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ああ、光州よ、無等山よ
2019/05/24(Fri)
 5月24日 (金)

 1980年5月18日から10日間、韓国・光州で学生・市民らによる民主化運動が繰り広げられました。27日早朝、「市民軍」 がたてこもっていた旧全羅南道道庁は戒厳軍によって制圧されます。その後も弾圧は続きました。死者・負傷者数はいまだ不明です。
 最近になって市民が銃をとる引き金ともなった高校生への弾圧に関する本が出版されたりしています。

 それから39年が過ぎます。
 5月18日、光州で犠牲者追悼式典が開催され、文在寅大統領が演説しました。文氏は大統領就任直後の2017年5月の式典で、光州事件などの民主化運動の理念を憲法前文に盛り込むと表明しました。しかし野党の強い反対で改正のめどは立っていません。
 「憲法前文に運動の精神を盛り込むとした約束を今まで守れていないことが申し訳ない」 と謝罪しました。さらに 「虐殺の責任者や (兵士による) 性暴力問題、ヘリコプターからの射撃など、明らかにしなければならない真実がまだ多い」 と述べ、政府を挙げて事実解明を続けることを表明しました。


 11年9月13日の 「活動報告」 の再録です。
 当時、「市民学生闘争委員会」 のスポークスマンだった尹祥源 (ユン・サンウォン) さん (映画 『光州5・18』 の主人公のモデル) は、ソウルに出て働いていた時、平和市場で焼身自殺をした全泰壹のオモニ李小仙さんが開設した労働者のための夜間学校の手伝いをしていました。
 光州にもどって 「野火夜学」 を開設します。その時に一緒に手伝いをしていたのが朴棋順 (パク・キスン) さんです。朴棋順さんは 「労働者の永遠の姉」 と慕われていました。しかし78年冬、練炭ガス中毒ガスで亡くなります。
 25日、戒厳軍の襲撃が予想された “自由光州” の道庁では、学生たちにまじって、工順 (コンスン・女子工員) たちが炊き出し、連絡係、看護隊、放送担当と忙しく活動しました。「野火夜学」 の 「生徒たち」 です。
 尹祥源さんは立て籠もっていた道庁での銃撃戦で亡くなります。

 82年2月20日、尹祥源さんと朴棋順さんの 「霊魂結婚」 式 (死んだ後に行われる結婚式) が生き残った仲間たちによって執り行われました。仲間たちは 『イムのための行進曲』 を2人に捧げます。作詞は作家の黄ソギョン、作曲は金ジョンニュル。

  愛も名誉も 名も残さずに
  命かけようと 誓いは燃える
  同士は倒れて 旗のみなびく
  やがて来る日まで ひるむことなく

  時はゆくとも 山河に響け
  我らの叫び 尽きない喚声
  立ち上がれ友よ かばねを越えて
  いざ前に進まん かばねを越えて

 光州蜂起30周年の5月18日光州を訪れました。 「5、18記念公園」 の墓地にはたくさんの市民が眠っています。ですからいつもだれかが訪れています。そしをて墓の前で拳を振り上げながら 「イムのための行進曲」 を歌います。
 尹祥源と朴棋順の2人の名前が並んで刻まれた墓石があります。
 闘いは受け継がれて行きます。

 しかし、市が主催する追悼集会では20数年間歌われつづけてきた 「イムのための行進曲」 はプログラムからはずされました。遺族会が抗議して檀上に近づくと追悼集会は中止になりました。
 政権とともに歌われたり取りやめになったりします。


 「イム」 とはどういう意味なのでしょうか。詩のなかにはよく登場しますが、特に日本においては難しい概念です。
 金学鉉著 『荒野に叫ぶ声 恨と抵抗に生きる韓国詩人群像』 (柘植書房 1980年) から探ってみます。
「ニムについて多くの人が語っている。(引用文献は省略)
 『先生の一生のニムは 『民族』 であった。……先生のニムは衆生であり、また韓国であ
 るがゆえに、韓国の衆生すなわちわが民族がそのニムであった』
 『……ニムはあるときは仏陀となり、自然にもなり、日帝に奪われた祖国にもなった』
 『かれのニムは仏陀でも異性でもない。まさに日帝に奪われた祖国であった』
 『私が憧れ、相手も憧れるものがすべてニムであるという。このニムはいうまでもなく韓
 国であった……』
 『……ニムははたしてだれだろうか、ニムは愛人であり、仏教の真理それ自体で あり、韓国
 人全体を意味する。……この詩集の主題はこの国に住むすべての人である。
 衆生である。』
 『……数種のニムをすべて認める仏教でいういわば 『衆生』 をその代表的ニムと確定する
 ことにする』
 『ニムがなにを印象あるいは象徴しようと……1人の詩人の生命の焦点が、熱慕の対象が、
 感情のもっとも高まった頂点が、ニムとして放出されたのである。したがってこの場合重要な
 ことは、そのニムが愛人であるか、友人であるか、祖国か、民族かということにあるのでは
 なく、1人の詩人がその生命と情熱のすべてを捧げる対象をもっていたという点である。』

 ところで、このようにニムの像が多様性をおびてくる原因の1つは、もとはといえば 『ニムの沈黙』 (詩人萬海・韓龍雲の詩集 1926年上梓) の冒頭に書かれた序文にあたる 〈ぜい言〉 のせいでもある。この 〈ぜい言〉 のために、詩人高銀が述べているように 『凡俗で退屈な離別の恋歌をまったく異なる領域に押し上げることができた』 とも言えよう。
 〈ぜい言〉 はつぎのとおりである。
 『愛人 (ニム)』 だけがニムではなく 憧るるものすべてニムである 衆生が釈迦のニムな
 ら 哲学はカントのニムである 薔薇のニムが春雨なら マッチーニのニムはイタリアであ
 る ニムは私が愛するだけではなく 私を愛するのである
  恋愛の自由だとするならニムも自由であろう しかしおまえたちは耳ざわりのいい自由
 という名の つつましい拘束を受けているではないか おまえにもニムがあるのか ある
 とすればニムではなく おまえの影にすぎないのだ
  私は夕暮れの野に帰り道を失いさまよう幼い羊がいとしくて この詩をしるす

 ニムの正体はこの 〈ぜい言〉 においてその全貌をあらわしていると言える。私は以前、ニムを 『存在するものを存在たらしむ愛の対象』 として考え、それは、愛しきもの、憧るるもの、讃えられるもの、待ちわびるものであり、ニムはこれらすべてが混然一体をなして、時にはそれが奪われた祖国となってあらわれ、ある時は一切衆生となってあらわれるものとして把握した。そしてこのニムとの 『離別』 を新たな生へ導く弁証法的過程としてとらえようとした。しかしながら、もっとも大切なことを忘れていたようである。すなわち、なぜニムの 『沈黙(・・)』 かという点である。問題は 『沈黙』 の方にあるのではないか、どうしてニムは沈黙しなければならないのか。」

 ニムの姿がおぼろげながら浮かんできます。「沈黙」 は、遠藤周作の小説 『沈黙』 を想定することができるでしょうか。


 韓国の民衆の意識をとらえようとするとき、もうひとつ 「恨」 という日本では理解がむずかしい概念があります。どう理解したらいいのでしょうか。
 著者の説明です。
「『恨』 と 『抵抗』 の織りなす歴史がわれわれの生きる歴史である、と言ってもそれは言い過ぎではないように思える。なぜわれわれは苦難の歴史を生きなければならないのか。なぜ、われわれはごくあたりまえの、自律的な生にあずかることができず、つねに他人のいけにえにならねばならないのか。
 『大国』 の利益のために国土は分断され、東西対立の最前線に身をさらし、自らの手で創造しえず、波間に漂う一葉の小舟のように、時代の激流に押し流される。民族の統一という荷が重すぎるのだろうか。でなければ運命の女神の意のまま 『諦念』 のなかで我をすっかり忘却させてしまったのだろうか。
 1945年の解放以来今日まで 『過渡期』 のなかでわれわれは生きてきた。『過渡期だから』 『仕方がない』 『明日のためにがまんしよう』、北においても南においてもこの言葉が、いかに威力を発揮してきたことか。今もそれは変わりない。そして、一方では今日の苦難・不幸が外部勢力いわゆる 『外勢』 に困る、という観念が固定してしまった。近代化の過程において徹底した 『我』 の自覚が行なわれる余裕もなく、時代の移り変わりにただ身を任せ、そのつど異なる思想にとびついた。はたしてわれわれは独自の思想を想像してきたことがあったのか。あるとすればそれは一体どのような思想だったのか。」

「苦悩の百年を経て、われわれはようやくにしてわれわれ自身のたしかな思想、哲学を持とうとしている。輸入された借り物の思想でなく、『恨』 の歴史のなかで、金芝河の言葉を借りるならば、韓国の民衆が 『これまで個人的自我と同時に、集団的自我のなかで、数知れぬ傷を受け、抑制を受け、踏みつけられてきた過去の哀しい歴史になかで蓄積されてきた恨み』 (李恢成訳 『不帰』、中央公論社) の爆発をつうじて想像される思想である。
 この思想は一個人あるいは特定の階級の歴史ではない。集団の思想である。あるすぐれた哲学者の思想でもない。民衆の、人間らしい生にあずかることができず抑圧され、利用され、くずのように捨て去られてきた人々の、『人間として』 生きるがための思想である。」

「『恨』 というのは、要するに個人的・集団的を問わず、解放されることのない 『気』 の状態を意味する。『恨』 は文学的意味合以前の、われわれ韓国人の生と深くかかわっているもの――ある意味ではわれわれの生それ自体の在り方、といったほうが正しいかもわからないが――生の生成過程において常に胸の底にうっ積している情緒をいう。
 ふつうわれわれは 『恨』 という言葉をよく使う。ごく一般的な日常の言葉でもある。それは個人的な場合と、集団、あるいは民族全体の場を問わず等しく使われ、怨恨・恨歎・くやしさ。憤懣など、いわば発散できずに常にしこりとして残っている感情を言い表す言葉である。」


 「ニム」 にしても 「恨」 にしても韓国の歴史のなかで培われてきたものです。
「わが国は、海を渡り国境を越えて執拗に伸びてくる外勢に抵抗した歴史の繰り返しであるが、ちなみに、李朝までの外敵の侵入回数をあげるとつぎのとおりである。衛氏朝鮮以前のおよそ2年間に外敵の侵入が11回に達し、三国時代には大陸から110回、海洋から32回、高麗時代には大陸から125回、海洋から417回、李氏朝鮮時代には大陸から192回、海洋から168回で、大陸と海洋合わせると計931回の侵入を受けている (この記録は宋建鎬著 『韓国民族主義の探求』)。
 そして近代の波が押し寄せてくるようになると、外勢もその様相が変わってくる。外勢と手を結ぶ内部の権力層 『内なる外勢』 が台頭し、逆に今度は外勢を引き込んでくるようになった。李朝時代以来の特権階級の事大思想は連綿としてつづくのである。」
「『朝鮮をして倭国とならざるよう』、祖国を外勢に奪われまいとする東学農民の悲劇はそのまま民族の悲劇でもあったが、その後の歴史は逆の方向に歩んだ。」


 そして1980年を迎えます。
 1979年4月18日、ソウルでの 「『4・19』 19周年記念講演会」 で光州出身の詩人・趙泰一(1941年生まれ) は自作の詩を朗読します。

   あなたたちは地下に横たわって言う
    ――「4・19」 19周年に寄せる献詩――

  あなたたちは地下に横たわって言う
  われらの死が20年にもなれば
  目をつぶる時にもなったが
  どうしても閉じられない目を開いて
  悔しさに胸を叩きながら言う

   (中略)・・・

  あなたたちは地下に横たわって
  わたしたちに繰り返し言う
  4月は いっせいに動いた月
  馬蹄よりもなお勢いよく駆けた月
  退け もはや独裁の旗を降ろせと
  退かなければわたしが死ぬんだと
  死んでも必らず歴史を想像するんだと
  若いからだを銃剣にあずけ
  自由を 民主を樹立した月
  閉ざされた声を張り上げ 永遠を叫んだ月
  民族の良心を残らず磨きに磨いて
  革命のためすべての偽りをわれがちに捨てた月

   (中略)・・・

  行動した 斃れた
  斃れながら永遠をみたのだと
  4月は 退かない月
  4月は 5千年の深い眠りを覚ました月だと
  あなたたちは地下に横たわって いまも言う


 それから1年1カ月後に光州民主化闘争は繰り広げられます。
 光州民主化闘争のさなかに戒厳司令部によって逮捕された詩人・金準泰 (1949年生まれ) は、長編の詩を発表します。

   ああ、光州よ、われらが国の十字架よ

  ああ、光州よ、無等山 (ムドウンサン)よ
  死と死のはざまで
  血の涙だけが流れる
  われらが永遠の青春の都市よ
  われらの父はどこへ行ったのか
  われらの母はどこで斃れたのか
  われらの息子は
  どこで死に どこに埋められたのか
  われらのかわいい娘は
  また どこで口を開けたまま横たわっているのか
  われらの魂は また どこで裂かれ 散り散りになってしまったのか

  神と鳥の群れも
  去ってしまった光州よ
  だが 人間らいい人間だけが
  朝に 夕に 生き残り
  倒れても倒れても ふたたび起き上がる
  われらの血まみれの都市よ
  死によって撃退し
  死によって生きようとした
  ああ 慟哭だけの南道 (ナムドウ)
  不死鳥よ 不死鳥よ 不死鳥よ
  潮風が荒れ狂い
  この時代のすべての山脈が
  虚勢を張り そびえ立つ時
  だがだれも引き裂くことはできない
  奪うこともできない
  ああ 自由の旗よ
  人間の旗よ
  肉と骨の凝結した旗よ

   (中略)・・・

  光州よ、無等山よ
  ああ われらの永遠の旗よ
  夢よ 十字架よ
  時が流れれば 流れるほど
  いっそう若返る 青春の都市よ
  いま われわれは 確かに
  固く結ばれている 確かに 固く手を取りあって立ちあがる


 いまも 「5、18記念公園」 で、仲間との思いでの場所で、労働運動の現場で、それぞれの心のなかで 『イムのための行進曲』 は歌われています。闘いは受け継がれて行きます。
 来年は40周年。光州を訪れます。

 「活動報告」 2018.5.18
 「活動報告」 2014.5.13
 「活動報告」 2012.8.10
 「活動報告」 2011.9.13
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緊急事態条項は檻のなかのライオンに外から鍵を開けること
2019/05/08(Wed)
 5月8日 (水)

 憲法記念日からは日にちがずれていますが憲法記念日集会に参加しました。
 講師は、前文部科学省事務次官の前川喜平さんです。タイトルは 「守り抜こう!憲法9条 不戦の誓い ・・・みんなの声と力をあつめて 止めよう戦争!」 です。
 前川さんは、今、福島、厚木などの夜間中学でボランティア活動もしています。安倍政権から解放された元官僚の姿がありました。


 安保法制は2014年9月18日に成立してしまいました。私はその夜に仕事が終わった後、次官になる前でしたが、国会正門前のシールズの若者たちのデモに参加しました。この法案は明らかに憲法違反であると思っていましたから、国家公務員でしたがこれはおかしいとおもって1国民として、一度は反対の声を挙げておかなければならないとおもっていました。「9条を守れ」 「安倍はやめろ」 と声を挙げていました。昔のシュプレヒコールでは 「9条はいらなーい」 「安倍はやめろー」 ですが今はラップのリズムです。私もラップ調で一緒にしました。

 安保法制は集団的自衛権を前提にするもので明らかに違憲です。自衛隊は合憲と考える人であっても個別的自衛権の範囲でしか自衛権を行使できないと考えていました。
 元自衛官で、亡くなられましたがた茂呂さんという方がわかりやすくいっています。自衛官は命をかけて日本を守るためにいるんだ。しかし集団的自衛権というのは他人の喧嘩を買って出る話だ。縁もゆかりもないところに行って、自分としては何の恨みもない人に戦争を仕掛けることを認めるのが集団的自衛権。そんなことをやったら逆に恨みを買う。これからの戦争というのは国と国との戦争ではなくてテロだ。テロは自衛隊では防げない。

 安倍改憲4項目の中で9条2を追加するということは間違っています。
 アメリカと同盟関係だとよくいいますが、確かに今日米は同盟関係です。しかしアメリカと一緒に戦争をすることは間違っています。第二次世界大戦後、他の国に行って一番戦争をした国はアメリカです。そのアメリカと一緒に戦争をするということは、世界中で他国に行って戦争をすることになります。このようなことは絶対にしてはいけない。
 これは新たな富国強兵政策です。実際経済は回っています。国が回っているからです。しかし安倍政権の考えは、国家を個人より重要なものととらえる倒錯した思想です。戦前回帰志向です。日本人、日本民族という自分たちが世界の中心だという自民族中心主義です。これは戦前の「国体」思想と同じです。

 安倍首相はいろいろなものを私物化しています。
 安倍首相が考えている美しい国とは、戦前のような教育勅語の道徳教育を信奉する、洗脳されるような国をいっているようです。
元号を説明した時も、記者会見で 「くにがら」 という言葉を使いました。「日本の国柄を次の世代へ引き継いでいく」。くにがらという言葉は国体と同じように死語です。72年前に日本国憲法が施行されて以来、使えないことになっています。
 むしろ日本国憲法は人類普遍の原理に立っています。日本だけの憲法ではありません。人類の歴史の波に積み重ねられてきた知恵が詰まっています。そのことは日本国憲法の前文に書いてあります。人類という言葉はもう一回第97条に出てきます。
 そもそも憲法は、人類普遍の原理の上に立っています。先行する様々な憲法を作った人たちから引き継いできたものです。例えば憲法25条の生存権はドイツのワイマール憲法を引き継いでいます。第一次世界大戦のあと、二度とこんな戦争してはするまいと当時の人たちは思いました。そして1928年にパリに集まって 「パリ不戦条約」 で誓い合いました。戦争は国際法上違法なんだということを申し合わせました。これは人類が到達した1つの見識でした。
 それまでの社会は、国と国は戦争をする権利がある、宣戦布告さえすればいいということでした。そうではなく戦争はそもそも違法なんだということを宣言しました。

 しかし 「パリ不戦条約」 の3年後、日本は満州事変を始めました。日本やドイツが戦争を始めました。
 1945年に第二次世界大戦が終わって何千万人という人が死んで、こういうことは二度と繰り返してはならないということで国際連合がつくられ、国際連合憲章がつくられて国際条約が結ばれました。国際連合憲章は改めて戦争は許されないということを国際法上しっかりと確認しました。その際に、武力の行使と武力による威嚇もしないということも決めたわけです。
 それをいち早く取り入れたのが日本国憲法です。それを46年11月3日に公布して取り入れます。9条の思想は、人類が積みかさねてきた戦争は違法だという思想をうけついだものです。人類が到達した最高地点、成果をそのまま憲法は取り入れているのです。そういう意味で、日本だけでなく人類のものだといっていいと思います。

 しかし安倍政権の系譜の人たちは憲法改正を進めようとしてきました。
 改正しようとする人たちの頭の中にあるのは、日本というのは特別に優れた国だという 「国体」 思想です。その人たちが使う言葉が 「くにがら」 です。
 「日本の国柄を次の世代へ引き継いでいく」は言葉を変えれば国体の護持です。国体という言葉は、日本国憲法が書いている象徴天皇制ではありません。天皇は神様に由来するという神話的国家観です。
 それに基づいて国に忠誠心を持って尽くすものこそが立派な人間だと評価します。個人は国家に従属するものだという考え方です。それで憲法を改正しようとしています。


 安倍政権が進めているネオ富国強兵政策は、具体的には、経済政策は弱者切り捨ての新自由主義経済です。小さな政府こそがいい政府だという考え方です。
 一方で教育政策に表れてくるのは国家主義、自民族中心主義です。こういう新自由主義と国家主義の合同政策が安倍政権の政策です。
 これが教育政策のうえではっきりと表れたのが第一次安倍政権のときの、2006年の教育基本法の改正です。国家主義的な、全体主義的な目標が盛り込まれました。道徳心を培う、公共の精神にもとづき社会発展に寄与する態度を養う、伝統と文化をはぐくんできた郷土を愛する態度を養うという文言が入りました。
 道徳心、公共の精神や国を愛する態度とかをどう考えているかというと、個人を超越した国家があることを前提にしています。これが教育基本法に取りこまれました。

 もうひとつ、教育基本法の改正で政治の介入が強まりました。
 かつての教育基本法を変え、法律の根拠があればいくらでも権力が介入できるという考え方を盛り込んでしまいました。具体的にはかつての教育基本法第10条に 「教育は国民全体に対して直接責任を負って行われるべきもの」 とありました。つまりは、間接的民主主義の政治プロセスを経ない、政治権力に支配されるものではないということです。
 ところがこの文言がバッサリなくなり、代わりにどういう文言が入ったか。「教育は法律の定めるところにより行われるべきものである」、つまりは法律に基づいて行われるものというふうに書き直されました。そうすると法律的根拠さえあれば、いくらでも国家権力が教育に介入できるということになりかねないです。

 憲法上は、いくらでも国家権力が教育に介入できるというものではありません。学問の自由がベースにあり、ねじ曲げられてはいけないです。
 道徳についても憲法の価値観に外れるような教育をしてはいけません。憲法が保障するバリアがあって、それを超えて国家権力が介入することはできません。
 しかし改正された教育基本法だけをみると法律の根拠さえあればいくらでも国家権力、政治権力が介入できるように読めてしまいます。

 このようにして政治介入が非常に強くなってきています。
 教育現場の自主性を侵害する、介入しようとする動きが非常に強まっています。
 例えば、去年の2月に名古屋の中学校がある元文部官僚 (?!) を呼んだのですが、政治家が介入してきました。文部科学省の私の後輩たちは弱腰で、政治家にいわれたことを唯々諾々と受け入れてしまいました。授業の録音テープをだせといいました。名古屋市の教育委員会も現場の校長も非常に立派な対応をし、録音テープを出しませんでした。賢い賢明な対応をしました。
 例えば、教科書の検定、採択もそうです。市町村の首長や議員が声を出してこれは採択するなどと言ってきている。教育の自主性を侵害するような介入が増えています。

 もう一つは、憲法の理念に背くような教育をさせようとする、自分で判断しないで全部言うことを聞けというような国家主義、全体主義に資するような道徳教育のような動きが強まってきています。
 特に教育の自主性の侵害ということでは性教育もそうです。異常な関心を持っていまして、性教育をしようとするとそれは家族のあり方にそぐわないといってきます。
 しかし性教育に関しては、2011年に東京高裁から政治の介入に対して鉄槌を加えるような判決が出ています。確定判決です。
 東京都立七生養護学校で、知的障碍者が学ぶ特別支援学校で、ある事件が起きたことをきっかけにちゃんとした性教育をしなければいけないということになりました。教職員が知恵を絞って教材を作り、知的障害がある子どもたちがちゃんと自分と他者の人権を守る、自分の身体を大切にする人権教育の一環としての性教育の非常に優れたプログラムを開発し実践してきました。
 それに対して右翼系都議会議員がかみつきました。議員は東京都教育委員会の指導主事をつれて乗り込んできて使用していた教材を没収していきました。その後、東京都教育委員会は性教育をおこなっていた教職員を処分しました。それに対して教職員と保護者たちが不当だと裁判を起こしました。原告のいい方は 「心と身体の学習裁判」 です。
 判決は、政治家がおこなった行為は教育基本法が禁じている不当な支配であるといいました。教育基本法には 「教育は不当な介入に屈することなく行われなければならない」 とあります。これは改正してもかろうじて残っています。
 東京都に対しても処分は不当だとして取り消しを命じました。
 理由は、教育が政治から不当な介入を受けたとき、教育行政はそれをはねのけなければいけない、現場を保護する義務がある現場の自主性を守るために盾にならなければならないということです。それを怠った。
 教育行政は文科省にもいえることで、政治家が何かをいってきても拒否しなければいけません。

 教育の自主性を侵害する動きが一番激しく出てくるのが歴史教育です。
 安倍政権は、歴史修正主義者の集まりです。しかし修正ではなく、学問の自由によって積み上げられてきた蓄積を政治的意図をもって否定してしまいます。これは改ざんです。
 歴史改ざん主義は、特に戦前の日本軍は正しかった、悪いことをしなかったと強調しようとします。
 歴史学で明らかにされていることに文句をいうことが起こっています。例えば従軍慰安婦、日中戦争のときに起った南京虐殺事件での非戦闘員に対する虐殺、暴行などにたいして日本軍はそんな悪いことはしないという思い込みです。
 あるいは沖縄戦で集団自決について軍の強制はなかったとかいう人たちです。

 人はそれぞれ個性があります。人柄はそれぞれです。しかし今使えない言葉として「家柄」「国柄」があり、死語です。日本国憲法には存在しません。使いたがる人は戦前回帰の思考をもった人たちです。
 1997年に、若手の議員たちが 「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」 をつくりました。その代表が中川昭一です。中川を兄貴分とあおいで会の事務局長をしていたのが安倍晋三です。ここは歴史修正主義者の集まりで、文科省などに介入してきて教科書改ざんをしたりします。

 この歴史改ざん主義の安倍が2006年に総理大臣になった。その時に当時の文部省はやってはいけないことをしてしまいました。政権に忖度した教科書検定をおこないました。それ以前の検定では通っていた高校の日本史教科書で沖縄戦における集団自決の記述について通さなくしました。集団自決においての軍の命令、強制を全部消したわけです。
 発表されたとたんに沖縄では大きな反対運動が起きました。10万人を超える県民集会が開かれました。前知事の翁長さんがイデオロギーよりもアイデンティティーと路線を切り替えたのはこれがきっかけです。この検定は明らかに間違っています。

 当時から安倍政権への忖度があったのです。しかしどんなに歴史改ざん主義者が国会で多数を占めたからといって南京大事件がなかったとか集団自決に軍の関与はなかったとか、教えることは間違っています。学問の自由の積み重ねを否定することです。
学校で教えられること、教材の選定は学問の自由をベースにしていなければなりません。自由を基礎に評価はきめられなければならない。政治家が決めてはいけないのですが、政治の力で捻じ曲げようとしているのが今の現状です。

 忖度で委縮することはいろんなところで起きています。
 1つの例は、埼玉の公民館の9条俳句問題です。俳句サークルで優れた句を詠んだ人の作品は公民館だよりに載せるということになっていたのに、ある句については政治的な意味が含まれているから載せられないということになりました。「梅雨空に 9条守れの 女性デモ」。
 政治的な自由を表現することを政治的公平性、中立性ということで抑圧しています。学校教育ではもっと激しく起きています。
 政治的公平性、中立性がということが政治的規範を封じるために利用されています。権力側が都合よいように使い、当事者たちが委縮してしまいます。

 同じことがメディアで起きています。今の政権はメディアに対して公平性、中立性を強く求めます。取材でメディアが政治批判をしてはいけないと委縮していきます。
 加計問題についてさわりだけいいますと、安倍首相は2015年2月の段階ですでに加計理事長と面談し、獣医学部を作ってほしいと直接要請をうけ、いいねという対応をしています。愛媛県の文書には残っています。
 しかし安倍首相は国会で、新設の計画を初めて知ったのは2017年1月で、加計幸太郎と直接獣医学部のことについて話をしたことはないと答弁しています。安倍首相の答弁は虚偽答弁です。


 政治への忖度、政治の圧力で教育がゆがめられる、特に歴史教育がゆがめられる。ゆがめられた歴史教育をうけている子どもたちが増えてきたらどんどんおかしな国になります。
 もう一つは 国家主義的な観点からする道徳教育が政権によって推し進められています。私もそれを推し進めていた政権にいたわけです。

 ついに去年の4月から小学校で、今年の4月から中学校で道徳の教科化が始まりました。道徳の教科化とは何か。検定の教科書を必ず教材として使用すること、もう一つは子どもたちが道徳の授業を受けたことでどのように道徳的に成長したかを評価することが義務として教員に課せられました。
 道徳の教科書のなかには問題になることはたくさんあります。道徳以外でも強制されることが増えています。行動を規律していこう、校則を厳しくしていこうという傾向が教育基本法の改正以降全国的に強まっています。その一つで全国に広まっているのが無言清掃、無言給食です。
 個人の尊厳という日本国憲法がいちばん大切にしていることにはまったく触れていません。国境をこえた地球市民としての位置づけにもまったく触れていません。個と地球の欠如です。

 公教育は国が基準を決めていますが、それは憲法の範囲以内です。これが国民が憲法を作って国に守らせる立憲主義です。国は憲法の枠内でしか仕事ができません。
 そのことを広島の若い弁護士楾大樹さんが 『檻の中のライオン』 に書いています。ライオンは国家権力で、檻は国民です。国民はライオンを檻のなかに閉じ込めて鍵をかけてそこから出ないようにします。国家は憲法からはみでてはいけません。
 しかし今の道徳の教科書は憲法から導き出されないことがたくさんあります。例えば父母・祖父母に対する敬愛の念を持ちなさい。自然の感情として持つのはいいですが、父母・祖父母だから敬愛できると必ずしもいえますか。
 個人の尊厳は憲法が大切にしています。1人ひとりの命、生活、幸せが大事、1人ひとりが自分らしく生きられることが一番大事です。これはちゃんと教えなければいけません。そこから基本的人権、平和主義がでてきます。
 平和主義、戦争放棄は個人の尊厳から出てきます。戦争ほど個人の尊厳を踏みにじる害悪はありません。何百万人の尊厳が踏みにじられた第二次世界大戦のようなことは当然のことですが二度と繰り返してはいけません。

 私は、安倍政権を支えている人たちが、道徳教育について次に打ち出すのは何かと考えると、道徳の学習指導要領に天皇に対する敬愛の念を盛り込むのではないかと思います。これが入ったら教育勅語の考え方が完成します。親に孝はすでに入っています。それに天皇を敬いなさいが入ると忠と孝がそろいます。


 アメリカのホロコースㇳ記念博物館に、ファシズムを研究した政治学者のローレンス・ブㇼッㇳの言葉が書いてあります。14項目のファシズムの初期症候といわれるものです。
 1、強大で執拗な国家主義の宣伝 2、人権の重要性の蔑視 3、団結のための敵/スケープゴートづくり 4、軍隊の優位性/熱烈な軍国主義 5、性差別の蔓延 6、マスメディアの統制 7、国家の治安への執着 8、宗教と支配層エリートの癒着 9、企業権力の保護 10、労働者の力の抑圧もしくは排除 11、知性と芸術の軽視と抑圧 12、犯罪取り締まりと刑罰への執着 13、縁故主義と汚職の蔓延 14、不正選挙
 これらはすべて安倍政権に当てはまります。

 私がいちばん怖いのは憲法9条の改憲です。自衛隊を合法化するだけでなくて集団的自衛権を合憲化するということです。緊急事態条項は憲法をなきものにしてしまいます。『檻の中のライオン』 でいうと、檻のなかのライオンに外から鍵を開けることで憲法がなくなることです。

 憲法改正の4項目のうちに憲法26条3項追加があります。教育の無償化、教科書無償化、教育環境を整備するとあります。
 毒が含まれています。目的の中に、学習権の保証から外れたことが盛り込まれています。「教育が国の未来を切り開くうえで重要な役割を担うものでることに鑑みて」。国の役に立つならば環境整備をするが役に立たないならしないという論理が紛れ込んでいます。これは危険です。
 私も現役時代に帰さなくてもいい奨学金を何とか作りたいと思っていました。夜間中学校に行くための給付型奨学金の給付金が予算化されました。それ自体はいいことです。
 安倍政権が進めている給付型奨学金には大きな問題があります。
 出す大学は、産業界の要望に応える大学です。具体的には、実務家による教育が1割以上開設されている、大学の理事に産業界の代表が加わっているの条件を付けています。進学先で選別するのは問題です。なにを学ぶかは学生本人が決めればいいことです。既に起こっています。

 平和教育についてです。
 ユネスコ憲章の前文に 「戦争は無知から生じる」 と書いてあります。逆にいうと学ぶことで戦争は防げます。
 何を学ぶか。まずは隣の国の人たちのことを学ぶ、そして歴史を学ぶ、歴史に学ぶ、加害の歴史を学び被害の歴史を学ぶ、人類の歴史の積み重ねを学ぶ、核兵器を禁止する人類の知恵もあるということを学ぶ。そして世界を学ぶ、世界に学ぶ。
 現在の紛争のマイナスの面を学ぶだけではなくて、世界の知恵でどんなことがおこなわれているかも学ぶ。ICANの活動とか、国際教科書を作っているドイツに学ぶとか。
 ユネスコ憲章の前文には「戦争は人の心の中に生まれるものであるから人の心の中に平和の砦をきづかなければならない」とも書いています。これこそが本当の永久の平和の礎です。学ぶことで平和は達成されます。

 「積極的平和主義」 とは1958年にノルウェーの平和学者ヨハン・ガルトゥングが主張した概念です。単に戦争のない状態をいうのではなくて、人びとが幸せに暮らしている状態、人権が保障されている状態で生存権、学習権、表現の自由、思想の自由の条件が保証され、満たされている状況についてはじめて積極的平和主義という言葉が使われたのす。

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自衛隊は憲法違反です
2019/02/26(Tue)
 2月26日 (火)

 国会で、野党議員が以前に首相が発言した、自衛隊の息子が 「お父さん、自衛隊は憲法違反なの?」 と泣きながら聞いたというのは実話かと質問をしました。
 答弁した首相は 「私がうそをいっているというのか」 と語気を荒げました。
 話がかみ合いません。首相は自衛隊批判の発言は一切許さないというような意気込みでした。

 その少し前、「梅雨空に 『九条守れ』 の女性デモ」の俳句がさいたま市の公民館だよりに掲載されました。
 ここに至るまで大変な闘いがありました。市が 「公平中立であるべきという観点から好ましくない」 という理由で掲載を拒否したことに対して市民は訴訟を起こしました。昨年12月21日までに最高裁が市に5000円の支払いを命じる判決を出したことにより市民側の主張が認められました。
 今、憲法9条を議論するだけでも困難が伴います。

 
 子どもたちが憲法、憲法9条を知るのは学校の授業においてです。
 9条の説明・解説は、憲法前文から進められていきます。
「・・・これは人類普遍の原理であり、この憲法はかかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。・・・」
 前文と各条文は一体のものです。
 9条です
「第2章 戦争の放棄
第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」

 子どもたちだけでなく自衛隊は憲法違反なのかと聞かれたら、そうだという答え以外ありません。
 授業でそれ以外の解釈がおこなわれたら教師の読解力が問われます。意図的解釈をしたとしたら偏向教育です。

 そして第99条は 「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。」 です。
 市民が 「九条守れ」 と主張することが 「公平中立でない」 と判断するさいたま市の行為は憲法を守るなということで憲法違反です。


 たしかに9条をめぐる論争はずっと続いています。政府は手を変え品を変えて自衛隊の定着化、強化を続けてきています。
 かつては、防衛大学を受験するクラスの仲間に受検を止めるよう説得する活動が各校でおこなわれました。
 沖縄が 「返還」 されても、沖縄の住民が期待した状況はもたれませんでした。それどころか自衛隊が反対運動をしり目に沖縄に駐留を始めます。そのなかで住民は沖縄戦のとらえ直しを始めます。そして 「軍隊は住民を守らない」 の認識を強めます。現在の辺野古基地建設反対の意思表示につながります。

 自衛隊が改めて世間に曝されたのは海外派兵をめぐったPKO法案の国会審議です。自衛隊が海外に派遣されるということだけでも恐怖でした。戦闘加担だということで連日国会を取り囲んだ抗議行動が続けられました。国会内では審議を遅らせて廃案に追い込もうとする野党議員による牛歩戦術がとられました。国会内外が1つになって反対運動を展開しました。
 しかし法案が通過すると世論は変化していきました。


 自衛隊の評価を大きく変えたのが阪神淡路大震災です。
 自衛隊の災害支援活動について、18年10月12日付の文春オンライン 「『災害派遣』はいかにして自衛隊の 『本来任務』 となったのか」 に詳しく書かれています。

「そもそも自衛隊の災害派遣とはなんだろうか? 現在でこそ自衛隊の本来任務として災害派遣は位置づけられ、自衛隊法にも災害派遣に関する条文が存在する。だが、自衛隊の前身となる警察予備隊はその発足当初、災害派遣は任務として定められていなかった。
 ところが、災害が頻発した1951年には、7月、8月に福知山と善通寺の部隊が現地部隊長の判断により非公式に派遣された事例があり、同年10月のルース台風では、山口県知事の要請により、被害の大きかった山口県北河内村へ小月駐屯部隊の2個中隊300名が派遣され、物資輸送や道路啓開といった活動に従事している。このルース台風での事例が公式な初の災害派遣とされる。
 しかし、このルース台風の事例でも警察予備隊に災害派遣に関する規定はなく、総隊総監部 (現在の陸上総隊に相当) からの 『出行命令第一号』 によって派遣されている。法律の条文として災害派遣が定められたのは、1952年の保安庁法からだ。以降、自衛隊は多くの災害で部隊を派遣することになる。」

「この 『大災害には自衛隊』 という意識の浸透は、世論調査の中にも現れている。内閣府による2017年度の 『自衛隊・防衛問題に関する世論調査』 では、『自衛隊に期待する役割』 で 『災害派遣 (災害の時の救援活動や緊急の患者輸送など)』 を挙げた割合が79.2%と最も高く、『国の安全の確保 (周辺海空域における安全確保、島嶼部に対する攻撃への対応など)』 の60.9%を上回っている。
 国民が軍隊 (敢えてこう言った方がいいだろう) に見出す存在意義で、最も高いものが 「国防」 ではなく 『災害派遣』 であるのも、災害が頻繁に襲ってくる我が国らしいと言えばそうだが、この傾向が見られるようになったのは、実は割と最近になってのことだ。」

「前述の内閣府による世論調査は、1972年度から3年に1度行われているものだ (ただし、1995年度は阪神淡路大震災後に例外的に行われている)。1972年度の調査から2014年度の調査まで、自衛隊に期待する役割、存在目的について、『災害派遣』 と 『国の安全の確保』 の推移についてグラフ化してみよう。・・・
 1972年度から 『国の安全の確保』 に大きく差をつけられてきた 『災害派遣』 が、阪神淡路大震災後に行われた1995年度の調査で一気に抜き去っていることが分かる。自衛隊の存在目的を災害派遣に求める傾向は、阪神淡路大震災以降のものなのだ。
一方で、1972年度の調査の段階でも 『自衛隊がこれまでどんなことで一番役に立ってきたと思いますか?』 という質問に対し、74.4%が災害派遣と答えてトップになっている。自衛隊に対する評価とその存在目的は、多くの国民は別に考えていたことが分かる。ところが、それも阪神淡路大震災で評価=存在目的になってしまった感がある。」

「阪神淡路大震災を契機に、なぜ自衛隊に対する国民の意識に変化があったのだろうか。いくつか仮説を挙げることはできるが、ひとつは冷戦が終息し、日本周辺の安全保障環境が冷戦期と比しておおむね平穏になった時期と重なる点。実際、ソ連崩壊後初となる1993年度の調査では、災害派遣と回答する人が初めて20%を超えており、増加傾向が見られている。
 もうひとつは、1959年の伊勢湾台風から1995年の阪神淡路大震災までの30年以上、死者数が1,000名を超えるような大きな災害が起きていなかったことだ。・・・
 1959年の伊勢湾台風以降、長らく平穏な時期が続いていたことがわかる。その間に日本は高度経済成長を遂げ、阪神淡路大震災の被害の様子はカラー映像で全国に配信されるまでになった。災害映像のインパクトは計り知れない。2010年のハイチ地震は東日本大震災の10倍以上の死者行方不明者を出したが、津波が町を襲う様子が世界中に中継された東日本大震災と比べ、明らかに国際的なインパクトは小さかった。1995年当時、多くの日本人が経験していなかった大災害の映像は、その被害の大きさと共に多大な心理的インパクトをもたらしたことだろう。」

「阪神淡路大震災を契機に大きく変化した自衛隊に対する国民意識だが、そもそも当の自衛隊ではどうだろうか。先に災害派遣は自衛隊の 『本来任務』 であると書いたが、この本来任務は 『主たる任務』 と 『従たる任務』 に分かれており、災害派遣は従に該当する。主はもちろん国防だ。
 国防を第一義とする軍隊のマインドにとって、戦闘以外の任務に対する抵抗感が表出することがある。イラク戦争でイラク軍を打倒した後、米第82空挺師団の一兵士が上官に語った次の言葉が象徴的だ。『さあ、もう帰りましょう。私は下水道整備や学校建設の手伝いの最中に銃弾を食らったりするために第82に入隊したのではありません』 (福田毅 「米国流の戦争方法と対反乱 (COIN) 作戦」 『レファレンス』 2009年11月号 )。このような一兵士のマインドが象徴するように、戦闘に特化した少数部隊でイラクに侵攻した米軍だったが、この後に治安維持とイラク統治に失敗し、長期に渡り多大な犠牲を払うことになる。
 この米軍兵士ほど露骨ではないものの、自衛隊の災害派遣時でも、任務によっては隊員から不満が漏れることがある。しかし、自衛隊の広報や募集案内を見れば、災害派遣での実績が強調されているし、装備品の調達にあたってもかなり無理して災害派遣に絡めているものもある。国防という 『主』 と、現実の間に齟齬があるのは否めない。
 災害が相次ぐ現在の日本において、軍事的脅威より災害の方を身近な脅威と多数の国民が感じているのは無理からぬことだ。しかし、国民意識と自衛隊任務の乖離は、望ましいものではないだろうし、自衛隊側も無理してそれに合わせている感もある。任務のありようを見直すか、国民と自衛隊のどちらか、あるいは双方のマインドが変わるべきなのだろうか。」


 阪神淡路大震災のあと、自衛隊は1年間神戸に常駐しました。その間、三ノ宮駅前の歩道橋には 「自衛隊のみなさんありがとうございます」 の横断幕がかけられていました。消防など他の組織にはできません。暇な組織だなと実感しました。
 アメリカの軍隊は、災害支援への派遣は本来の任務ではないので最長2週間です。
 自衛隊法の 「主たる任務」 が同時期に発生したらどうするのでしょうか。そもそも人を殺すという攻撃の任務と、助けるという救援の任務は正反対です。「本来任務」 そのものが矛盾しているのです。
 現在の国際紛争をみるなら、領土争奪の軍事的戦争ではなく多くが市場獲得の経済的戦争になっています。国家が民族単位のものではなくなり、民族に関係なく交流がつづいているなかで領土争奪戦は自国民も虐殺してしまいます。
 軍備拡大が政府と軍事産業に関連する企業の企図する戦略になっています。その戦略は外交を排除して進められます。

 災害が発生し自衛隊が派遣されるたびにいわれますが、日本では自衛隊とは別の常駐の 「災害救助隊」 のような専門の組織を創る必要があります。そうでないと災害支援任務の釣り文句で自衛隊員が募集され、陰で強化・拡大されていきます。自衛隊員は混乱します。
 自衛隊は縮小・解散へと向かわせなければなりません。それはICAN運動の拡大で可能です。そのなかに九条をかかげてみると輝きは増します。

 「活動報告」 2017.12.15
 「活動報告」 2017.12.1
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アジアへの武断政治の清算は終っていない
2019/02/05(Tue)
 2月5日 (火)

 今年は、1919年3月1日に日本統治時代の朝鮮で起こった3・1独立運動から100年目を迎えます。各地でイベントが予定されています。
 1919年3月1日午後、京城のパゴダ公園で天道教、キリスト教、仏教の指導者たちは 「独立宣言」 を読み上げる計画をたてていました。しかし実行がむずかしくなったため会場を変更し、朗読と万歳三唱をしました。
 独立宣言は、「吾らはここに、我が朝鮮が独立国であり朝鮮人が自由民である事を宣言する。これを以て世界万邦に告げ人類平等の大義を克明にし、これを以て子孫万代に告げ民族自存の正当な権利を永久に所有せしむるとする。」 から始まります。
 すでに独立宣言書は2万枚以上印刷されていて朝鮮半島の各地に配布されました。
 デモ行進はその後も数カ月にわたり全国で展開されました。


 3・1を目前に控えた2月2日、在日韓人歴史資料館主催の 「2・8独立宣言、3・1独立運動 100周年記念シンポジウム」 が開催されました。「アジアにおける2・8独立宣言の意義」 をテーマに4人の研究者をからそれぞれの視点からの詳細な報告をがおこなわれました。

 シンポジウムの呼びかけです。
 1919年2月8日に東京YMCAで朝鮮人留学生たちが独立宣言を行ってから100年を迎えようとしています。この宣言はほどなくして本国・朝鮮にも伝えられ、3・1独立運動に受け継がれることになりました。
 さらには、中国では5・4運動が展開され、東アジア諸地域で民族運動が展開されましたが、これらの一連の動きの背景には、東京留学生たちの民族を超えた連帯がありました。1915年の対華21か条の要求以後、朝鮮人留学生と中国人留学生のつながりは緊密になり、さらにキリスト者との交流は出版活動などを活発化させました。また青年たちのネットワークは、にほんにとどまることなく、上海にも広がっていました。
 東京留学生たちの活動やネットワークに注目しながら、当時の時代状況を明らかにし、2・8独立運動の意義を東アジア規模で議論することをめざします。


 九州大学の小野容照教授が基調報告をおこないました。
 3・1の導火線となったのは1919年2月8日に東京神田の在日本東京朝鮮YMCAで開催された 「朝鮮留学生学友会総会」 で朗読された 「我らはここに我朝鮮が独立国であることと朝鮮人が自主民であることを宣言する。」 から始まる 「2・8独立宣言」 です。3・1運動の引き金になったといわれています。
 在日本東京朝鮮YMCAはアメリカの資金と宣教師で運営し啓蒙活動を展開していました。キリスト教徒以外にも集まってきます。
 1910年代の東京は朝鮮以外からも台湾、中国からの留学生がたくさんいました。朝鮮人留学生たちは朝鮮では出会わない東アジアの人たちと交流しました。そしてお互いに情報を発信します。

 1910年、日本は韓国を 「併合」 し、武断政治を強行します。
 12年、在東京朝鮮留学生学友会が設立され、留学生の親睦や出版・講演などによる啓蒙活動がおこなわれます。14年、機関紙 『学之光』 が創刊されます。
 14年、第一次世界大戦がはじまると日本は参戦、日独青島戦で遼東半島の利権を獲得します。
 15年、日本は袁世凱政権に21か条の要求をします。中国の反日運動が本格化します。
 15年7月~10月頃、中国人留学生が21か条の要求反対集会を開催します。ここで朝鮮留学生が独立運動の協力を要請します。これを契機に新亜同盟党を結成します。目的は 「日本帝国主義を打倒し、新しいアジアを建てる。」
 そのようななかで、先に日本に滅ぼされた朝鮮への関心が高まります。朝中連帯が始まります。
 17年、ロシア革命勝利。レーニンは 「平和に関する布告」 で民族自決権を提唱します。
 18年、ウィルソンが対抗措置として民族自決権提唱。
 18年11月、第一次世界大戦が終結。パリ講和会議で民族自決権が議題になります。
 上海にいた呂運亭がウィルソンの使者クレインと接見、パロへの代表派遣を希望します。
 18年11月28日、新韓青年党を結成。パリに代表を派遣します。
 新韓青年党の動きが伝わり、朝鮮青年独立団が組織され 「2・8宣言文」 を作成します。
 19年1月末、李光洙が上海に、宋継白が朝鮮半島に 「2・8宣言文」 を持っていきます。宋継白は学生帽の裏側に宣言書を隠して持ち帰ったともいわれて、
 「2・8独立宣言文」 は、「万国平和会議 (パリ講和会議) に民族自決主義を吾族にも適用せんことを請求」 し、朝鮮語・日本語・英語で作成し各国の大使館に送付します。「2・8独立宣言」 は国際社会に向けて発信したものでした。
 19年2月8日、日本東京朝鮮YMCAで学友会の予算総会で偽装した集会で朗読します。主要メンバーは逮捕されます。
 3月1日、3・1独立運動でまかれた宣言書は朝鮮民衆に向けて発信されました。
 19年3月19日、吉野作造ら日本の進歩的知識人を網羅した団体・黎明会例会に、2月8日の逮捕を免れた留学生が出席します。日本人との交流の幕開けとなります。

 2・8、3・1後、国際連盟など世界平和の動きに呼応した大日本平和協会は主だった台湾と朝鮮の留学生を招待して懇談会を開催します。「日本は早くに2つの植民地に自治を与えなければならない」 という日本人の発言に、台湾からの留学生はさも我が意を得たりと喜んだのに対し、朝鮮からの留学生は独立でなければ嫌だと席を蹴って退場しました。双方の歴史的背景に相違がありました。


 続いて大阪大学の裵姈美さんが 「『2・8独立宣言』 がもたらしたもの―留学生と朝鮮総督府・日本の両方において―」 のタイトルで報告しました。
 「2・8独立宣言」 に込められた留学生の認識について詳細に紹介しました。
・朝鮮民族は 「日本の軍国主義的野心の詐欺、暴力の下で我が民族の意思に反する運命を
 強制された。正義をもって世界を改造しようとするこのとき、当然匤正を世界に求める権利
 があり・・・」、「韓国併合」 は朝鮮人全ての自由と生存の権利まで奪った 「東洋平和の禍根」
・日本の朝鮮統治政策は朝鮮人の 「人権を侵害」 する 「非人道的」 なもの
・朝鮮人・日本人間に 「優劣の差別」 を設ける 「武断専制不正不平等」 なもの
・ロシアと中国は 「軍国主義野心を抛棄し、正義、自由と博愛を基盤とする新国家を建設」 中、
 国際連盟が実現すれば 「再び軍国主義的侵略を敢行する強国は無くなる」
・「正義と自由を基盤とした民主主義の上に、先進国の範に随い、新国家を建設した後には
 建国以来、文化と正義と平和を愛護する吾族は日本や或いは世界各国が吾族に民族自決
 の機会を与えることを要求し、万が一そうでなければ吾族は生存のために自由行動をとり、
 吾族の独立を期成することを宣言する」

 「決議文」 です。
・「韓国併合」 は朝鮮人の自由意思によるものではなく、朝鮮人の生存の発展、東洋平和を
 妨げるものであるため、独立を主張する。
・朝鮮の運命を決める場として朝鮮民族大会開催を要求する。
・講和会議に対して朝鮮にも民族自決主義を適用することを要求し、委員を派遣する。
・要求が受け入れられなければ、日本に対して 「永遠の血戦」 を宣言する。それによる
 「惨禍」 は朝鮮人の責任ではない。

 つづけて留学生の2・8独立宣言以降の世界観の変化、民衆の発見と労働者との連帯、「内鮮融和」 との闘いについて 『学之光』 などから紹介しました。
 さらに朝鮮総督府による留学生管理体制の整備などについて報告されました。

 内鮮融和がすすめられましたが、それに対する抵抗運動もおこります。団体間で対立します。留学生にとって内鮮融和は到底受け入れられないものでした。
 1919年5月、内務省警保局は通牒をだし、通帳留学生は取り締まりの対象になります。


 「中国史研究からのコメント」 を埼玉大学の小野寺史郎さんがおこないました。
 19年1月にパリ和平会議が始まると、中華民国も戦勝国として代表団を派遣します。代表団は大戦中になされた21か条要求の有効性を否定し、また清末以来の不平等条約の改正を主張します。
 しかしベルサイユ条約では山東半島の旧ドイツ権益は中国への変換を前提としつつ日本に譲渡されることになります。
 中国国内では条約の調印拒否と山東利権回復を訴える世論が高まります。
 5月4日、北京の学生は山東利権の回収と対日交渉担当者の鋪面を訴えて天安門前からデモを行い、アメリカ公使館に請願書を提出します。さらに北京の学生はゼネラル・ストライキに発展していきます。

 ただし、現在は、「2・8宣言」、「3・1運動」 との連携についての評価、反帝国主義かナショナリズムかというとらえ方については分かれているといいます。


 東アジアの歴史をとらえる時、「日韓併合」から始まり終戦までつづいた日本の侵略・武断政治支配の清算はまたすんでいません。戦後はそれらをなかったこととにしたり、ほうかむりをして 「友好」 を押し付けて現在に至っています。
 「2・8宣言」 に盛り込まれた訴えを捉え返し、「3・1運動」 の思いを捉え返しながら、真の友好・交流をすすめていかなければなりません。


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たまにはため息も
2019/01/11(Fri)
 1月11日 (金)

 1956年から75年まで、3月になると東北本線に集団就職列車が走っていました。75年に15歳だったらまもなく定年退職、18歳だったら定年を過ぎています。
 64年には 「あゝ上野駅」 がヒットしました。上野駅には夢よりも不安を抱いて降りました。
 65年には 「金の卵」 が流行語になりました。今と同じように労働力が不足していた時代に人集めのためのフレーズでした。
 彼等は、年末になると、新品の服にコートを羽織り、お土産を両手にかかげて上野駅に集まります。それまで履いて来た傷だらけの靴は駅前の店で買い替えます。靴屋には脱ぎ捨てられた靴の山ができたといいます。脱ぎ捨てられた靴から、田舎の家族には見せまいとするそれまでの苦労が伝わってきたといいます。
 元気で立派な姿を見せて安心させました。

 現在の外国人労働者、技能実習生の置かれている状況をかつての 「金の卵」 と似ているといった人がいました。なかなか労働力が集まりにくい仕事に就かされ、耐えられずに数年で離職する者が多かったのも確かです。「石のうえにも3年」 は長すぎる時間でした。高度経済成長期には田舎も人手不足でしたので戻ることも可能でした。

 昨今は、集団就職列車に乗って上京した人たちがお正月に帰省することも減ってきています。故郷が時間的にも感覚的にも近くなり、お正月のまとまった休暇を利用しなくても簡単にできるようになりまいた。消滅してしまった田舎もあります。


 12月29日配信のヤフーに、47年間新橋駅前で靴磨きをしている87歳の中村さんが平成世相の変化について 「みんな、足が速くなったわね」 と話すインタビューがありました。

 中村さんについては13年2月22日の 「活動報告」 でも書きましたので再録します。
「・・・昨年の有線放送大賞候補のなかにあさみちゆきが歌う 『新橋2丁目7番地』 がありました。

  1.うすい座布団 一枚で
    地べたに座って 四十年
    時が流れて 人が流れる
    濁流うねる この都会(まち)で
    流されまいと 流されまいと
    小石のように うずくまる
    靴を磨けば こころも晴れる
    今日も元気に がんばって
    雨の日も 風の日も
    新橋二丁目 七番地

 有線放送から流されるとリクエストが次々と寄せられました。
  「流されまいと 流されまいと
   小石のように うずくまる」
 昨今の哀歌そのものです。だから中村さんのことではなくサラリーマンへの応援歌だといわれています。
 新橋駅を利用するのは労働者というよりはサラリーマン、そして官公庁の職員たちです。おばあさんは客の靴から、そして通り過ぎる人たちの姿を40年間、「虫の目」 で見てきました。

  2.こんな私に 出来たのは
    一生懸命 生きること
    秋の夕暮れ ひとつため息
    赤チン色の 赤ちょうちん
    一杯飲めば 一杯飲めば
    人間なんて 立ち直る
    靴の汚れは 心の汚れ
    夢も磨けば また光る
    雨の日も 風の日も
    新橋二丁目 七番地

  「秋の夕暮れ ひとつため息
   赤チン色の 赤ちょうちん」
 客が靴を磨いてもらうためには、束の間パイプ椅子に座ります。そしてため息をつきます。ため息をつく心情が靴の汚れにも出ています。人は立ったままでは 「心の汚れ」 =ストレスは取れません。身体が落ち着かないなかでは心が落ち着くことはありません。その束の間が 「心の汚れ」 =ストレスを解消します。
 そして同じようにため息をつきたそうな人たちが、寒くてひび割れをした時などに塗る赤チンと同じ色の赤ちょうちんに入っていきます。心の憂さをアルコールに浸します。そして翌日の活力を回復します。
  「靴の汚れは 心の汚れ
   夢も磨けば また光る」
です。

 靴を磨いてもらう姿は対面です。中村さんは黙っていても足先から 「エンパワーメント」 するカウンセラーの役割を果たします。「はい、きれいになりましたよ」 と言われて磨かれた靴を見た時、それまでと違う自分になれます。だから 「夢も磨けば また光る」 のです。

 新聞に載っていた御徒町駅前で靴磨きをしている方のエピソードです。
 会社訪問をしている学生が黒ではない靴を履いていました。上手くいっている様子ではありません。「会社の中には格好で判断するところもあるから、安くてもいいから黒い靴を買って訪問した方がいいよ」 とアドバイスしました。
 すると後日、学生が内定をもらったと報告に来たということでした。靴の色を変えたからかどうかはわかりません。しかし靴磨きの方の 「エンパワーメント」 が学生の意識を攻勢的にさせたのは事実です。

  3、明日はきっと 明日はきっと
    いいことあるさ 大丈夫
    つらい気持は 靴みりゃわかる
    今日もあなたは がんばった
    雨の日も 風の日も
    新橋二丁目 七番地

  「つらい気持は 靴みりゃわかる
   今日もあなたは がんばった」
 つらい気持ちが伝わるのは汚れだけではありません。減り具合です。
 営業先の顧客の対応、社内での上司の視線などなどが浮かんできます。
 しかし、会話はなくてもその心情をちゃんと受け止めているように、中村さんはせっせと手を動かし続けて磨きあげます。
 
 靴磨きを生業とする人は減っていきました。急激に減ったのは64年の東京オリンピック開催のためです。
 東京オリンピックは、多くのものを排斥し、隠しました。都心から集合住宅を移転させました。どぶ川に蓋をしてコンクリートの歩道にしました。川の上に高速道路を走らせました。
 人々が生活していた街を破壊しました。「鳥の目」 からはコンクリート群が見えます。それが 「立派に立ち直った日本の姿」 なのです。

 今、オリンピックの東京招致が叫ばれています。今度は何を排除し、隠すのでしょうか。
 コンクリートは立派でも労働者が生活しやすい街ではありません。
  「濁流うねる この都会(まち)で
   流されまいと 流されまいと
   小石のように うずくまる」
 東京は、息苦しい街です。みな、ため息をつける場所を探しています。

 日々の労働相談では、『新橋二丁目7番地』 の中村さんと同じような心情に至ることがしばしばです。」 


 それから5年、世相が変わっています。
 インタビューは昨年末です。
「『朝はね、9時半くらいからよ。午前中はパーッとお客来るんです。1日そうね、30人くらいは来るね。なんだかんだで夜までね。・・・』
『人の流れが速いわねぇ。みんな、足が速くなったわね。ゆっくりする暇がないんだか、ちゃっちゃちゃっちゃ通りますよ。前はね、この辺で、3人くらいで並んでしゃべっている女の人もいたけど、もうね、じっとしてる人を見なくなった。ゆったりしてるところがないの。一生懸命だから足も速くなるのかね』

 大勢のサラリーマンが急ぎ足で通り過ぎていく
『今はみんないい靴履いてるわね。イタリーとかスペインの靴とかね。きれいよ。昔は違うの。汚れてるから来るの。悪い靴でも磨いたんだけど、今はいい靴ばっかり。いい靴履いてるけど、もっとよく見せたいっていう人が多いのね』
『女性のお客、増えたわね、最近。10年くらい前から。でもひとりもんが多いの。30でも40でも結婚したことないっていう人が多いわね。なんでかしらね。今、男の人はね、『奥さんが(靴)磨いてくれない』って。『外で磨いてらっしゃい』 って言われるんだって。磨いてくれる奥さんもいるみたいね。でも 『きれいに磨かないんだよ』 って言うから、『それ言っちゃダメよ』 って。奥さんがっかりして磨かなくなるから。『きれいになった』 って言っときなさい、って言うの』

 客から悩みを聞くことも多いという。
『子供ができないだの、借金だらけだのってね。よくね、電車ね、毎日のように人身事故あるでしょ? 暮れになると必ずあるもの。人間ね、やっぱり死んだらいいことないんだからね。『生きてね』 って言うの。『コツコツ、一生懸命生きてね』 って。私だって苦労したんだよ。今でも苦労だよ、ふふふ。他人は良く見えるのよ、他人は。でもみんなそれぞれね、悩みがあるの。私はこんなとこ座ってね、みじめだなと思ったけど、今は思ってない』
『靴はね、大事に履きなさいって私言うの。どんなに古くても、磨けばきれいになるから。まだ履けるから。底が大丈夫なうちはね、少し破れたって、磨けばね、元通りに近いようになるんだから』

 靴墨で汚れた手。長年の仕事で
 指紋は薄くなった中村さんは靴墨を素手で塗り込む。手は真っ黒だ。
『黒くなんなきゃ商売になんないでしょ。こんなのね、洗えば落ちるのよ。手の汚れは洗えば落ちるけど、人の心の汚れは落ちないのよ。お客さんがきれいになれば、私は汚れようがなんだっていいのよ。私の名前は幸子。幸せな子。だから、幸せにしたいの。みんなを幸せにして、自分が幸せになる。みんなが幸せにならなかったら、私も幸せになれない。平成終わったって、仕事やりますよ。いつまでって? 死ぬまでよ」


 「いい靴履いてるけど、もっとよく見せたいっていう人が多いの」 の社会は生きづらいです。
 さらにロボットの頭脳に人間は支配されていくのでしょうか。
 さらに、コンクリートや経済の数字の大きさを見せびらかす20年のオリンピックは今度は東京から何を消すのでしょうか。
 世の中がせわしくなりました。
 でも、たまには立ち止まりたくもなります。「ひとつため息」 をつきたくなります。それも大切なことです。
 2019年はそれができる年にしたいと思います。

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