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職場の安全衛生政策の転換を
2011/01/27(Thu)

1月27日(木)

 1月21日、 全国労働安全衛生センター連絡会議メンタルヘルス・ハラスメント対策局の定例会が開催されました。
 今、厚労省は「精神障害の労災認定の基準に関する専門検討委員会」、いわゆる「判断指針」の見直しを行っています。
 現在の「判断指針」は振り落すことを主軸においています。複雑になっている職場状況やストレスが過重な業務内容についてなど労働現場を知っている委員がいません。委員は労働者を信用していません。
 メンタルヘルス・ハラスメント対策局は専門検討委員会に現場の声を盛り込んだ「要請文」を送りました。そうしたら厚労省から連絡があり、次回の委員会で配布されることになりました。
 厚労省は、昨年9月7日に「職場におけるメンタルヘルス対策検討会」の検討会報告書を発表しました。また11月22日に「事業場における産業保健活動の拡充に関する検討会報告書」を発表しました。これらのなかでは、体調不良の労働者をどのようにして「発見」するか、接するか、専門機関に繋げるかが討論になりました。
 労働者の健康情報は個人情報です。法律で守られていて会社のものではありません。
 一方会社は「安全配慮義務」があります。それを理由に会社は情報を欲しがります。
 問題は、会社は労働者を配慮ではなく「管理」しようとすることです。体調不良とわかるとレッテルが張られて戦力外通報、排除に繋がります。体調が回復しても期待されず、復活することができません。このような状況が蔓延している中では労働者は体調不良を訴えて“身体”を守ることができません。我慢して“身分”を守ります。
 職場の安全衛生政策が「監視」、「管理」から予防、互助への転換が必要です。

 全国労働安全衛生センターは2月25日(金)・26日(土)と、東京三多摩、名古屋、大阪で「いじめ・メンタルヘルス労働相談ホットライン」を開催します。
 対策会議終了後、センターの事務所開きを行いました。
 狭いところに大勢来ていただくのもかえって申し訳ないと考えていたら、外部の方々からせっかくの祝い事だからと進められました。
 16団体・個人から28人の参加で催すことができました。
顧問に就任していただいた天明佳臣全国労働安全衛生センター連絡会議議長の乾杯の音頭の後、参加していただいた方々から挨拶をいただきました。
 寄せられた大きな期待にどれくらい応えることができるかわかりませんが、現在労働者が置かれている状況においては確実に“ニーズ”があります。
 期待を裏切らないよう、頑張っていきたいと思います。
 参加していただいた方々、メッセージを寄せてくださいました方々、本当にありがとうございました。
 

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自死遺族への二次被害
2011/01/25(Tue)
1月25日(火)

 20日、「自死&自死者、自死遺族の偏見・差別の是正に向けて」講演・シンポジウムがありました。
 自死遺族に対するさまざまな嫌がらせが報告されました。例えばアパートでの縊死の場合、補修費、近隣住民への慰謝料、家賃値下げの補助、お祓い料が遺族に請求されました。また、家族が呪われているとか遺族には根拠のない理由による非難が浴びせられます。二次被害です。自死問題を長く携わってきた社会学者は、「同和問題に似ている」と言っています。
 これに対してパネラーの宗教者がそれぞれ面白い発言をしていました。
 釈迦の弟子が自殺をしました。他の弟子が自殺した場所で供養しようと提言すると、釈迦は魂は人にあり、場所にあるのではないと拒んだといいます。後世の釈迦のたくさんの弟子は釈迦の教えを守っていません。
 キリスト教の裁きの神は人類を統治するために考え出された神で、神は人を裁くはずがないのだそうです。霊は場所にあるのではなく人間の内にあるので弔いは亡くなった人に対して行われなければならいといいます。
 釈迦もキリストも唯物論者です。宗教を利用する人たちが利害を絡めて唯心論者になっているのです。
 自死者の家族は事実を隠します。触れないようにします(させられます)。そうすると、自死者が苦しみから逃れようとした時の思いと原因、家族や周囲に迷惑をかけまいとした優しさが消されてしまいます。優しさまで消されては本当に浮かばれません。

 市役所窓口での不当な発言によりPTSDを発症した方の労災事案に公務上の決定が出たとの報告がありました。不当な発言については労災認定で終りません。発言者に過ちを自覚させて謝らせなければなりません。それは個人的作業ではありません。

 根拠のない理由による非難や差別をする者(側)は、理由を自分(たち)に引き寄せて差別します。“差別すること”に根拠があるのです。しかし差別は兇器です。
 「差別は差別するものからだけではなく、差別された人間からも人間の熱い心を奪うもんたい。今のおまえがそれたい。どんなに貧しくても、差別されようが、わしはぬしのようには生きん。差別が人間の作り出したもんなら、人間の力でなくすことだってできるはずたい。わしはそう信じとる」
 麻野涼の小説『満州「被差別部落」移民――あの南天の木はまだあるか』はこう結ばれています。

     
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2.19 講演とシンポジウムの発言者を紹介します
2011/01/24(Mon)
1月21日(金)

 来る2月19日(土)1時半から、センター主催で「職場のいじめ・メンタルヘルスを考える」講演とシンポジウムを日本青年館中ホールで開催します。
 講演は、医師で全国労働安全衛生センター連絡会議議長の天明佳臣さん、パネラーは職場のハラスメント研究所所長の金子雅臣さん、全労働省労動組合委員長の森崎巌さん、日本新聞労働組合委員長の東海林智さんです。

 4人の活動と所属団体を紹介します。
 全国安全センターは活動を始めて30年以上経ちます。全国で塵肺、頚腕、アスベスト、メンタルヘルスなどの問題に取り組んできました。
 天明医師は横浜市にある港町診療所所に勤務しています。診療所は劣悪な労働条件で負傷した外国人労働者の治療や労災申請の支援なども行ってきました。
 これまで企業や行政の産業医としても活躍しています。その経験から、使用者に言いたいこと、そして労働者に注意や忠告をしたいことがたくさんあると思います。そのようなことを思う存分話してもらいたいと思います。私たちのセンター設立に際しては喜んで顧問を引き受けていただきました。

 金子さんは、東京都の労政事務所(現在の労働相談情報センター)に長い間勤務していました。労働相談情報センターの相談活動に先鞭をつけました。また、いじめやセクシャルハラスメント問題の相談活動においてはパイオニア的役割を果たしてきました。
 退職後は労働ジャーナリストとして『労働相談(裏)現場リポート』や『壊れる男たち-セクハラはなぜ繰り返されるのか-』などたくさんの著作があります。そしてたくさんのファン読者を持っています。
 職場のハラスメント研究所所長として、全国の企業、学校、行政機関でのメンタルヘルスやセクシャルハラスメントに関する委員を担いながら講演活動もこなしています。

 森崎さんは全労働の顔です。全労働の組合員とは日常的に労基署やハローワークで対面しています。時には怒鳴り合うことになったりすることもあります。
 しかし組合員も法律や制度の限界を認識しながら業務を遂行してます。ある労基署で労災申請が却下されたので理由を聞きに行きました。審査官は最後に「個人的には労災だと思う。しかし今の『判断指針』の運用ではどうしても強度Ⅲに持って行ける出来事がない。『判断指針』の見直しを現場としては熱望しています」と言い添えました。現場での問題点は全労働として指摘、提案を行っています。
 全労働は、「年越し派遣村」に延べ40人が参加しました。専門の相談活動だけでなく、履歴書用紙を印刷して配布、履歴書用写真の撮影とプリント、生活保護申請の福祉事務所への事前ファクス送付は全労働本部で行われました。

 東海林さんは毎日新聞社の記者です。毎日新聞は労災関係の記事が載る機会が一番多いです。同じ記事なら行数、面積が一番大きいです。その中心で頑張っています。労災以外にも労働者の問題を地べたから取材し、『貧困の現場』などの本を出版しています。
 「年越し派遣村」の時は実行委員の1人として不眠で活躍しました。
新聞労連は、戦時中の反省から「戦争のためにペンを執らない、シャッターを押さない、輪転機を回さない」の
スローガンで頑張ってきました。今は「平和のためにペンを執ろう、シャッターを押そう、輪転機を回そう」と頑張っています。
 労災の放置、労働者の貧困と戦争は、人権が無視されることに共通点があります。ある集会で得た知識ですが、スイスの憲法の序文には「国の強さは最も弱い人の立場で測られる」とあります。それで測ると日本は本当に弱い国です。

 このような4人に登壇してもらうということは、本当に贅沢な開催です。
 贅沢を実りあるものにするため、多くの方の参加を呼び掛けます。



参加ご希望の方は下記より当センターのホームページにて参加申込書・案内があります。
参加申し込みはFAXかメールにて受付しております。


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救助に携わる者の「心のケア」
2011/01/18(Tue)
1月18日(火)

 阪神淡路大震災の体験を経て、震災や災害救助に携わる者への「心のケア」の必要性が認識され始めました。
 震災後、消防士に体調不良者が続出しました。住民を救助しようとしたが燃え盛るなか見殺しにしてしまった、重体で苦痛を訴えている被災者を目撃した、救助してもその後絶命してしまったなどの体験は、無力感、罪責感、罪悪感となって襲いました。
 そもそも神戸は、地方自治法で定める消防設備の完備率が70%台でした。しかも旧式が多かったといいます。さらに震災は町名を選んで襲いましたが、通常でも消防車が入らない、消火栓がない街もあり、ホースが届かない、ホースから水が出なかった地域もありました。
 震災までは、消防士は悲惨な状況を目撃したり、苦痛な体験するのは当たり前と言われ、体調不良を訴えると「職業意識が薄い」、「根性がない、弛んでる」「私生活に問題がある」、時には「サボるための口実」などと非難されてきました。感情を持つ人間とは認められなかったのです。

 「任務の中で遭遇する危険や悲惨な光景などによって、どんな職業意識の高い者でさえ、精神的に深く傷つくということに最初に注目したのは軍隊であった。とはいっても、第二次世界大戦までは精神的に疲弊していく兵士は落伍者とされ、ひどい場合は軍法会議にかけられ罰せられていた。しかしノルマンディー上陸作戦の時に初めて精神科医による介入がなされ、ひどい体験を集団で話すことによって、精神的な回復(軍隊の場合は早く前線に復帰できるということ)が促進されることが知られるようになった。」(加藤寛著『消防士を救え!』)
 しかし日本軍にも大量の精神疾患に罹患する兵士が発生しましたが(日露戦争の時にすでに問題が発生しています)、「根性」の問題、役に立つか立たないかの”消耗品”として処理されていました。
 その対応はとらえ返されることなくずっと続いています。

 神戸市消防局は、震災後「心のケア」への取り組みをを開始します。
 その対処方法を検討していた2003年、民家火災で4人、1人の隊員を殉職者を出してしまいました。残された隊員の対応が不可欠となります。隊員1人ひとりと面談をして聞き取りをし、「組織が隊員を守る」体制を確立していきます。
 「惨事ストレス」という言葉が語られるようになります。
 「消防隊員、警察官、医療関係者などの災害救援者が、現場活動をとおして受ける通常とは異なる精神的ストレス」を呼びます。悲惨な状態の遺体を扱うこと、子供の遺体を扱うこと、自分自身に危険の及ぶ活動、負傷者や殉教者がでること、被害者が自分の家族や知り合いであること、などが惨事ストレスをもたらしやすい状況であることが知られています。」(『消防士を救え』より)

 看護士、保健士にも同じ症状が出ました。おそらく多くの自治体職員を「燃え尽き症候群」が襲ったと思います。それくらいみんな必死で頑張り続けました。教職員の中には2年後、3年後にPTSDを発症者がたくさん出ました。
 しかし今も全国的にはまだまだ理解が浸透していません。

 1991年6月に発生した長崎県雲仙・普賢岳の噴火災害では5600人が仮設住宅に移りました。住民に精神的体調不良者が現れます。3人が自殺に至りました。
 この時の状況を、確か対策にあたった保健士たちが報告書を作成しています。
 教訓を伝える前に阪神淡路大震災は起きました。

 阪神淡路大震災では1年間に自殺者が32人出ました。男性21人、女性11人です。仮設住宅で孤独死が49人出ました。そのうち病死が45人です。
 その後は、震災、災害、大規模交通災害、学校襲撃などに遭遇した住民、市民、児童・生徒に対しする対応は素早くなりました。しかし救助隊等については話題にもなりません。(学校への「心のケア」については職域団体の営業活動があるという話を聞きます)

 全国的に取り組みが進んでいる神戸市においても、2005年4月25日に発生したJR西日本福知山線脱線事故のけが人の治療・看護にあたった看護士がPTSDに罹患しましたが、労基署は相変わらず「悲惨な状況を目撃したり、苦痛な体験するのは職業意識が薄いという理由で労災を認めていません。
 労働者が大切にされません。

 先日、全国の公立学校の教職員の休職者が発表されましたが、自治体職員、警察署には同じような数の休職者がいます。日常的業務の過重だけでなく、父母や市民から理由のないクレームが寄せられ、それへの対応などが原因です。
  「社内失業」という言葉が使われ始めました。「社外」失業者も、そして体調不良者・休職者に対しても、日本社会は一度戦力外になった労働者の再起を期待しません。
 経営者は、そのような状態に陥れたという責任も感じていません。社会的、経営的リスク管理の視点から捉えてももったいないことをしています。
   

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阪神淡路大震災から16年目
2011/01/17(Mon)
1月17日(月)

 神戸の1月17日午前5時46分はまだ暗闇です。その時の神戸の状況をテレビで観ました。
 
 当時の神戸に行って様々な思いに至ったことが思い出されます。
 1つ。地震は天災か人災か。
 長田区を歩いていて感じたことは、被災の大きさは天災だけではありません。地震は町を選んでいます。
 1回目に現地に向かった時、鉄道は芦屋以西は不通でした。JR芦屋駅で駅員に「JR関係者は何人亡くなられたんですか」と聞きました。「いません」ということでした。区役所で同じ質問をしました。「家族は数名いるけど職員はいません」。日本一大きいコープこうべの職員にも質問しました。「下請けの社員はいるけど正職員はいません」。
 地震は職業を選別して襲いました。被害の大きさが確実に違います。
 天災が人災を呼び込んだのです。
 2つ。人々の善意には底がないということです。
 避難所には全国各地の“名水”が届けられました。2年後に廃校になっていた避難所に行ったらまだ残っていました。
 玄界灘を渡ってきたハングル文字の支援物資は本当に多かったです。中身がわからないので開けてみると、お菓子、漬物、乾物、米など何でもありました。
 地方の小学校から「○年○組の皆さんへ」と激励のはがきが届きました。廃校の学校には「○年○組の皆さん」はいません。しかし思いは伝わります。みんなが通るところの掲示板に張られました。
 1回目に訪れた時、最後の仕事は炊き出し用の大きな釜を設置し、天井と周囲にテントを張ることでした。東京に戻ったら野菜を送ると約束しました。さっそく送りました。しかし支援物資は無料ですが郵送先を指定すると有料です。有料で段ボール10箱送りました。すると郵便局の窓口の方が「1箱分は私に払わせてください」といって9箱分を請求してきました。後日また行くと「先日のはちゃんと届きましたが」と聞いてきました。
 3つ。避難所は震災からしばらく経つと「格差」が生じてきました。
 家がないが職はある人(サラリーマン。収入はある)。この人たちは、早朝に出かけ、夜遅くに帰ってきます。土日には家族で外出します。
 家はあるが職がない人(自力で食事が用達できない人)。この人たちは、食事の時に顔を出します。職が見つかったら自立できます。
 家も職もない人(失業者や自営業(雇用保険の適用がない)、老人)。この人たちは長期戦を覚悟しています。避難所のいろんな運営を中心になって担っています。しかし他の人たちに対しては不満を抱いています。自立のために炊き出しの材料費カンパを要請したら家がないが職はある人、家はあるが職がない人の反応はよくなかったということでした。 
 それぞれに意識のずれが生じます。格差社会の始まりです。
 4つ。政府と市は住居の確保を自助努力として放置し続けました。
 例えば、予定された仮設住宅は被災者の数からしたら少ないです。しかも通勤や買い物に遠いところです。一貫して自分で何とかしろの姿勢でした。
 他の小学校の避難所にいったボランティアから聞いた話です。
 3月下旬、授業が再開されるということで住民とボランティアで教室を空け、掃除をして机といすを元のように並べました。終ると子供が花瓶に花を挿して教壇に置きました。その嬉しそうな顔を見た時、住民は、やはり学校は子供たちのものだと思ったといいます。その日のうちから何人もの住民が姿を消していきました。
 そのうちの何名かが廃校になっていた小学校の避難所に来ました。1年が過ぎた頃から、市は住民に何度も退去を要請しました。そのうちの1人が避難所で自殺しました。その後に訪れると、その住民がいた教室の前に線香立が備えてありました。廃校になった学校はその時、利用計画は何もありませんでした。
 被災者には自助努力を強制しながら、1995年年末に政府は住専(住宅金融専門会社)に6850億円の公的資金を投入しました。金持ちと資本は政府から保護されました。
 その後にやっと生活支援金が支給されます。作家の小田実さんや被災者の政府に対する粘り強い働きかけがあったからです。小田さんたちは、困難を経験した自分たちが働きかけて実現しなければ、この後被災者が出た場合に同じ困難を味わうと訴えました。
 後に災害が起きた時にはちゃんと生活支援金が支給されています。小田さんたちの苦労を忘れてはいけません。
 5つ。政府・行政はボランティアを拒否し、代わりに”暴力装置”自衛隊を定住させて市民権を与えました。
 新聞に載った投書です。ある避難所でボランティアが帰る時、「このままだったら殺されるよ」とひとこと言いました。そのあと住民は市に対して要求の声を上げるようになったといいます。
 政府・行政から自立し、しかも横の連携を強める全国から駆け付けたボランティアのような存在は迷惑でした。学校の新学期を口実に3月末で追い出して、市民を縦型管理し、「自活」を強制しました。
 アメリカの軍隊は大災害時でも2週間以上本来の任務から離れることはありません。
 自衛隊は暇なようです。
 6つ。関西と関西では温度差がありました。
 関東の新聞が「鉄道○○と○○間再開」と報じ多日た日、関西の新聞見出しは「乗換バスに長蛇の列、まだまだ遠い復旧への道」でした。
 5月1日のメーデーに新聞労連は独自集会を開きました。そこでおこなわれた発言です。東京のある新聞社では、2月の段階で3月になったら震災の記事は1面から外すという提案がデスクからありました。オウム事件の記事は朝刊より夕刊の一面と社会面にスペースを大きくとると、夕刊の駅売りが3%伸びたといいます。
 震災を取り上げるかオウムにするかは経営上の判断だったようです。
 それにしても神戸新聞のがんばりは素晴らしいものがありました。1周年、2周年を神戸で迎えましたが、神戸新聞を大量に買ってきて東京へのお土産にしました。
 
 一緒だったボランティアから後日聞いた話です。
 畳が数十枚届きました。住民全員には配れません。「体調が悪くて保健室に治療に来た人に優先して配ろう」と決めました。ある教室に運んで行くと、1人の方から「向こうの人も体調悪いようだからあげて」と言われました。そのお婆さんのところに行って「保健室には大学からお医者さんも来ているので診てもらったらいかがですか」と声をかけました。すると「私は日本人じゃないから、韓国国籍だから」と言われたといいます。元自衛隊員だった彼はおもわず「なんだこの国は!」と叫んでしまったということです。
 保健室の前には「誰でもご自由にどうぞ」と張り紙がありました。もしかしたらお婆さんは文字を奪われていたのでしょうか。それとも「誰でもご自由にどうぞ」の張り紙から非常時でも「但し、日本国籍を持つものに限る」という国籍条項が透けて見えたのでしょうか。お婆さんの耐え忍んできた人生そのものが伝わってくる出来事です。

 神戸の街を歩いているといつの間にか
  
  「同胞(はらから)の絶え間なき
   労働に築く富と幸 
   今はすでに潰え去らん……」

と『原爆を許すまじ』の歌詞が浮かんできました。
 鉄道、電気、水道、ガスのライフライン復旧のために全国から来た人たちはみんな一生懸命頑張っていました。原爆後の広島・長崎の復興もこのようだったのかと思いを抱きました。

 労働組合は何の役割を果たすこともできませんでした。
 唯一光ったのが黒崎さんたちの「被災者ユニオン」です。その苦闘の成果は今も雇用保険の手続きなどで生きています。被災の事実だけでなく忘れてはいけないことです。


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