2017/07 ≪  2017/08 12345678910111213141516171819202122232425262728293031  ≫ 2017/09
裁判官の驕りと世間知らずは本当に危険!
2012/08/24(Fri)
 8月24日(金)

 7月30日、大阪地裁裁判員裁判は、姉を殺害したとして殺人罪に問われたアスペルガー症候群の被告に、懲役16年の求刑を上回る有期刑上限の懲役20年の判決を言い渡しました。
 被告は小学5年生で不登校となり、その後は約30年、自宅に引きこもる生活を送っていました。引きこもりの原因を姉のせいと思い込んで恨みを募らせた末に殺害に及びます。事件直前に行政が病院への受診を勧めていましたが実現する前に事件が起きてしまいました。
 判決は、動機に被告が広汎(こうはん)性発達障害の一種のアスペルガー症候群が影響したと認定しながら「最終的には自分の意思で犯行に踏み切った」と述べています。そして母親らが被告との同居を断っていること、被告の態度には症候群の影響があると認定して「いかに精神障害の影響があるとはいえ、十分な反省のないまま被告人が社会に復帰すれば・・・被告人が本件と同様の犯行に及ぶことが心配される」と指摘し、「社会内で被告人のアスペルガー症候群という精神障害に対応できる受け皿が何ら用意されていないし、その見込みもない」ことを理由として、「被告人に対しては、許される限り長期間刑務所に収容することで内省を深めさせる必要があり、そうすることが、社会秩序の維持にも資する」と言及しました。

 怒りと同時に恐怖感が湧いてくる判決です。
 アスペルガー症候群の人たちは再犯の恐れがあるのでしょうか。介護や支援は家族がしなければならないのでしょうか。対応は懲役という隔離の手段しかないのでしょうか。

 発達障害者を支援する団体の全国組織、日本発達障害ネットワークの理事長は「発達障害があるから犯罪を起こすわけではない。アスペルガー症候群の人の多くは、社会生活を営めており、独特な考え方や行動様式を周囲が理解し社会のルールを説明していれば、今回のような事件は起きなかった」と指摘します。
 また日本弁護士連合会も判決を批判する会長談話を発表しています。

 アスペルガー症候群の人は、他人の感情や意図を読み取るのが苦手で、自分の興味や関心、思考に固執する傾向があります。その一方、卓越した集中力や記憶力などにより高い能力を発揮します。これは“The undiscovered workforce”(「未発見の労働力」)と呼ばれています。

 アスペルガー症候群の人は興味や関心、思考に固執する傾向があるということが犯行や犯罪に走るということにはなりません。今回はたまたまお姉さん個人に恨みを抱いてしまい、固執したということです。
 しかし判決は、発達障害についての無理解から、犯行をおかす、再犯の危険性があるという偏見を持っています。
 せっかく2005年4月から発達障害者支援法が施行され、社会的啓蒙と自治体などの支援の取り組みが進められている中にあって、偏見を堂々とかざす判決は流れに水を差すものとなりかねません。
 行政機関が引きこもりの人を“発見”するのが難しいのは確かです。しかしその原因に本人と家族を襲う偏見があります。さらに介助と支援は家族の責任という社会的風潮が強くあります。そのために支援法が施行されても本人と家族は知らなかったり、敬遠して支援を受けられていないという実態があります。

 昨年12月16日の「活動報告」で紹介しましたが、札幌市は漫画によるパンフレット『職場で使える「虎の巻」 発達障がいのある人たちへの8つの支援ポイント』と『暮らしで使える「虎の巻」 発達障がいのある人たちへの8つの支援ポイント』を作成して各行政機関の窓口においています。
 また北海道勤労者安全衛生センターの協力で石狩地協は「メンタルヘルスと労災補償学習会」の連続講座の一環として「職場で困らない『発達障害』との付き合い方」の講演会を開催しています。
 今回の不幸な事態を発生させてしまった一因には、支援の取り組みが周知されていなかったこともあることを踏まえ、先駆的な取り組みを取り入れて改善を急くことが課題とされなければなりません。

 「許される限り長期間、刑務所に収容することが社会秩序の維持に資する」の判決内容について、日本弁護士連合会の会長談話は「保安処分を刑罰に導入することにほかならない。」と述べています。
 「保安処分」は、1970年代に出された刑法改訂案に盛り込まれましたが反対運動が展開されてきました。精神障害と犯罪をめぐる問題を、精神医療と福祉の領域の問題として対応するのではなく刑事政策の領域として捉えようとしました。今回の判決は「保安処分」が法律抜きで実行されたと言えます。
 その底流に存在するのは精神医療による改善不能、更生は不可能という思想と「隔離」政策です。実際は不能、不可能ということではなく、精神医療と福祉による改善、更生は期待しないから社会的資源・財源の無駄使いだという優性思想が存在しています。
 裁判所が率先して人権を蹂躙しています。
 しかし社会的更生が不可能とする思想と優性思想こそが社会的に不安と恐怖を煽ります。

 被害者や家族も望んでいるので厳罰を科すと記載される判決が増えています。では被害者や家族が量刑の軽減を望んだなら叶えられているでしょうか。残念ながらそのような声はあっても裁判所では無視され、マスコミからは消されます。
 厳罰化の方向は、今、少年法においても行われようとしています。少年事件は「保護事件」でなくなりつつあります。
 被害者の家族が量刑の軽減を訴えたが無視された事件を紹介します。
 1958年8月に東京都江戸川区で起きた「小松川事件」です。
 在日朝鮮人の18歳の李珍宇少年は殺人事件を起こし、もう1件を「自白」します。1審、2審とも死刑判決で61年8月に上告棄却になりました。
 支援者たちは事件に至る背景を探るなかから、関東大震災の朝鮮人虐殺や強制連行など隠され、歪曲されてきた歴史的事実の発見にたどり着き、減刑の嘆願運動を繰り広げます。
 李少年が殺人事件を起こしてしまった大きな原因は「無知の涙」です。支援者との交流を経てそのことに気付き、過ちを認めて立ち直ります。
 被害者の父親は「奪われた娘の生命と同様に、ひとの子である珍宇の生命の尊厳という視点から、立派な人間に立ち直って社会で働いてほしい、それが罪の償いになり、娘たちも成仏できよう」と言われました。もう一方の父親は「減刑になって釈放されたとき、自分の会社でひきとりたい」とまで言われました。
 死刑執行の知らせを聞いた被害者の母親は、「減刑を祈り続けてまいりましたのに」と言われました。
 しかし少年が立ち直り、被害者家族、支援者の嘆願が繰り返されても、無視されて死刑は執行されました。そこには明らかに民族的差別と偏見があります。

 裁判官は、利用しやすい事件を利用して厳罰化の世論を形成していきます。そうすることで自分たちが社会を正す任務を果たしているという思い上がりです。人権感覚のない世間知らずのなせる業です。
 しかし抑止力にもなっていません。実際は人間が本来持っている可能性が否定され、社会の暗黒化を進めているだけです。
 
 今回の判決は「十分な反省がないまま社会復帰すれば、同様の犯行に及ぶことが心配される」と述べています。 社会制度による保護、制度の確立・充実が不十分であることは黙認し、救済を必要とする者に対しても自力更生を強制しています。
 そもそも現在の日本の刑務所や鑑別所は“更生”のための施設になっているでしょうか。社会的に隔離された施設で軍隊的規則の強制、服従は社会復帰後の生活でどれくらい役立つのでしょうか。思考方法の停止は社会復帰を困難にするだけです。納得されない矯正は人格を奪います。
 そして現在の社会は出所後に社会復帰できる体制が保障されているでしょうか。
 たとえば、受刑者の労働に対して賃金はいくら支払われているでしょうか。少なくても最低賃金は保障されなければなりません。最低賃金を保障された預金が出所後の生活保障に繋がります。逆に出所しても生活費がないことが再犯に繋がっていきます。
 このことを抜きにして“更生”が難しいという議論をしても無駄です。

 70年代末に公安事件での大量逮捕、起訴、下獄が相次ぎました。支援運動が広範に繰り広げられました。
 支援者は下獄者の出所を、最低5か月分の生活費を準備して迎い入れました。1か月分はゆっくり休養して体調を整えるための生活費、3か月分は住居を確保するための敷金・権利金など、もう1か月分は働き始めてもすぐに賃金が支払われない期間の生活費です。これが最低限必要な出所後の生活保障です。
 このような支援を受けて公安事件の下獄者たちは、国家が強制した“更生”はしませんでしたが社会復帰は成し遂げることが出来ました。

 
 昨年2月7日の「活動報告」に書きましたがアスペルガー症候群の人たちからの労働相談が増えています。相談者が自分から言い出だす場合も、相談を受ける側の素人判断でも明らかに当該も会社も気付いていないことが事態を困難にさせているのではないかと思われる事案もあります。また家族からの相談もたくさんあります。
 自分から言い出だした相談者は、特定の分野では本当に卓越した能力を発揮しています。たとえば鋭い観察力での取材記事がありました。技術開発部門で欠陥部分を的確に指摘し、会社としては不可欠の人材になっています。痒いところに手が届くので指名が多い介護労働者がいました。まさしく「未発見の労働力」です。
 しかし上司や同僚はその能力を生かせていません。コミュニケーションが作れていません。そこにトラブルが発生しています。もったいないことです。

 ではどのようにしたら相互理解ができるでしょうか。
 昨年12月2日の「活動報告」に引きこもりの人たちの声を紹介しました。
 引きこもりの人たちは理解者を希求しています。しかしその思いをうまく伝えらずにいます。だからといって相手を受け入れてやるなどという姿勢は高見の視線です。逆に拒否反応が示されることがあります。
 ゆとりを持ってお互いの思いを話し合い、理解し合って関係性を作り出して行動に移し、信頼関係を確立することが必要です。難しいことではありません。まずはその姿勢で挑戦することが必要なだけです。  
 
  
   
当センター「いじめ・メンタルヘルス労働者支援センター」のホームページ・ご相談はこちらから
この記事のURL | 裁判・労災 | ▲ top
自衛隊は何を守る?
2012/07/13(Fri)
 7月13日(火)

 6月29日、俳優の地井武男が亡くなりました。渋い役者でした。
 最初に地井武男を観たのは40年近く前、今井正監督の映画 『海軍特別年少兵』 でした。

 1943年6月、横須賀第二海兵団に14才になったばかりの少年たちが2等水兵として入団します。
 そこには、少年兵たちは子供なのだからと 「愛」 で導こうとする中尉の教官と、子供とはいえ兵隊なのだから 「力」 で持って鍛えようとする班長の教官がいます。2人は常にぶつかります。「愛」 は捕虜にしてでも何としても助けたいと思い、「力」 は兵隊として一緒に死んでやろうと決めています。
 「力」 が 「愛」 に叫びます。「助けようとするなら何故彼らを軍人にしたのです!」。
 年少兵たちが硫黄島に守備隊として赴きました。「彼らは望んで死を選ぶでしょう。そう育てたのはわたしであり中尉です・・・」
 この 「力」 の役が地井武男でした。かっこよかった。正しいか、間違っていたかの議論はさておき 「愛」 があった。

 学徒出陣は1943年10月です。その前に14歳の少年たちが入団していきました。
 少年たちは、特権階級の学徒にはない事情をそれぞれ抱えていました。(学徒出陣については、2011年8月13日の 「活動報告」・「『きけ わだつみの声』 を繰り返さないために」 参照)
 上官から志願の動機を聞かれます。
 1人は 「父のようになりたくないからです」 と答えます。「父親がどうした」 と聞かれた後、回想シーンになります。
 父親は、貧乏人は国からの恩義はないのだから国の為に戦う必要はないという持論を持っています。そのため 「アカ」 と言われて特高から拷問を受け、足が不自由にされました。そのように息子にも説き、息子と対立していました。
 「父親がどうした」 もう一度上官が聞きます。
 「父はびっこ (ママ) なのです」
 「そうか、お国の為に頑張れない父親の分もおまえが頑張るのか」
 父親の役は三國連太郎でした。三國はセリフではなく自論を説いていました。

 親を亡くした姉と弟。姉は弟を養うために娼妓になります。弟は姉に楽をさせようと志願しました。
 面会が許された日、姉はたくさんの手作りおはぎ入れた重箱を持って訪ねます。弟は事前に恥ずかしから来るなと伝え、来ると隠れて現れません。姉は仲間の年少兵たちに 「弟をよろしくね」 と頼みながらおはぎを分けていきます。
 育てあげた弟と会えないまま姉が帰っていく時の後ろ姿。苦労を背負っています。何ともさみしい、悲しい姿でした。姉を小川真由美が演じました。


 今の自衛隊には 「愛」 も 「力」 もありません。(自衛隊そのものが存在しなければ 「愛」 も 「力」 も必要ないのですが)
 昨年1月28日、横浜地裁は2004年に海上自衛隊の護衛艦 「たちかぜ」 の乗務員が “いじめ” が原因で自殺したいわゆる 「自衛隊のいじめ自殺裁判」 で、いじめがあったことは認めたが自衛隊の安全配慮義務違反はないと判断した判決を言い渡しました。「自殺の兆候を見せておらず、自殺は予見できなかった」 という理由です。遺族は控訴しました。

 自殺事件発生後に、海上自衛隊横須賀地方総監部は、乗員190人に艦内でのいじめについて尋ねた「艦内生活実態アンケート」を実施しました。しかし裁判でその存在を聞かれると 「破棄した」 と説明していました。
 今年1、2月頃、訴訟を担当する総監部法務係員の2尉が関連資料を見つけ、係長の事務官に報告しました。事務官は上司に相談しないまま3月5日、東京高裁に 「アンケートは存在しない」 との準備書面を提出しました。
 元指定代理人の3等海佐が、アンケートが存在すると原告弁護団に連絡をとりました。
 4月、原告側は 「海自はいじめの実態を示す文書を隠している」 という告発文を証拠として裁判所に提出しました。
 6月18日に開催された口頭弁論で、海上自衛隊は初めて関係文書7点の存在を認めました。
 同日、3等海佐は取材に応じ、「上官から 『組織を批判するなら、組織を出たからにしろ』 と言われた」 と語りました。
 6月21日、海上自衛隊は記者会見を行い、アンケートの結果が総監部内を調べたところ、監察官室のキャビネット内の個人ファイルに保管されていたことを明らかにしました。
 事務官は監察班の調べに 「事の大きさにどうすればいいのか分からなかった」 と話しているといいます。 
 残念ながら、自衛隊にはたくさんのいじめ事件が日常茶飯事発生しています。極めて陰湿で、悪質な事案もあります。その実態を自衛隊は容認しています。組織的、構造的問題です。
 これでは隊員同士に信頼関係が生まれません。日常的隊員の安全を守れなくて隊としての総合力を維持できるでしょうか。隊内に安全がなくて何の安全を保障できるのでしょうか。
 自衛隊は隊内のいじめ問題を隠ぺいして何を守ろうとしているのでしょうか。組織の存続、上層部の自己保身でしかありません。そして防衛産業との共存共栄です。

 自衛隊は1985年から自殺者数を発表しています。
 年間60~70人前後で推移していたのが2004年度に94人と初めて90人を突破、05、06年度も93人と高止まりしたままです。(制服組のみ)
 しかし動機についてのちゃんとした分析は行われていません。
 2003年7月26日に成立した「イラクにおける人道復興支援活動及び安全確保支援活動の実施に関する特別措置法 (イラク特措法)」 により、12月26日の航空自衛隊員48人から現地への派遣が始まります。海外派兵はかなりのストレスを発症させました。自衛隊関係者も「イラクへの海外派遣やテロ関連警備の強化もストレス増になっている」 ことを認めています。
 自衛隊のような縦型ヒエラルヒーの社会では、恐怖からくるストレスを身近にいる下の者、文句を言わない者への理由のない暴力で解消します。それで個人的に強くなった気分になるのです。しかし個人として強くなれることには限度があります。恐怖感を払拭できません。暴力が繰り返されます。他の者も暴力を行使する者、受ける者双方に共感します。事件が連鎖していきます。
 集団社会において恐怖を払拭する手段は、まずお互いの信頼関係を強めることです。そして訓練を積んで自信をつけることです。消防庁ではこれを鉄則にしています。
 現在の自衛隊と消防庁のあり方の違いは東日本阪神大震災での救援活動でもはっきりしました。
 しかしそれ以前にあり方が根本的に違います。自衛隊は人を殺すための組織であり、消防庁は人を救助する組織です。人を殺すための組織に人権は根付きません。

 6月15日。1992年に 「国際連合の国連平和維持活動(Peace Keeping Operation、PKO)」 が成立してから20年目を迎えました。
 PKO法案阻止に向けて、社会党などは採決の投票に際して 「牛歩戦術」 を行使し、会期期限切れ廃案を目指しました。連日国会周辺にデモ隊が押し寄せ、国会内と外がひとつになって頑張りました。
 20年前の6月15日夜、日比谷野外音楽堂でPKO法案を認めない集会が開催されました。当時、社民連代表だった江田五月議員 (前参議院議長) は壇上で 『忘れまじ6.15』 の歌を涙ながらに歌い決意を語りました。 『忘れまじ6.15』 は60年安保闘争で亡くなった樺美智子さんを弔う歌です。
 PKO法は憲法9条をないがしろにしました。
 法案が成立すると政治再編が加速しました。

 今年の 「6.15」 は金曜日。国会の周囲には脱原発を叫ぶ市民が集まりました。そして回を重ねるごとに数が増えています。
 何かが確実に動いているように感じられます。 


  当センター「いじめメンタルヘルス労働者支援センター」ホームページ・ご相談はこちらから
この記事のURL | 裁判・労災 | ▲ top
東芝には人権がない
2011/02/25(Fri)
2月25日(金)

 2月23日、東京高裁で行われた「東芝女性社員労災(うつ病)事件」の解雇無効確認・損害賠償請求訴訟控訴審判決言渡しを傍聴しました。
 労災認定をめぐる行政訴訟は2009年5月に勝訴が確定しているので、今回の訴訟も勝訴になることはわかっていました。
 この事件は労災申請が2004年9月に、解雇無効確認訴訟は同年11月に行われています。労災申請の段階から支援をしてきましたが、2つとも時間がかかりすぎます。その間当該の体調は戻っていません。会社に配慮がありません。
 原告は埼玉・熊谷工場で働いていました。原告が体調を崩した新しいプロジェクト立ち上げの時期には、他に2人の自殺者が出ています。しかし東芝はいずれも業務によるものではないという主張で、覆い隠そうとしました。1人の自殺については2008年3月に労災認定になりました。(もう1人は申請をしていません)
 裁判では、会社はタイムカードについて、倉庫にしまっているので探すのが大変だなどという理由で提出を渋ったりしました。
 東芝という企業には、この事件以外にもそうですが、人権がありません。労働者を思いやるという気持ちが全くありません。
 
 今回の判決で、裁判所は全損害額の8割程度しか認めませんでした。
 弁護士の説明では、かつては全額だったが、この間同じような裁判でやはり8割から6割しか認められていないということです。
 安全配慮義務について、かつては使用者の“気づき”が問題にされてきました。
 しかしこの間の動向は、いわゆる「新たな枠組み」の「医師が労働者のストレスに関連する症状・不調を確認し、その結果を受けた労働者が事業者に対し医師による面接の申し出を行った場合」において、「申し出を行わなかった場合」には労働者の側にも責任があるという主張を含めた“労働者責任論”の先取りのような気がします。(今回の原告はきちんと申し出をしています)
 やはり「新たな枠組み」の推進には問題があります。

 この事件の労災申請は埼玉県内の労働監督署に行われました。
 かの2009年度に精神障害等における労災認定者数がゼロの県です。県北には大企業の工場が林立する中にあって不思議なことです。
 おそらくは、せっかく進出してくれた企業に逃げられたくないという行政を含めた地域の思いが、乱暴な労務管理に目をつむる姿勢になっているのだと思います。割を食っているのは労働者です。


   当センター「いじめ・メンタルヘルス労働者支援センター」のホームページ・ご相談はこちらから
この記事のURL | 裁判・労災 | ▲ top
自衛隊の隊員管理と厚労省の労働安全衛生政策は酷似
2011/02/02(Wed)
2月1日(火)
 1月28日、2004年に海上自衛隊の護衛艦「たちかぜ」の乗務員が“いじめ”が原因で自殺したいわゆる「自衛隊のいじめ自殺裁判」で、横浜地裁は、いじめがあったことは認めたが自衛隊の安全配慮義務違反はないと判断した判決を言い渡しました。「自殺の兆候を見せておらず、自殺は予見できなかった」という理由です。
 自殺をする者が自殺を予見させなければ、いわゆる「自殺のサイン」を発しなければ使用者は対策が取れないのでしょうか。安全配慮義務とはそのようなものではありません。問題が起きないよう予防するのが第一番目の義務です。
 実際に、加害者の異常の素振りは一度や二度ではなかったし、短期間ではありません。しかも自殺した被害者以外にも被害者がいるのです。それでも「自殺のサイン」を読めなかったと主張するなら体質がおかしいのです。戦闘とその訓練を職務としている隊員がいじめごときで自殺するのは弛んでいるとう考えがあるようです。

 軍隊式という言葉があります。軍隊は多重階層社会です。そして上位下達です。今の自衛隊も似たようなもので、というよりも人的には引き継がれ体質は変わっていません。
 軍隊は集団生活です。集団は様々な問題を発生させます。この数年間、23万人の自衛隊員の中で70人から90人台の自殺者が出ています。これはとび抜けた数字です。
 防衛大学は、自殺者の増加の事態を受けとめて2007年度から訓練の一環としてメンタルヘルス教育の充実・強化に取り組みを開始したようです。1年から4年まで1年間に授業時間単位で24時間ずつの教育・訓練が行われています。
 「たちかぜ」の乗務員の自殺は2004年で、教育・訓練に本格的に取り組む前だから知識や技能がなく対応方法を知らなかったとでもいうのでしょうか。

 かつての軍隊は、上層部は安全な部署にいて末端は玉砕しました。今の自衛隊幹部も今回の事件を見るとそのようです。そしてこれも戦前の軍隊と同じで上層部は逃げ足が早く、逃げ口上が巧みです。よく「軍隊は民衆を守らなかった」と言われますが、部下も民衆も守りません。
 今回、自衛隊と裁判所は、やはり部下や民衆ではなく「国」を守ったのです。
 自衛隊に隊員の安全配慮義務がないというのは現在の厚労省の政策に酷似しています。
 精神科医の島悟医師は雑誌の座談会で次のように語っています。
 「行政の進める労働安全衛生のモデルは軍隊なんですね。産業保健スタッフで言えば、産業医は軍医、衛生管理者は衛生兵です。『場の管理』が基本なんです。」
 「場を管理する」政策とは、具体的には労働者を集団としてしか見ないで上からネットを張り、画一的対応・管理をすることです。個の存在を否定します。
 「総力戦としての戦争は、民衆が戦争に総動員され、その生命が危険に晒され奪われるというばかりでなく、人々をまさに『数』や『モノ』や『原子的存在』へと貶める極限状況を生み出した。」(三谷孝編『戦争と民衆 戦争体験を問い直す』旬報社刊)
 自衛隊はあまりにも隊員の命を軽んじています。遺族はそのことを訴えているのです。 
 

   当センター「いじめ・メンタルヘルス労働者支援センター」のホームページ・ご相談はこちらから
この記事のURL | 裁判・労災 | ▲ top
JR西日本福知山線脱線事故は会社の責任
2010/12/21(Tue)
12月21日(火)

 2005年4月25日に発生したJR西日本福知山線脱線事故の裁判が始まりました。前社長が、自動列車停止装置(ATS)を設置しなかったことが業務上過失致死傷罪に問われています。
 前社長は、事故は想定できなかったと主張しています。しかしそんな言い逃れができるのでしょうか。
 事故は、自動列車停止装置(ATS)を設置しなかった会社や、ブレーキをかけるのを怠った運転手にだけ責任があるのではありません。

 国鉄分割民営化は、職員の雇用・生活から安心・安定を奪い、事業においても事故を多発させました。利用者から生活の糧の線路を奪った地方もありました。雇用や生活不安に落とし込めることは最大の“いじめ”です。
 まさしく国策による社会全体の「安全の分割民営」でした。その延長線で事故は起きたのです。
 運転手が遅れを気にして無理にスピードアップしたことが原因だと言われています。しかし運転手は遅れると「日勤教育」に名を借りた人権無視の精神主義的教育を受けなければならないことを恐れていました。“いじめ”そのものです。

 労働者が不安の中で仕事をする、それが事故と隣り合わせであることは誰でも知っていることです。JR西日本はそれを“積極的に”推し進めました。だから責任は経営陣にあります。
 事故を起こした運転手は被害者です。しかし国鉄分割民営化に反対していた労働組合や関係者からのその声は上がりませんでした。本当に小さなある労働組合の機関紙には「亡くなられた乗客と運転手のご冥福を祈ります」とありました。

 国鉄分割民営化=「安全の分割民営」化の波及は、社会全体の不安を増増加させ、ストレスを増大させました。その具体的状況の一例が鉄道労働者への利用者からの理由のない暴力行為の増化です。
 今、サービス業や行政機関の労働者が利用者のサウンドバックになっています。人としての尊厳が奪われた、奪い合っている社会になっています。


  当センター「いじめメンタルヘルス労働者支援センター」ホームページ・ご相談はこちらから
この記事のURL | 裁判・労災 | TB(0) | ▲ top
| メイン | 次ページ