2017/09 ≪  2017/10 12345678910111213141516171819202122232425262728293031  ≫ 2017/11
連合 「勝手に決めるな!」
2017/07/25(Tue)
 7月25日 (火)

 7月13日、連合の神津会長は安部首相と会談し、これまで反対の姿勢を表明してきた 「高度プロフェッショナル制度」 の創設を条件付きで容認する姿勢を表明したことを明らかにしました。そして3月ころから水面下で政府と交渉をつづけてきていたことも明らかにしました。
 「高度プロフェッショナル制度」 はいわゆる 「残業代ゼロ法案」 です (2015年2月17日の 「活動報告」 参照)。労基法を改正する法案は2015年4月に国会に提出されましたがこれまで一度も審議がおこなわれていません。

 労働政策にかんする決定・変更には必要な手続きとして政・労・使で構成される労働政策審議会での議論が必要です。
 「高度プロフェッショナル制度」 に関する労働政策審議会の建議は2015年2月13日に 「今後の労働時間法制等の在り方について (報告)」 として行われました。報告書から 「高度プロフェッショナル制度」 に関する部分を抜粋します。
「4 特定高度専門業務・成果型労働制 (高度プロフェッショナル制度) の創設
 時間ではなく成果で評価される働き方を希望する労働者のニーズに応え、その意欲や能力を十分に発揮できるようにするため、一定の年収要件を満たし、職務の範囲が明確で高度な職業能力を有する労働者を対象として、長時間労働を防止するための措置を講じつつ、時間外・休日労働協定の締結や時間外・休日・深夜の割増賃金の支払義務等の適用を除外した労働時間制度の新たな選択肢として、特定高度専門業務・成果型労働制 (高度プロフェッショナル制度) を設けることが適当である。
 なお、使用者代表委員から、高度プロフェッショナル制度は、経済活力の源泉であるイノベーションとグローバリゼーションを担う高い専門能力を有する労働者に対し、健康・福祉確保措置を講じつつ、メリハリのある効率的な働き方を実現するなど、多様な働き方の選択肢を用意するものである。労働者の一層の能力発揮と生産性の向上を通じた企業の競争力とわが国経済の持続的発展に繋がることが期待でき、幅広い労働者が対象となることが望ましいとの意見があった。
 また、労働者代表委員から、高度プロフェッショナル制度について、既に柔軟な働き方を可能とする他の制度が存在し、現行制度のもとでも成果と報酬を連動させることは十分可能であり現に実施されていること及び長時間労働となるおそれがあること等から新たな制度の創設は認められないとの意見があった。」
 労働者代表委員からは高度プロフェッショナル制度は認められないという意見が述べられたと明記されています。連合会長は 「方針転換ではない」 と力説しますがどう見ても大きな方向転換です。
 連合会長の容認の表明は労政審を否定し、「建議」 を愚弄し、実質的法改正の内容を国会以外で決定するものです。これまでも労政審は 「政・使・使」 で構成されていると揶揄されてきましたがそれをも飛び越えています。


 長時間労働を合法化する動きはこれまでもありました。
 98年9月25日、男女雇用均等法と労働基準法が改正されました。均等法では男女差別禁止の強化がはかられましたが、引き換えに女性労働者に対する時間外労働、休日労働、深夜労働の規制などが撤廃された。時間外労働、転勤などを了承して男性並に働く女性労働者については男性と同じような処遇をするチャンスを与えるというものです。
 法改正で労働時間についての規制が撤廃されたといえる状況になりました。使用者はやり放題です。この中で労働者に成果主義賃金制度、ノルマ・評価制度が導入されます。
 法改正に際して全国で反対運動が盛り上がり、連日反対する労働者と労働組合は国会を包囲し、労働省前で抗議行動を続けました。
 今捉え返すと、この時に労働者と労働組合は女性労働者と同じように男性労働者の労働時間規制の対案を出して長時間労働の問題提起をすべきでした。

 2005年6月21日に日本経団連が 「ホワイトカラーエグゼンプションに関する提言」 を発表すると反対運動が盛り上がりました。同時に、合わせて行われようとした労働契約法の制定についても議論がまき起こりました。労働契約法案は現在の内容とは大きく違います。
 「ホワイトカラーエグゼンプション」 導入は労基法改正によってです。当時の労働契約法案反対の意見は、労基法を改正して盛り込めはいい項目をなぜ新たな法律として独立させるのかということでした。労働契約法で労使の契約・労働条件が 「民民契約」 として個別的に決定されていくと強制法規である労基法、労働組合法が持つ集団的労使関係が否定されてしまう危険性を指摘したものです。そのなかでホワイトカラーエグゼンプションが導入され、その条件である年収基準がどんどん下がっていったら労基法は機能しなくなることを危惧しました。
 このような労働法制の流れを見るなら、ホワイトカラーイグゼンプションの導入は、単に 「残業代ゼロ」、過労死が増大するという問題だけではありません。それまでの労使関係が崩壊し、労働者の働き方 (働かされ方)、労働に対する価値観を強制的に変革させられて、会社と一体化してがむしゃらに働く労働者群を作り出す労働者群を作り出そうとするものでした。
 ホワイトカラーエグゼンプションに対して労働者と労働組合は 「残業代ゼロ」 のスローガンを掲げて反対の声を大きくして阻止しました。同時に労働契約法案も大きく修正させました。しかしこれ以降、労働時間短縮の闘争は取り組まれず、長時間労働・ 「過労死」 の問題は忘れられて放置されたままでした。
 今捉え返すと、この時に労働者と労働組合は 「残業代ゼロ」 ではなく、「残業ゼロ」 の対案と 「ワーク・ライフ・バランス」 を問題提起すべきでした。
 
 政府が推し進めてきた “働きかた改革” は、ホワイトカラーイグゼンプションの焼き直しをした変化球による攻撃でした。しかし “働きかた改革” の議論の最中にも過労死が起きています。長時間労働・過労死の問題は、全国過労死を考える家族の会の闘いなどで社会問題として取り上げられるようになってきました。
 電通でおきた過労自殺に労働組合も連合にも自分たちの仲間が殺されたという自覚がありません。もしかしたら仲間とすら思っていないのかもしれません。今の連合にとって仲間は 「政」 であり 「使」 なのです。過労自殺にたいして労働組合は会社の共犯者です。仲間というよりは今はやりの言葉でいうなら 「お友達政・労」 です

 連合についての評価は発足当時からさまざまに分かれます。労使協調路線に純化した、経済界のふところに抱え込まれた、発足時はそう思われなくても遅かれ早かれ戦時中の 「産業報国会」 の二の舞になるなどなど。
 今回、会社と一体化してがむしゃらに働く労働者群を作り出すことを容認するということでは 「産業報国会」 を連想させます。今、政治が戦前回帰していますが、労働組合も巻き込まれています。すでに 「産業戦士」 ならぬ 「企業戦士」 の多くが過労死してきました。また 「官製春闘」 になんの恥じらいも感じません。
 ユニオンショップで組合員を強制的に加盟させている企業内労働組合の集まりである連合は、政府や経済界がお墨付きを与えられたからといって労働者の代表とはよべません。


 労働条件を規制するには2つの方法があります。1つは国が法律によって。2つ目は労働組合の力です。しかし日本では2つともあてになりません。そして今回の連合神津会長と安倍首相との会談はそのどちらでもありません。
 今回の会談が明らかになると、連合本部まえで抗議行動を行なう労働組合があらわれていました。労働者にとっては必死の思いです。連合はその思いと乖離しています。

 それにしても連合という組織の運営方法、民主主義にも驚かされます。組織としての合意がいとも簡単に反故にされています。代表が必要だと思ったら運動方針を勝手に変更することが許されるのでしょうか。傘下の労働組合は諮問機関なのでしょうか。民主主義が存在しません。
 しかし会長の独走も “諮問機関” は承認するという判断があったからおこなわれたのです。なめられています。

 イギリスのシドニー・ウエッブの 『産業民主制論』 には、民主化という言葉に2通りの意味があるとあります。東大学長だった大河内一男は終戦直後の労働組合の状況についてインタビューに答えていますが、そこで 『産業民主制論』 について触れています。
「『組合民主主義』 の問題というのが日本ではあまり検討されなさ過ぎているのではないかという感じが、ぼくには非常に強かったのです。たとえば民主主義の労働組合運動というと、いつも指導者が政府や経営者を相手に派手に闘争するんだというような、外を向いて相手と闘争する組合の姿だけが話題になってしまう。
 これに対して、組合内部が、1つの組織体として、近代的にどれだけ民主化されているのか、団体としての意思決定はどのように行なわれるのか、それがどう執行され、誰が何に対して責任をもつのか、さらに組合の役員はどういうふうにして選出されるのか、組合の財政はどう民主的に運営されているのか、そういった組合内部のガバナンス面と、あるいは内部統制の面は、日本ではどうも関心がもたれなさすぎるのではないか、そう思った。労働組合というものは、外に向かっては闘争体であるとともに、内に向かっては1つの経営体でなければならないのですが、その点の重要性は、ウエッブが強調していたほどには日本では誰も感得していないのではなかったでしょうか。」 (『大河内一男 社会政策四十一年 記憶と意見』 東京大学出版会 1970年) 

 労働組合は時には交渉相手に持っている力以上に強がる必要もあります。かつての春闘ではトップ交渉に力点が置かれ、対等な立場で交渉ができることを労使の民主主義ととらえられました。その時には一糸乱れぬ姿勢を示すことが必要です。そのなかで多様な意見は吸収されずに抑圧されていきます。それを団結と呼びました。
 トップ交渉に力を入れる裏側で、下部での戦いはおろそかにされ、労働組合の力は奪われて空洞化していきました。ますます上意下達の組織となります。
 しかし本当の強さは職場での日常的闘い、そこで醸し出される知恵、想像力などによる工夫などと成果の共有です。それが忘れ去られました。
 日常的闘いと監視がないと 「政」 と 「使」 にからみとられます。労働組合の力は数ではありません。


 今回の 「事件」 を契機に組合民主主義というものを連合傘下の労働組合だけでなく点検してみる必要があります。
 かつてホワイトカラーエグゼンプションの導入を阻止したのは連合の力ではありません。全国のどこにも組織されていない小さな労働組合・ユニオンや個人の労働者、市民の怒りが一つになって勝ち取ったものです。
 もう一度そのような力を 「政」 「使」 だけでなく連合にも見せつけるときがきました。

   「活動報告」 2017.7.11
   「活動報告」 2015.2.17
  当センター「いじめメンタルヘルス労働者支援センター」ホームページ・ご相談はこちらから
この記事のURL | 仲間・連帯・団結 | ▲ top
治安維持管理を補強した “隣組”
2017/07/11(Tue)
 7月11日 (火)

 6月15日に強行採決された 「共謀罪」 は7月11日に施行されました。
 13年12月に成立した特定秘密保護法、15年7月に成立した安保関連法と 「共謀罪」 は一体のものです。軍事体制に合わせて治安維持管理体制が強化され、監視社会は事前に 「心の中まで監視され」 ることが合法化されます。事前とは日常的にということです。法律の成立だけで人びとは恐怖感と不安感に襲われます。これもこの法律の1つの目的です。
 「共謀罪」 は戦前・戦中の治安維持法に似ているという指摘があります。治安維持法は1925年に成立しますがすぐには行使されませんでした。今回もそうなのでしょう。
 権力の治安維持は法律で上から押さえつけるだけでは完成しません。横から、お互いの監視をさそい、猜疑心をいだかせることで相乗効果が生まれます。今、政府は監視社会を強め、まさしく 「国家と、社会と、個人のあいだの関係を変える」 ことで “強い国家” を作り上げることを狙っています。


 戦前・戦中に人びとを監視させたのが “隣組” で、工場においては産業報国連盟でした。
 明治政府は中央集権国家を目指しますが、支配権力は市町村の末端までは貫徹しませんでした。そのため部落会や町内会組織を利用しようとしますが、そこでは古くからのボスが支配している状況やその地方がもつ独特の問題がありました。徴兵令を成功させるためには 「郷土〇〇隊(団)」 などを組織しますがそれだけでは不十分でした。

 第二次世界大戦において、日本は当初から資源や食糧が不足していました。その確保を中国と東南アジアに求めていくなかで泥沼に陥っていきます。戦争を継続していくには人びとの動員を可能にするあらたな組織が必要となります。
 2014年11月26日の 「活動報告」 の再録です。
「中国との戦争の初期の段階で、中央政府の官吏は、やがて資源が不足して配給制度が必要となるであろうという見通しをもちました。だがその配給制度は、これまで日本では試みられたことがないので、突然に設立するというわけにはいきません。そのためには何らかの教育機関が必要で、それらを通して市民が、配給に馴染んでいくということが望ましいと考えられました。」 (鶴見俊輔著 『戦時期に本の精神史 1931-1945年』 岩波書店)
 1938年、東京市役所の区政課長をしていた谷川昇は、徳川時代の近所付き合いの5人組を復活させて、隣組という新しい名前を与えることを思いつきます。東京市長はこの案を受け入れて、5月19日の東京市の布告に乗せました。
「このとき谷川課長は、徳川時代の5人組という制度だけからではなく、幕末の二宮尊徳の構想した近所の互助組織からも示唆を得ています。ただし、この自発的な相互互助という側面は、谷川課長の意図にはあったとしても、1938年から1947年にかけての隣組制度の歴史においては、実現されませんでした。1947年までというのは、この制度が、占領時代の政府の指令によって廃止されたからです。
 隣組は、政府によって定められた政策を民衆生活のところまで下げていくというための道具として用いられました。……この組織は、すぐに中央政府高等官僚と陸軍軍人に乗っ取られて、これらの役人と軍人が市民の日常生活を細部に至るまで監督しそれに干渉する機関となりました。」 (『戦時期に本の精神史 1931-1945年』)

 隣組についての具体的なことについて、秋元律郎著 『太平洋戦争下の都市生活 戦争と民衆』 からみてみます。
 例えば東京の下町と山の手では住民の近所づきあいは違っていました。特に山の手では交隣共同といった習慣があったわけではありません。
 1940年の内務省訓令で、部落会および町内会が 「市町村ノ補助的下部組織トスルコト」 とされ、さらに大政翼賛会が翼賛運動を徹底させるために、活用しようとします。それは地方制度としての部落会・町内会を、市制あるいは町村制のもとにおくというのではなく、内務省が訓令をもって整備させ、指導・監督していくということです。さらに一歩進めて 「自然発生的隣保共助の精神を生かすような適正な立法」 がおこなわれます。つまりは、国家としての支配体制も変更されます。これが隣組です。
 しかし 「隣組は、こうした階層間にわだかまる人間関係のもつれを、陰湿な世界におしこめたまま、みせかけの平等化をおしすすめていったといえる。」 といいます。
 そのため、東京市市民局長などがかかわって 『隣組読本』 を作成して推進をはかります。
  『隣組読本』 です。
「事実、隣組は部落会などと違って、その困難さは大いにあるであろう、然しながら、他に私共の個人主義的な都会生活を再編して、国家の要求であるところの協同による新しい生活、国家目的に協力する奉仕の生活体制を作る方法があるかどうかというと、一寸見当たらないし、また考へつかない。結局この隣組が一番いいということになる。」

 隣組の組織化が強制されていきました。
「たんに臨保共助の美風の協調だけにあったのではない。この公権力を背景とした国民統合策とは、防空・防火・登録、配給、資源回収、国民貯蓄、衛生、消費規制、防諜等といった業務がともなっていたのである。……しかもそこに行政から注入されてくる業務が、個々人の行動の一挙手一投足や、生活の細部まで規制する力をもって、さまざまな領域で個人の生活を拘束してくる。当然、そこにはこれを仲介し、統括する政治的人間があらわれてくる。こうなれば問題は、もはや純粋な地域集団の生活や機能をこえたものとなる。」

 中央-府県-市町村-町内・部落-隣組の系統にしたがって常会という少なくとも月1回の定例集会を運営します。そして種の地域常会から、職能常会および職場常会というふうに広がっていきました。
「つまるところ常会は、時局認識と相互教化のための寄合いであり、上位下達の貫徹をはかるために仕組まれた装置にほかならなかった。だからこれを徹底化するためには、完全に常会を日常的な催しとしなければならなかったし、一貫した統制のもとにおいておく必要があった。
 タテマエはともかくとして、実際にはギスギスした人間関係を内にひめた隣組生活を軌道にのせ、これを活性化していくためには、どうしても日常的接触を量的にふやし、相互教化の場を制度化していく必要があった。これを疑似自発性によって粉飾したのが常会だったのである。」
 そして大政翼賛会の傘下におさめられ、1943年月に、従来の指導と運営とを再批判して 「戦ふ常会」 の強化に乗り出します。


 隣組は工場の中にも組織され浸透していきます。5月12日の 「活動報告」 の再録です。
 戦前の戦時体制への流れを、アンドルー・ゴートン著 『日本の200年 徳川時代から現代まで』 (みすず書房) からみてみます。
日本軍は中国大陸でのはげしい抵抗にあい、予定していた資源を獲得できなくなります。さらに多くの兵士にも多くの犠牲が出ました。
「近衛内閣は1941年に国家総動員法をもちいて、経済体制の総仕上げをおこなった。すなわち、重要産業団体令を公布することによって、統制会というシステムを導入した。重要産業団体令は、各産業ごとに 『統制会』 と呼ばれる巨大カルテルをつくる権限を商工省に付与するものだった。
 統制会は、それぞれの産業内で、原料と資本の分配を決定し、価格を設定し、各企業に生産シェアと市場シェアを割り当てる権限をもった。実際には、各統制会の理事に名を連ねたのは、財閥系企業の社長たちと官僚たちだった。国家と協力することによって大企業は、これらのカルテルと統制会の運営について大きな影響力をもちゃっかりと保持した。」

 政府は戦争に反対する潮流、とりわけ労働組合の抵抗をおそれました。そのためにさまざまな懐柔をすすめながら一方で徹底した弾圧を行ないます。
経済効率を高めて社会秩序を確立するにはトップダウンの動員にかぎる、と主張する者たちは、こうした経済面の改革と平行して労働新体制の整備も推進した。1930年代のなかば以降、内務官僚と警察官僚たちは、労働者側と経営者側の代表で構成する懇談会の設置を工場ごとに義務づけ、個々の懇談会を地域連合、さらに全国連合へとピラミッド方式で組み入れる、という構想を練っていた。
 1938年7月、内務省と厚生省は、産業報国連盟 (略称産報) という表向きは独立した自主的な労働組織だが、実態としては官製の労働組織を発足させた。残っていたごく少数の労働組合の大半は、すでに戦争を支持し、経営者に協力的な態度をとっていたが、これらの組合は産報とひっそりと共存した。多くの大企業は、1920年代に組合に代わるものとして発足させていた既存の職場懇談会の名称を変更して、単位産報組織へと再編した。……
 1940年、第二次近衛内閣は産報を再編し、政府直轄の大日本産業報国会を創設した。政府は、まだ存続していた500の組合 (組合員36万人) を解散させ、新たな産業組織に参加させたほか、全国のすべての向上に産報懇談会の設置を義務づけた。1942年には、工場レベルの産報組織は約8万7000人を数え、合計約600万人の労働者を擁するまでになった。
 産報運動の推進者たちは、産報の末端組織として工場ごとの懇談会が経営者と従業員の士気を高め、双方の連帯感を育むと同時に、アジアにおける 『聖戦』 のための生産拡大に寄与するものと期待していた。……
 しかしながら、産報が、ホワイトカラーとブルーカラーの従業員がともに加入する職場組織の先例を打ち立てた、ということは少なからぬ意味をもった。産報は、あらゆる従業員が国にとっても、企業にとっても重要なメンバーだとする見方に、公式に、しかも明確なかたちでお墨つきをあたえたのである。やがて戦後の労働組合運動は、この戦時中の先例を基礎として出発し、先例を転換しながら展開していくことになる。」

 産報は、労働者にとっては自分らも参加している組織です。そこでの処遇は、ホワイトカラーとブルーカラーは同じです。そして聖戦の勝利を訴えて我慢を強い、不満を 「貧しさの平等」 で解消していきます。

 実際の体制はどうだったでしょうか。
「全体としてみれば、国家の動員計画は、計画が掲げていた国家の 『改造』 というもっと野心的で、全体主義的とさえいえる目標には到達しなかった。限定されていたとはいえ、かなりの多元主義が存続しつづけた。経済体制も、産業報国連盟も、大政翼賛会も、日本の臣民を国家の全面的な支配下に置いたわけではなかった。しかし、社会を戦争に向けて動員し、その過程で社会を変革する、というこの運動が、国家と、社会と、個人のあいだの関係を変えたことは確かである。国会は周縁的な機関に成り下がった。」
 多くの人びとに犠牲を強いながら財閥の資本家はさらに大きな富を築いていました。


 では昨今の隣組は何でしょうか。
 安倍政権のなかで開始された 「マイナンバー制度」 には1人ひとりのあらゆる情報が集めて管理しようとするものです。「ストレスチェック制度」 は、個人の “こころの問題” をさらけ出させた健康状態を自分以外の誰かに管理されます。
 そして、携帯、インターネット、ツイッターでは出所不明の情報が流され続け、否が応でも目に入ってきます。その情報はすこしづつ浸透していきます。個人が管理できないところで情報が流出されています。時には自らも他者の情報を流出する行為に組したりします。届いた情報に返事をしないと仲間はずれにされるという思いから迎合する返事をします。攻撃のターゲットにされると見ず知らずの者からも人格否定をふくめて攻撃を受けます。かつての隣組以上です。
 携帯、インターネット、ツイッターは 「共謀罪」 などの反対の抗議集会への参加も呼びかけられ、運動の盛り上がりに役立っていますが、そもそもは軍の情報収集が目的で開発されたものであるということを忘れてはいけません。機種は自分のものであってもそこを通過する情報管理は他者がおこないます。使用に際しては自己管理をもっと徹底し、人権、個人保護が認識する必要があります。

 戦時中、厚生省が創設されたのは “強い兵士” と “強い産業戦士” を育てるためでした。
 産業報国連盟の体制から抜け出せないままで日本の戦後の労働運動は出発しました。
 安倍政権は、官製春闘を組織し、“働きかた改革” を推し進めています。しかしこれらは本当に労働者のためをおもってのことではありません。“働きかた改革” は生産性を向上させるのが本質的目的です。
 さらに労働組合を無力化し無用論を登場させようとしています。そして非正規労働者の不満を政府や社会からそらして労働組合と正規労働者に対峙させようとしています。
 労働組合団体はだらしなさすぎます。労働組合は、今一度、横の繋がりとは何かをとらえ直して追究しないと、完全に政府と会社から取り込まれ、産業報国会に再編されます。歴史が足元から繰り返されます。

   「活動報告」 2017.6.30
   「活動報告」 2017.5.12
   「活動報告」 2014.11.26
  当センター「いじめメンタルヘルス労働者支援センター」ホームページ・ご相談はこちらから
この記事のURL | 仲間・連帯・団結 | ▲ top
団結ってなに?
2017/04/25(Tue)
 4月25日 (火)

 国会では共謀罪の審議が進んでいます。賛成の声は聞こえてきませんが、かといって反対の世論はなかなか盛り上がりません。沖縄では辺野古基地建設が強行されようとしていますが、本土ではなかなか抗議の声が大きくなりません。
 危険だ、止めさせなければならないと思っている者にとっては歯がゆい思いです。
 さらに自衛隊が我が物顔でマスコミに登場しています。過労死問題が社会問題となっても、労働組合は関心を示しません。・・・
 ある会合で居合わせた人たちに愚痴をこぼすと話がもりあがりました。しかし 「昔はこんなときは・・・」 などといっていても解決のは至りません。なぜなのかを真剣に検討すてみる必要があります。

 その時、浮かんできたのが、少し古くなりますが、生瀬克己著 『近世日本の障害者と民衆』 (三一書房 1989年) でした。著者は第一章で終戦から1980年代までの歴史学における民衆史のとらえ方を差別問題を中心に整理し、検討しています。その間には、被差別部落の解放運動をめぐる論争もありました。
 民衆史を労働運動に重ねて検討すると浮かび上がってくるものがあります。


「人権意識の問題に関しては、〈敗戦〉 後における 〈民主改革〉 なるものが、
 ①専制権力としての天皇制の解体
 ②ファシズムの基盤であった軍国主義思想と軍部への打撃
 ③労働者階級を中心とする人民階級の政治的地位の向上 
といった役割を果たしたため、〈労働者階級の権利〉 といった形での、いわば 〈層としての人権意識〉 は成立しえても、個別の問題、個別の個人に対する確固とした人権意識は成立しにくかったのではないかという疑いも残る。
 人権理論に関する世界史の流れは、1948年の 〈世界人権宣言〉 以降、それまでの自由権的基本権に加えて、人間の生活の基本的必要物を積極的に国家に要求しうることを内容とする社会権的基本権が、基本的人権の内容のなかに追加されるようになっていたとはいえ、人権理論の上でのこうした変化が、少なくとも1960年代までは、歴史研究者に大きな影響を与えなかったと考えた方がよさそうである。」 (『近世日本の障害者と民衆』)

 世界的には第二次世界大戦後すぐに 「基本的人権」 が独立して登場します。しかし日本では 〈民主改革〉 のなかで 「基本的人権」 は 〈層としての人権意識〉 に包摂されると捉えられます。〈民主改革〉 が進めば 「基本的人権」 はおのずと獲得・保障されるという解釈です。それは憲法解釈においてもそうです。「基本的人権」 が独立して取り上げられることはほとんどありませんでした。
「人権保護法案」 が議論にのぼるのは21世紀に入ってからです。

 人びとの生活のとらえ返し、歴史の掘り起こしが進むと民衆史が脚光を浴びます。
 歴史学者の林屋辰三郎は、これまでの歴史研究が 「貴族の歴史」 であったと指摘し、民衆史を追求するためには3つの 「よりどころ」 があるといいます。
「天皇や貴族が京都のような中央を拠点としていたことに対し、民衆は各地に分散して生活していたがゆえに、『地方』 史の究明が必要となる。第二に、民衆の歴史を縦に深く掘り下げていくこには、社会の最底辺にいた被差別部落の存在を忘れることはできない。そして、最後に、いやしくも民衆史を標榜するかぎりは、民衆の半数をしめる女性への考慮なしには成立しない。」

 歴史は過去のものではなく現在につながるものとして、やっと民衆の活動に光があてられていきます。

「いわば 〈部落史研究〉 の先駆者的な役割を担っていた部落史が、それ自体としての学問的市民権を得た、ちょうどその頃 〈1960年代後半〉、いわゆる 〈民衆史研究〉 の側でも、大きな変化の兆候が見え始めていた。
 すでに述べたところであるが、いわゆるマルクス主義歴史学においては、〈生産力〉 〈生産関係〉 といったことに目がいくあまり、〈民衆〉 というカテゴリーについては、ともすれば、一体化された 〈層〉 と認識されているかに思うしかない場合も少なくなかった。こうした 〈方法〉 のもとでは、歴史のなかに埋没させられていた 〈個人〉 を対象とし、この 〈個人〉 を掘り下げ、そうした 〈個人〉 を浮きぼりにするといったことはなされにくい。
 1960年代後半の 〈高度経済成長〉 を背景にした 〈管理社会〉 の進行が、従来のマルクス主義の 〈弱点〉 を認識させ、失われていく 〈個人〉 を取り戻すことに、より大きな必要性を自覚させたのであった。」 (『近世日本の障害者と民衆』)

 著者は、マルクス主義歴史学においては 〈民衆〉 は 〈層〉 (=同一性を持つ) と認識されていたと認識します。しかしここではマルクス主義の理解がヨーロッパと違っています。ヨーロッパでは 〈民衆〉 は権力者の対抗勢力のことですが 〈層〉 とは捉えません。
 マルクス主義歴史学とは、日本独特の 「講座派」 や 「労農派」 を指しますがこれをマルクス主義ととらえると間違いが生じます。マルクス主義歴史学は 「貴族の歴史」 研究だったのです。
 
 この頃の労働運動はどうだったでしょうか。〈民衆〉 を労働組合に置き換えて検討してみます。
 〈敗戦〉 後における労働組合の結成は、多くは戦時中の 「産業報国会」 のつくりかえです。産業報国会の基盤になったのは、「家族主義」、「温情主義」 の “縦の組合” (企業組合) です。
 企業組合はその後、「年功序列」、「終身雇用」、「企業内組合」 といわれる強固な “絆” の日本の労使関係を作り上げていきます。そこで 「企業戦士」 が活躍します。現在 “絆” は従属になっています。
 産業報国会とは違う労働組合もありました。しかしそのイデオロギー的基礎は日本的マルクス主義です。
 これがいわゆる 〈民主改革〉 の一翼を占めた労働運動でした。
 労働者はまさしく 〈層〉 でした。その統一が “団結” です。そこでは 〈個〉 の存在は認められませんでした。それを基盤にした運動の集大成が1958年から始まった 「春闘」 です。要求は企業を越えて産別ごとに中央で交渉します。社会的に盛り上がる時には下からの押し上げなどで成果もありますが、景気が後退すると個別組合の要求は無視され、産業保護・維持のために労使のトップが合意します。個別企業は形骸化していきます。
 確かに労働者は生産手段を行使している労働現場の主人公です。だからといって 〈生産力〉 〈生産関係〉 と一体とみるならば人間としての労働者が欠落します。
 〈生産力〉 〈生産関係〉 に視点が向き過ぎると技術改革や高度経済成長を客観視できなくなり取り込まれていきます。実際には60円代中ばに労使協調の IMF-JC (International Metalworkers' Federation-Japan Council 全日本金属産業労働組合協議会) 派労働運動が登場します。
 〈層〉 のなかから、1960年の安保反対闘争の時から 「市民」 が登場します。(2015年1月23日の 「活動報告」 参照)


 歴史学者の芳賀登は著書 『民衆史の創造』 (1974年) で民衆史研究の目的について 「あるがままの民衆の生態に即しつつ、これを歴史変革の主体に成長させるための手だてを、民衆史を創造・確立する過程のなかで果たしたい」 と告白しながら、戦後のマルクス主義の方法的弱点について述べています。
「戦後の日本の歴史学会は、(中略) もっぱら客観的な法則性を追求し、いわゆる基底還元主義的な歴史のとりあつかいを基本的な学問であるといいつづけてきた。(中略) 何らかの資料に依拠してのみ歴史学が成立するとするならば、史料なき史料、あるいは、記録を残さざる人びとの歴史を復元し、今日に生かすことはできない。そして、民衆の内面を喪失した歴史学は、現実の生活を支える力、生きた人間の心や魂を支える力を持ちえないのは当然であろう。
 〈層〉 として把握された民衆から、〈個〉 としての民衆の復権を願っていました。そして続けます。
「歴史は、死者の叫びや死者ののこした言葉の、生きた人間の問いかけである。虚空をつかんで、無念の涙をこらえつつ死んでいった者の求めにこたえることは歴史学や歴史家の使命である」

 〈層〉 としての民衆から 〈個〉 が取り上げられていきます。
 しかし当時は、学説に少しでも異論をはさもうとすると覚悟がいりました。マルクス主義歴史学と整合性を持たない民衆史研究者は異端児扱いされます。ましてやマルクス主義歴史学を批判すると学会からの “追放” にも至ります。
 1960年代後半から70年代にかけての部落解放同盟の路線をめぐる論争と運動の対立は、この “民主主義” 対、水平社運動の歴史に裏づけられた “人権” 運動の継承と捉えること理解が早まります。
 マルクス主義歴史学が崩壊していくのは昭和天皇の死去のときの情勢をめぐってです。


「1960年代後半の 〈高度経済成長〉 を背景にした 〈管理社会〉 の進行が、従来のマルクス主義の 〈弱点〉 を認識させ、失われていく 〈個人〉 を取り戻すことに、より大きな必要性を自覚させたのであった。」
 1960年後半には、既成の労働組合運動に反対する潮流が青年部などを中心に登場し、独立して組合を結成したりもします。学生運動や市民運動も盛り上がります。“民主主義” の問い直しが主張されます。高度経済成長の中で発生していた公害問題などささまざまな社会問題の告発も行なわれます。〈個人〉 が登場して自己主張を開始します。

 しかし支配者層も黙っていません。高度経済成長のなかで生活向上をあおり、人びとを 〈個人〉 ごとに管理する方向に誘導していきます。労働組合の 〈層〉 としての一糸乱れぬ団結のかけ声は統制がとれなくなります。
 本来なら支配層に先んじて労働組合は 〈個人〉 を尊重し、その総和としての活動、社会と連帯した運動に挑戦されるべきでした。団結のかけ声はさらに孤立を深め、分散化を促進していきます。労働組合が孤立化していきます。
 1980年代から非正規労働者が増加します。しかし 〈層〉 としての団から抜け出せない企業内労働組合は非正規労働者に関心を示しません。体調不良者は 〈生産力〉 のとらえ方から人権や生活権は問題にされないで排除の対象になります。今に至るもそうです。


 歴史学者の鹿野政直の、『講座・日本歴史』 第13巻 (東大出版 1985年) に収められている論文 「現代人間論」 です。
「『人間』 という言葉は、見る角度によってさまざまに異なる意味を反射する。『民衆』 に対する角度からは、それは階級矛盾を消去する役割を演じ、『動物』 に対する角度からは、その “精神” 性が協調され、逆に 『神』 に対する角度からは、その “動物” 性が浮き彫りにされる。
 そういう点からいえば、昨今の 『人間』 復活への動きは、管理による疎外と荒廃を機縁とするだけに、あらゆる 『非人間的なもの』 に抗してとの意味をおびている。とするとき、それは 『非人間化』 をもたらした管理のシステムを告発するにとどまらず、みずからがどんなに 『非人間化』 されているかへの視野を培う。現代の矛盾と課題が、『差別』 と 『人権』 という枠組で急速に意識化されてきたのは、その必然の結果である」
「管理社会に生きるなかで、わたくしたちは日ごとに、万事につけて受け身になることに馴らされてきている。行動において受け身であることが日常化するにつれ、精神の能動性指標というべき想像力は衰退し、自らの周囲に意識の壁をめぐらし、そのなかに閉じこもろうとする。そういう状況下で 『差別』 と 『人間』 の視点は、その想像力を回復させ、壁の向こうがわを透視する能力を人々 (=わたくし) に獲得させることになろう。その意味でそこに、終末論を未来論に逆転させる契機が芽生えている、わたくしは観測する。」

 行動において受け身であることが日常化している 〈個人〉 の分断される単位から、想像力を回復させ、壁の向こうがわを透視する視点をもつ “連帯” の単位に変えていかなければなりません。
 そのためにはどうしたらいいのでしょうか。遠心力が働いている労働運動にどうしたら求心力を持たせることができるでしょうか。
 〈個人〉 の尊重とは、受け身であることや確かさがなければ行動しないことも認めることです。社会的に過労死問題が騒がれても労働者が沈黙を守る理由を探求しなければなりません。そこには 〈民衆〉 なるがゆえの 〈したたかさ〉 や防衛本能も存在しています。企業・労働組合だけではない社会に存在して様々な価値観を持っています。それらを含めて認め合い、違いを確認できる関係を作り上げることから 〈共感〉 や 〈仲間〉 の意識が生まれてきます。

 労働組合運動の復活は、〈民主改革〉 の時のように団結を叫ぶことではなく、団結とはなにかという問い直しから始まるように思われます。

 水平社結成のときに作られた 「解放歌」 の7番の歌詞は
  「あゝ友愛の熱き血を 結ぶ我らが団結の・・・」
です。 「友愛」 と 「団結」 がちがう者たちを対象にしています。マルクス主義歴史学が登場する前は、〈民衆〉 は 〈層〉 ではありませんでした。

   「活動報告」 2017.3.3
   「活動報告」 2017.2.17
   「活動報告」 2015.1.23
  当センター「いじめメンタルヘルス労働者支援センター」ホームページ・ご相談はこちらから
この記事のURL | 仲間・連帯・団結 | ▲ top
ヤマト労組を他労組は見習らおう
2017/03/23(Thu)
 3月23日 (木)

 春闘の季節です。しかし流れてくるニュースはベースアップ額、しかも業界ごとの妥結が中心で、それ以外の要求は聞こえてきません。
 かつての春闘は、金銭だけでなく、労働時間・年間休日数、退職金制度、福利厚生制度などさまざまな要求を掲げて交渉に臨みました。しかし産業ごとの中央交渉が中心になると各単産独自の要求は掲げにくくなりました。中央交渉は各単産の力量を弱め、現場からの声を吸い上げる力も失ってしまいました。
 今年は、労働時間の短縮がおこなわれた企業もありましたが、ほとんどは政府の 「働き方改革」 への対応です。「官製春闘」 がまかりとおっています。労働組合の位置がますますなくなっています。
 労働組合は、人員不足の時こそさまざまな要求をして勝ち取るチャンスです。


 そのなかでヤマトでは久しぶりの春闘交渉がおこなわれました。
 根底には業務量の急増に伴う長時間労働、さらにサービス残業が蔓延してる状況があります。現場の労働者から悲鳴があがり、労働組合には切実な声が寄せられていたと思われます。経営の方も現在の状況に危機感を持っていました。労働者を引き留めなければ業務がまわりません。
 2月10日に始まった今年の交渉は3月16日夜に労使合意に達しました。
 合意内容です。改善の開始時期はそれぞれ異なります。
 宅配便の時間帯指定区分を見直し、正午から午後2時を廃止、集中する午後8時から9時を午後7時から9時に変更。
 再配達の受付締め切りを午後8時から7時に変更。
 一部商品の廃止やリニュアルを検討。具体的にはクレジットカードなどの貴重品の手渡しなど。
 大口法人顧客との契約内容の見直し、取り扱い終了の適正化。具体的にはネット通販など大口法人顧客への値上げ要請、それによる取扱量の抑制。
 年間の総労働時間計画を2456時間から2448時間に。労働時間の管理を入退館時間で一本化。(2月24日の 「活動報告」 参照)
 営業所単位で休憩の時間帯を決め、管理の徹底。
 営業所の責任者を増員し、管理体制を構築。
 年間126日以上の休日・休暇を確保。
 週1回程度のノー残業デー取得を推進。
 10時間の勤務間インターバル規制の導入。
 賃金は定期昇給も含めて一人平均6338円の引き上げる (前年は5024円)。事務員を含めたベースアップは814円 (前年1715円) だが集荷・配達を担うドライバーへ重点的に配分する。集荷・配達個数やサイズなどに応じて付与されるインセンティブを2621円 (前年は1049円) 引き上げる。


 これらの要求は、、他業種の労働者への問題提起も含まれています。
 夜間の配達量が多いのは、労働者の帰宅時間に合わせた設定であると同時に再配達の時間帯です。夜間に通常の賃金で働かせてあたりまという捉え方や、さらに最初の労働を無駄・タダにさせる再配達は労働の価値を低めます。
 ネット通販・通信販売での配達料無料は、商品に配達料が転化されていることを騙されていたり、荷主が一部を運送会社に負担させているということです。返送する場合の料金無料はそれがダブルになるということです。労働対価のダンピングは許されません。さらに荷主が一方的に当日配送や翌日配送をうたい文句にしています。
 また生活必需品などのネット通販・通信販売や生活協同組合の宅配は地域の商店街をさびれさせていることを見逃すことはできません。そして街や地域のコミュニケーションを崩壊させています。生協の個人宅配が、生活必需品の買い物の不便を解消しましたが、その代わりに長時間労働を受け入れることができていました。最近はデパートにも影響を与えています。
 これらが労働者を犠牲にしているだけでなく、消費者・利用者の時間的思考を麻痺させ、生活感覚を失わせ、最終的には社会に不便をもたらします。

 ヤマトの最大荷主で本社がアメリカにあるアマゾンジャパンは売り上げを2010年の5025万ドル (約5700億円) から16年度は10.797万ドル (約1.2兆円) と2倍以上に伸ばしています。街の本屋が潰れていっています。
 国土交通省の調べでは、ヤマトが扱う荷物の個数は年間約17億3千万個 (2015年度) で、そのうちアマゾンの荷物は約2億5千万個、14%です。しかも荷物一個250円程度の契約で他の荷物に比べれば半額以下です。
 ここ3年の営業利益 (いわゆる本業の利益) は600億円超で推移していましたが、2017年は580億円の見通しで2期連続の減益です。コストを無視した運営が、業務が増えても利益を生まないという 「豊作貧乏」 を生み出し、サービス残業に繋がっています。

 労働条件を見てみます。
 年間総労働時間計画2448時間を年間出勤日数239日 (365日-126日) で割ると10時間を超えます。これまでも賃金が支払われる残業はありましたがそれ以外に昼休みを含めたサービス残業が1日約2時間以上ありました。
 時間指定が12時~14時に集中すると昼食休憩は取れません。20時~21時に集中すると営業所に戻るのは21時過ぎになります。そのあとに事務作業です。しかし繁忙期などには1ヵ月の所定労働時間を超えるとタイムカードを推してからのサービス残業が上司から命令されていました。長時間労働を会社は認識していました。
 そのため離職者の多く出ていました。体調を崩し、労災認定された労働者もいます。ドライバーの人手不足は深刻になっています。

 今後、サービス残業をなくして1日の実労働時間を10時間に抑えるのは大変です。しかもこれでもかなりの長時間労働です。
 これを改善するためには消費者・利用者の利用の仕方とあわせて応分の負担をあわせ検討される必要があります。


 ヤマト労働組合は、契約社員を含めて全員加盟です。ヤマトは2007年にも労働基準監督署から是正勧告を受けています。しかし労使ともにそれを機会に労働条件を改善するという方向には至りませんでした。退職した労働者などからの話では、まったく機能していなかった、組合員の声は聞き入れなかったということです。
 そのため作年8月に神奈川の2人の労働者が労働基準監督署に相談し、労基署は是正勧告を出しました。しかし労働者は労基署が認めた以上のサービス残業があるとして労働審判を申し立て認められました。
 会社は7万6千人の全社員の未払い残業代を過去2年さかのぼって調査し支払うことにしました。

 労働基準監督署の是正勧告を受けても変わらなかったという話を聞くと電通を連想させます。
 しかし労働者に耐えきれなくなったという事情があったとしてもヤマト労働組合の側から “働き方・働かせ方” を会社に要求し、のませていったということは大きく違います。ヤマト労組の今後の活動を期待して見守りたいと思います。そして多くの労働組合に、ヤマト労組を見習ってほしいと思います。
 そして労働者がもう一度自分の生活時間を取り戻す機会にしたいと思います。

   「活動報告」 2017.2.24
  当センター「いじめメンタルヘルス労働者支援センター」ホームページ・ご相談はこちらから
この記事のURL | 仲間・連帯・団結 | ▲ top
体調を崩してしまった 「企業戦士」 が 「はれ」 を取り戻すために
2017/03/03(Fri)
 3月3日 (金)

 あるユニオンの組合員のフリースペース 「元気を取り戻す相談・交流会」、別名 「ぽつぽつ交流会」 に参加しました。
 交流会の呼び掛け文です。
「身体的、精神的に不調になり、何となく元気がなくなってきたなという組合員の方が少しでも元気を取り戻す機会が作れればいいという目的で開設することにしました。……
 なにげない会話や趣味の話などを通じて、一緒に自分の新たな居場所や可能性をみつけることもできるかもしれません。相談がある方も歓迎します。平行して相談コーナーも設けます。……
 会費は無料。途中参加・途中退席もOK。疲れたら寝ていてもかまわない交流会です。」
 この後は毎月1回開催されます。ルールはただ1つ、「人の悪口は言わない」 です。

 労働組合が主催する会議やイベントは堅苦しいものが多いです。たまに脱線してもすぐに軌道修正がかかります。労働者にとって堅苦しくて解放されません。そうすると、気の合う仲間だけで居酒屋に行き、いない者の噂話に花を咲かせたり、1人でスマホに夢中になります。スマホは調べものにも活用できますが、常時いじくっている人は “人寂しい” 、だれか仲間を求めているのです。


 会社の人事担当者向けの情報を提供しているインターネット 「人事ONLINE」 の16年6月17日の記事の見出しは 「株式会社バークレーヴァウチャーズ 世界15カ国中、日本の職場の 『ウェルビーイング』 に対する満足度が最も低い」 でした。
 日本にある株式会社バークレーヴァウチャーズは、フランス・Edenred (エデンレッド) の100%子会社です。Edenredはこれまで身体的、精神的、社会的に良好な状態であることを表す職場の 「ウェルビーイング」 に関する調査を11回行っています。
 11回目の 「2016年度 Edenred-Ipsos Barometer調査」 は世界15カ国、14,400人の従業員を対象に実施しました。15カ国とは、日本、ベルギー、ブラジル、チリ、中国、フランス、ドイツ、インド、イタリア、メキシコ、ポーランド、スペイン、トルコ、イギリスおよびアメリカです。
 日本での調査は初めてで、回答者は803人でした。
 「ウェルビーイング」 に関する10項目の満足度の結果は、インド88%、メキシコ81%です。続いてアメリカ、チリ、ブラジル、ドイツ、イギリス、中国が70%以上で平均は71%です。
 日本は。44%で最下位です。とくに勤めている会社や組織における自分の将来について不安がない28% (世界平均65%)、朝仕事に行くのが楽しみである30% (世界平均77%)、職場が刺激的な環境だ33% (世界平均61%) という結果です。満足度が高い順でも、目標や任務など、自分が職場で求められていることをはっきりと認識している67%、問題を抱えたら、同僚がサポートしてくれる55%、利用できる施設や資材は適切である64%、仕事と私生活のバランスに満足している48%、自分の仕事は面白いと感じている45%でした。

 日本の労働者は将来に不安をかかえ、仕事を面白いと感じないで、つまりはストレスを抱えて日々働いています。しかも長時間です。なおかつ悩みを打ち明けたり、相談できたり、ストレスを解消しあえる仲間や労働組合が近くにありません。それが当たり前、我慢しかないと思いこんでいます。
 他の国と比べたら日本の職場は異常です。労働者の多くが誰かに愚痴をこぼしたい、解放されたいという思いを持っています。しかしその機会がありません。
 それは日々の労働相談の中からもうかがえます。


 交流会は、会議等で脱線した時に登場する話が本流です。だから軌道修正はありません。
 当日は、参加者からの差し入れの缶コーヒーにお菓子が用意されていました。
 さまざまな話が登場しましたが参加者の中に、「朝日俳壇」 に投稿して採用された人がいました。その人が、休耕田を仲間たちと復興させ、米作りを続けているなかで作った作品30句を披露しました。

  春田打つ 豊かな実り 念じつつ

  七寸の 竹を謀りに 田を植うる

  田草取 足跡深く 残りおり

  足踏みの 脱穀籾を とばしけり

  水口を 覆ひ尽くせり 芦の花

 周囲からは作品への評論よりも農作業の解説が入ります。
 「春田打つ」 は、田植えができるように土を耕してならし、水を張る作業です。
 「七寸の竹」 とは、ならした地面に置いて、早苗を7寸 (21センチ) の幅をもって植える目安にする道具です。
 「田草取」 は、雑草をとるだけでなく、地中をかき回すことによって空気 (酸素) を送りこむ作業なのだそうです。
 「足踏みの 脱穀」 は、稲束から籾を切り離す脱穀を足踏みの農機具で行なっています。今は大型の機械で行ないますが、種籾にするにはやはり足踏みの機械での丁寧な作業の方がいいのだそうです。
 「水口」 は田んぼに水を入れるところです。水がきれいで豊富なあたりに芦やセリなどを植えるといいものができます。


 もう1人、俳句好きな人が松尾芭蕉にうんちくを傾けました。

  夏草や 兵どもの 夢のあと

 「奥の細道」 には芭蕉が高館にのぼって北上川とその周辺一帯に生い茂る夏草を見渡しながら平泉の藤原三代にわたる栄華に思いをはせて詠んだとありますが、本当は、8世紀末に征夷大将軍 (東夷を 「征討」 する将軍) の坂上田村麻呂の 「蝦夷征伐」 に反撃した阿弖流為たちの無念さを詠んだものではないのかという説です。(東北地方では、学校教育以外では 「蝦夷征伐」 などとはいいません)
 その人は東北を旅して、高舘から北上川を眺めた時、その思いに駆られたといいます。同じ場所です。


 そのような説はどこにもないと反論されても、東北が侵略された事実は消すことはできません。
 蝦夷には大和からの侵略の歴史があります。柳田國男の 『遠野物語』 には、「山人」・ 「我々社会以外の住民、即ち、我々と異なった生活をして居る民族」 が登場します。平地に居住する 『日本人』 = 「大和民族」 に先行し、やがて 「帰順」 した人びとです。
 柳田國男の 『遠野物語』 を皮肉った井上ひさしの 『新釈遠野物語』 に登場する 「山人の近くにいて人間の素振りをしてだまくらかす」 と遠野地方の人びとが語る河童は、実は侵略者 「大和民族」 で、その蛮行を遠巻きに語り継いできたのかもしれません。(11年7月22日の 「活動報告」参照)

 陸前高田市の七夕祭りは 「うごく七夕まつり」 と気仙町には900年以上続いている 「けんか七夕」 がありました。震災前は4台の山車が練り歩き、ぶつかり合っていました。(東に日本大震災のほ復興工事で嵩上げされるまでは続けられました。)
 お祭りにけんか? 900年以上続いている?
 もしかしたら、山車がぶつかり合う 「けんか七夕」 は、「東北人」 の 「大和民族」 への屈服しないという意思を象徴し、再起への訓練、そして 「はれ」 の姿を取り戻す瞬間だったのではないでしょうか。

 このような思いで東北、東日本大震災の被災地、福島原発、沖縄をみなおすと差別の実態が浮かび上がってきます。


 交流会は元気がなくなってきたなとおもう組合員が元気を取り戻す機会になることが目的ですが、頑張り過ぎて体調を崩してしまった 「企業戦士」 が、本当の 「はれ」 の姿を取り戻すリハビリテーションでもあります。


   「活動報告」 2011.9.1
   「活動報告」 2011.7.22
  当センター「いじめメンタルヘルス労働者支援センター」ホームページ・ご相談はこちらから
この記事のURL | 仲間・連帯・団結 | ▲ top
| メイン | 次ページ