになります。まずみずからの体力気力を養うこと。労働者として、当然やるべきこと。被災地の再生のためにいま、休むことがとても大切です。」とアドバイスをします。
 1000時間を越えたら「自分の家族のこと、被災者でもある自分のことを第一に考える。自分の生活に自分の全てを費やして構わないのです。死にたずさわるしごとから、生を支えるしごとへのシフトが大切です。そして職員同士が体験や感情を共有する場を持ちましょう。」とアドバイスをします。
 パンフレットは、インターネット「いじめ メンタルヘルス労働者支援センター ⇒ 『心のケア』 ⇒ 『惨事ストレス』」で読むことができます。

 東日本大震災は、多くのことを気が付かせてくれました。
 「小さな政府」は、人びとの安全・安心を小さなものにします。自治体職員や教員に過重労働を強います。結局はだれも幸福にはなりません。
 結局復旧・復興は人々の連携・連帯で可能となります。駆けつけたたくさんのボランティアの活躍を見るとそう思います。
 震災の教訓をどう生かすか。その第一目の回答がここにあります。


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