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過労死、過労自殺は 「われわれ」 のなかでおきている
2018/05/29(Tue)
 5月29日 (火)

 5月25日の 「活動報告」 で、吉田裕著 『日本軍兵士 -アジア・太平洋戦争の現実』 (中央公論新社刊) を紹介し、兵士の心身の不調はどのような状況で発生し、どのように対処されてきたかについてふれました。
 『本』 は、さらに日本軍が持っていた構造的問題と、どのように形成されてきたのかにもふれています。

「よく知られているように、日本の陸海軍の軍事思想には独特の特徴がみられた。
 第一には、欧米列強との長期にわたる消耗戦を戦い抜くだけの経済的、国力を持たないという強い自覚から、長期戦を回避し 『短期決戦』、『速戦即決』 を重視する作戦思想が主流を占めていたことである。……
 第二には作戦、戦闘をすべてに優先させる作戦至上主義である。そのことは、補給、情報、衛生、防禦、会場護衛などが軽視されたことと表裏の関係にある。
 相次ぐ船舶の喪失にもかかわらず、船団護衛などを任務とする海上護衛総司令部が発足したのは、1943年11月だった。陸軍も、必要な生活物資、特に食料を後方から補給せずに、 『現地徴発』 を基本とした。『徴発』 といっても対価を払わないことが多い。実際には民衆からの略奪である。……
 もちろん、最大の犠牲者は中国の農民だが、補給を無視し略奪なしには生きていけないような作戦を強行し続けた軍幹部の責任は大きい。」
「第三には、日露戦争後に確立した極端な精神主義である。それは、砲兵などの火力や航空戦力の充実、軍の機械化や軍事技術の革新などに大きな関心を払わず、日本軍の精神的優越性をことさらに強調する風潮を生んだ。」

 「短期決戦」、「速戦即決」 を重視する作戦思想において、孤立していったときにとられる 「戦術」 が、自決、集団自決 (軍の命令による集団自殺)、戦闘能力を喪失した兵士への 「措置」 です。「「生きて虜囚 (りょしゅう) の辱 (はずかしめ) を受けず」 は精神主義の変形と口実です。
 そこには兵士を大事にするという思想はありません。


 逆に日本軍は米軍をどう見ていたでしょうか。
 43年12月に発行した米英軍の編制、装備、兵器、戦法等を概説した 『米英軍常識』 のなかの 「米軍の特性」 についてです。
「『国家観念』 の項では、『優越的国家観念、個人主義に基づく愛国心旺盛にして、団結掃蕩強固なり』 とあり、『攻撃精神』 の項では、『闘争心旺盛にして冒険を好み、進取放胆』、『任務を無頓着に実行し、危険に対しても全くこれを眼中に置かず、不撓不屈の精神を有す』 と記している。」
 「闘争心旺盛」 は自己を守る十分な装備を身に着けてのうえでです。日本軍とは対照的です。
 大本営は43年12月、「開戦以来、敵は我が戦法を深刻に研究しきわめて活発にこれが対策を講じあるに対し、我が方の努力は必ずしも十分ならざるものあり」 と総括しています。
 さらに、「米軍の戦法を、『物的優越を基調とし、大兵力をもって勝ちやすきに勝たんとする』 ことを根本とし、『合理的かつ計画的』 で、常に陸海空の圧倒的な兵力を集結使用する戦法に依存している、この傾向はマリアナ作戦以降、いっそう明確となり、上陸作戦でも従来の戦術的奇襲より戦術的強襲を採用し、『膨大なる物量』、なかでも圧倒的な砲爆撃によって、『我が防備を震倒せしめんと企図』 するようになったと特徴づけている。」
 「合理的かつ計画的」 は日本軍に最も欠けていたことです。敗北が想定できたこの時点での決断があったら、甚大な被害は免れました。


 大正デモクラシーの期間はいつからいつまでをいうのかについてはさまざまな見解があります。
 治安維持法の制定までとすると1925年、満州事変までなら1931年です。その期間に労働運動や小作争議を体験した者たちも入隊してきました。上官の言動に批判的な兵士たちも出てきます。
「しかし、満州事変が始まると、そうした動きは完全に頓挫し、日本の軍隊は天皇親率の軍隊= 『皇軍』 であるというイデオロギーが急速に拡大し、『日本精神』 がことさらに強調されるようになる。上官の命令は天皇陛下の命令であるとして、上官の命令への絶対服従を兵士に強制する古い体質を温存したまま、陸海軍は総力戦の時代に突入していく。」
 満州事変前後に幼年期をむかえ、後に生まれた子供たちは、戦争真っただ中の意識しかありません。日本では反戦を訴えた学生はほとんどいません。中学生・女学生は完全に軍国主義に染まっていました。


 戦時中の状況についてこれだけで語ることはできませんが、軍事思想は戦後どのようになったでしょうか。
 戦後の労働組合の多くは、戦中の産業報国会の組織をそのまま踏襲して結成されました。職制が役員に横滑りします。イデオロギー色をもった労働組合は、実際は多くありませんでした。生活防衛闘争、民主化闘争は、大正デモクラシーの経験を持つ労働者が中心になって進められました。
 その後、現場労働者を中心に生産自主管理闘争が展開されます。経営者側も力が失っていました。これも最初からイデオロギーに裏打ちされたものではありません。
 もしかしたら、「必要な生活物資、特に食料を後方から補給せずに、『現地徴発』 を基本とした」 軍の思想が染みついたままでの今でいう “自己管理” ・ “自己責任” の発想が生産自主管理だったのかもしれません。
 その一方で、民衆からの略奪という捉え方はしませんでした。日本 (軍) の精神的優越性を保持していました。それが今に至るまで戦後補償の問題を解決できない状況を作り出しています。沖縄は戦時中が続いています。

 現在の労働法制では、会社・企業という言葉は出てきません。使用者を指す時には 「事業場」 です。これは、制定の時点では企業内労働組合ではなく、横断的産業別労働組合を想定していたからです。
 しかし、産業報国会の組織形態を踏襲し、職制が役員に治まっている労働組合では横断歴産業労働組合への転換は難しく、企業内労働組合の性格を強めていきました。
 その後、首切り反対闘争などが展開されましたがその頃になると労使ともに抗争に疲弊が見えて、少しずつ終身雇用、年功序列、企業内組合のいわゆる 「日本的経営」 が定着していきます。
 闘争における労働組合の戦術は 「作戦思想」 と 「精神的優越性をことさらに強調する風潮」 です。「ことさらに強調する風潮」 は上層部から出される指示に対する 「一糸乱れぬ団結」 です。それに無理が生まれた時に出されたのが 「長期抵抗路線」 です。
 敗戦を体験しても米英軍の 「優越的国家観念、個人主義に基づく愛国心旺盛にして、団結掃蕩強固なり」 の闘争における強さの本質を知ろうとはしませんでした。

 それどころか、企業内組合は軍隊組織と同じで、トップは経営者のいわゆる 「タテ型社会」 です。
 17年11月10日の 「活動報告」 の再録です。
 中根千枝の 『タテ社会の人間関係』 (講談社現代新書) から探ってみます。
「『会社』 は、個人が一定の契約関係を結んでいる企業体であるという、自己にとって客体としての認識ではなく、私の、またわれわれの会社であって、主体化して認識されている。そして多くの場合、それは自己の社会的存在のすべてであり、全生命のよりどころというようなエモーショナルな要素が濃厚にはいってくる。」
 ですから日本では、会社という 「場」 は、使用者も労働者も 「われわれ」 です。「やつら」 がいません。ここがヨーロッパの労使関係の構造とは決定的に違います。そしてそこではいわゆる “しがらみ” の関係性が大きく作用します。「みんなで渡れば怖くない」 の発想、意志一致はこのようななかから生まれます。そして扇動する者が最も強い愛社精神をもっていると評価されます。
 規律違反、違法行為にたいする不安感や恐怖感も払拭され、逆に自信となっていきます。神戸製鋼、スバルの現実です。
 過労死、過労自殺は 「われわれ」 のなかで起きています。
 「タテ型社会」 は日本の軍隊で成就されたといえます。

 「タテ型社会」 は下部に延びていきます。非正規労働者、派遣労働者、下請け企業などなどが登場しました。正規労働者は彼らからの権利剥奪と、差別と分断を黙認しました。自分の立場を固守する時は、他者を犠牲にします。しかし自己をも孤立させていきました。

 「働き方改革」 のなかで、「同一労働同一賃金」 は労使ともあまり議論になっていません。しかし 「同一労働同一賃金」 が抱える問題は、非正規労働者だけでなく、正規労働者の権利の拡大と働きやすさを獲得するものでもあります。

 「活動報告」 2018.5.25
 「活動報告」 2017.11.10
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タガが外れた連合 運動でさらなる分解推進を
2018/05/15(Tue)
 5月15日 (火)

 現在、衆議院で 「働き方改革法案」 が審議されています(この間の状況は、審議されていることになっていますが正しいと思われません)。法案は、政府案のほかに5月8日に提出された立憲民主党案と国民民主党案があります。
 「働き方改革」 は、当初は 「同一労働同一賃金」 がさかんにいわれました。政府案ではどうなっているでしょか。

 現在、有期雇用労働者が均等知遇をもとめた労働契約法20条をめぐる裁判が各地で続いています。
 労働契約法20条です。
 (期間の定めがあることによる不合理な労働条件の禁止) 「第二十条 有期労働契約を締結している労働者の労働契約の内容で ある労働条件が、期間の定めがあることにより同一の使用者と期間の定めのない労働契約を締結している労働者の労働契約の内容 である労働条件と相違する場合においては、当該労働条件の相違 は、労働者の業務の内容及び当該業務に伴う責任の程度(以下この条において 「職務の内容」という。)、当該職務の内容及び配 置の変更の範囲その他の事情を考慮して、不合理と認められるも のであってはならない。」
 これが働き方改革法案では削除されます。その代わり 「パートタイム労働法」 のなかに 「短時間・有期雇用労働者について」 とすることで有期雇用労働者を含めました。
 ではこのことによって労働契約法第二十条の (期間の定めがあることによる不合理な労働条件の禁止) は改善されるでしょうか。
(不合理な待遇の禁止) 第八条、(通常の労働者と同視すべき短時間・有期雇用労働者に対する差別的取扱いの禁止) 第九条が是正されました。しかし、これらは、事業主が訴訟等を回避するためある程度は是正するかもしれませんが、労働者が要求・交渉して実現させるものです。


 これ以外の法案内容はどうでしょうか。
 高度プロフェッショナル制度については、政府案は導入です。立憲民主党、国民民主党案には盛り込まれていません。
 過労死促進法といわれる制度が導入されたら発生する問題については改めていうままでもありません。使用者と労働者の労働契約の基本は賃金と時間です。しかし賃金額を条件として時間の規制をなくし、労働契約の根本を崩そうとしています。制度は、一旦導入されたら条件がなし崩し的に緩和されていくのは労働者派遣法をみたら明らかです。
 高度プロフェッショナル制度をめぐる労働政策審議会では、経営者側と労働者側は平行線をたどったままで終了しました。傍聴席からの全国過労死を考える家族の会などの監視のなかで、さすが労働者側の連合委員も政府・使用者側にすり寄ることはできませんでした。
 この対応は今も続いています。

 時間外労働の制限については、政府案と国民民主党案は、月100時間未満、2から6か月平均80時間、年720時間です。立憲民主党案は月80時間未満、2~6か月、年720時間 (休日労働含む) です。100時間未満 は精神疾患の労災認定の判断基準の数値です。労災認定を免れるなら働かせてもかまわないというというものです。
 これは連合の主張でもあります。労働安全衛生に関する連合の政策は厚労省と違う個所はほとんどありません。
 政府案、国民民主党案は労働政策審議会の答申どおりです。休日労働の取り扱いはどうなるのかなどが指摘されました。
 昨年3月、連合会長と安倍首相との会談で 「100時間」 か 「100時間未満」 かの議論がおこなわれ、連合会長の 「未満」 が受けいれられると、それが連合と民進党の主張にもなりました。国民民主党の案はそれを踏襲したものです。
 立憲民主党の案は連合の主張から外れるものです。国民民主党との違いを示すという思いもありましたが、100時間は長すぎるという主張は労働組合のなかからも上がっていました。連合のいいなりにならないで独自に数値を検討したことは、これ以外の政策をふくめて今後に期待したいと思います。実際は80時間でも長すぎます。

 政府案、立憲民主党案、国民民主党案はインターバル制度に関しても違います。
 政府案は努力義務、立憲民主党案は少なくても最短11時間の義務化、国民民主党案は義務化です。
 裁量労働制については、政府案は対象業務拡大と規制強化を法案から削除しました。立憲民主党と国民民主党案は、導入要件の厳格化、健康確保措置の充実などの規制強化です。
 罰則の強化については、政府案はなし、立憲民主党と国民民主党案は、残業規制違反は1年以下の懲役または50万円以下の罰金に引き上げえ、インターバル制度も罰則の対象です。


 いったい 「連合」 をどう見たらいいのでしょうか。戦後の労働運動の幾つかの段階をへて到達した地平ですが、その評価はさまざまです。
 政権交代が可能となる自民党に代わるもう一つの政党、二大政党が叫ばれ、連合はその一翼を担うと宣言しました。
 連合は「数は力になる」と組織を統合して発足しました。その一方で、「行かなかった者」 「行けなかった者」 を排除しました。
 「行けなかった者」 のなかに国鉄労働組合がいました。発足時は、国鉄の分割民営化がすすめられ、国労組合員が大量に首切られようとしている最中で、その後1047人が解雇されました。連合はこれを見殺しにしました。傘下の労働組合はそれに対して異論を発することもできませんでした。
 政策集団を標榜しましたが、政府の公共交通の切り捨て、労働者の大量首切りに何の対案も打ち出せませんでしたし、その気もありませんでした。使用者と運命共同体の路線を推進するなかにあっては、支援・共闘する政党を自民党にとって代わる勢力の結集と位置付けても 「第二自民党」 としての役割しか果たせませんでした。労働者の首を守ろうとしない姿勢は、労働者が持つ様々な権利放棄につながっていきます。代わって行われたのはトップからの労使協調と上位下達の指揮命令です。現場の労働者にとっては連合は統制機関でした。現場労働者の意識とは乖離が発生していきます。

 労働者の権利や首を守らない労働組合に代わって1980年半ばから個人でも加入できる労働組合・ユニオン運動が活発になりました。ユニオンが行使する戦術は、いってしまえば連合が放棄した労働基準法・労働法制の厳格な順守と履行です。頑なな使用者に対しては裁判闘争で判決の履行を認めさせました。日常的に何も活動しない連合傘下の労働組合員がそれによって雇用が守られてきたりしていました。また、判決等は企業、職場全体に影響を与えました。

 1990年代後半におこなわれた労基法改訂は、女性の深夜労働規制を廃止しました。ヨーロッパなどからは日本の長時間労働が批判され、貿易摩擦の原因にもなっていましたが、法改正は逆に長時間労働を促進しました。
 本来は、女性の深夜労働規制を廃止することに反対するだけではなく、その規制を男性労働者にも適用し長時間労働を防止する必要がありました。当時すでに社会的問題として 「過労死」 が登場していました。そうしたら今のような労死・過労自殺は防止され、時間外労働の制限100~80時間のような議論も必要なかったかもしれませんません。

 2007年にホワイトカラーエグゼンプションが法制化されようとしたとき、それを阻止したのは大小さまざまな労働組合と市民が共闘した反対運動によってでした。連合の本音は反対ではありませんでした
 この時叫ばれたスローガンは 「残業代ゼロ法案」 反対でした。本当は残業代ゼロではなく、「残業ゼロ」 法を目指すべきでした。
 ホワイトカラーエグゼンプションの焼き直しである高度プロフェッショナル制度に連合は本気で反対ではありません。
 この後、「あの時もっと高度プロフェッショナル制度」 に反対しておけばよかったいわなくてすむよう法案は絶対に撤回させなければなりません。

 2009年、民主党政権が誕生しました。マニュアルにはヨーロッパ社会民主主義色が色濃く盛り込まれていました。
 連合は、自分たちの政権を実現させたといってみてもてはみたものの政権との間には政策的にはかなりの “乖離” がありました。政権とマニュアルは孤立していきました。その結果は、マニュアルを放棄し、政権の自民党の政策への歩み寄りです。
 マニフェストのなかの、例えば子供手当の政策などが実行されていたら現在の貧困問題は少しは解消されていたと思われます。
 さまざまな政策上の対立が表面化しました。その最大のものが沖縄の基地問題です。

 軍事産業を担う企業の労働組合は安保法制については国・企業と一体です。そのような労働組合は民主党とは距離を置きます。支持するのは連合内で自分たちの方針を掲げて主張する組織内候補です。企業と労働組合は社会のなかでの住みわけでしかありません。雇用が守られるなら、どのような仕事に携わっているかなどには関係ありません。このことは原子力発電においても同じです。そしてそれぞれの単産は、独自色を強めていきます。まとまりはなくなります。

 そのなかで発言力を持つのが、政府と一体となって政策を進める産業の労働組合です。
 現在においてはグローバル経済を推進する自動車総連や軍事産業に加担している基幹労連などです。
 そして、そこでの決定は、組織決定として民主党と政策協定を結び、議員の推薦母体として各議員にさまざまな足枷を加えてきました。
 連合は、安保法制、反原発運動などには取り組まない組織になりました。それどころか選挙における推薦・支持のリトマス試験紙がこれらに対する姿勢です。

 昨年秋の突然の衆議院解散で民進党は分裂します。連合幹部はそれに加担して議員を選別して希望の党を結集軸にしました。いわゆる “リベラル派” については排除というよりは政界からの追放を目論みました。しかし “リベラル派” は立憲民主党を立ち上げ、市民の支援をうけ、結果的に希望の党を上まわる勢力となりました。連合は望まない方が多数派となった股裂きになります。
 そこで希望の党と、立憲民主党に参加しなかった民進党を統合して国民民主党を結集し、立憲民主党を上まわる勢力を目指しました。しかし希望の党の頑強な保守勢力は加わらず、不信感を持つ民進党からの合流もあり得ませんでした。
 またもや連合の目論見は外れます。しかも連合傘下の自治労、日教組、私鉄総連、情報労連は立憲民主党の支持を鮮明にします。連合のしがらみから解放されています。
 立憲民主党は連合が掲げてきた時間外労働の制限月100時間未満に拘泥される必要はありません。しかも国民民主党にイニシアティブがありません。100時間では労働者の健康は守れません。連合というたがが外れると自由な議論ができます。それが現在の状況です。
 しかし高度プロフェッショナル制度導入反対は両党同じです。その反対の姿勢で共闘し、労働者の労働条件全体の改善に向けて競いあうことが労働者のためになります。またそれを期待します。
 働き方改革法案への対応だけでなく、連合から指示を受けない独自の運動を展開し、労働者・労働運動の分解、自立を促し、活性化していくことを期待したいと思います。


 「活動報告」 2018.4.17
 「活動報告」 2018.2.23
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どうする健康保険
2018/04/27(Fri)
 4月27日 (金)

 4月に入ると、日経新聞は健康保険についての記事を何回か載せています。

 健康保険組合の財政が悪化しています。健保組合は大企業が単独で設けたり、同業の中小企業が集まって設立したりしていて、労働者とその家族の健康保険を運営しています。
 現在は全国1389組合の加入者は約3千5百万人 (本人1960人、家族1500万人) です。全国の健保組合で組織する連合会によると、16年度に経常収支が赤字になった健保は543組合、保険料率を上げたのは206組合でした。
 18年度予算によると、平均の保険料率は前年度比で0.05ポイントほど上がり年収の約9.2% (労使折半) と11年連続で上昇しています。1人あたりの平均保険料は、年間約48万6千円となり、10年で10万円超も増えました。
 高齢者の医療費を支えるために健保組合の加入者以外への拠出金の負担が年々重くなっています。16年度の拠出金総額3兆2800億円は、健保組合が医療費として支出した法定給付費の85%にもあたります。
 18年度は保険料収入 (総額8兆1千億円) のうち4割超が拠出金に回る見通しで、この10年で1兆1千億円も増えました。負担増をまかなうために各健保は保険料率の引き上げに迫られています。
 2割強の300超の健保組合は、国所管の全国健康保険協会 (協会けんぽ 旧政府管掌健康保険) の保険料率以上になり、使用者にとっては存続の利点が小さくなっています。

 いくつかの独立採算である健保が財政悪化を理由に解散を検討しているといいます。例えば、人材派遣会社の労働者と家族約50万人が加入する 「人材派遣健康保険組合」、16万人「日生協健保」 などです。解散したら中小企業向けの協会けんぽに移ります。
 人材派遣健康保険組合の保険料率はここ10年で2ポイント上昇して9.7%です。今年度の拠出金は保険料収入の4割超に上り、今後も増加が見込まれます。
 日生協健保の保険料率は10.7%です。
 これらを労使で折半します。一方、協会けんぽの保険料率は都道府県で異なりますが平均10%です。健保の保険料率がこれ以上あがると、使用者の負担額は協会けんぽに加入した場合よりも増えるということも解散の理由になっていきます。
 3年連続して赤字など財政悪化が著しい組合は、財政健全化計画策定を義務づける「指定組合」制度がありますが、2つの健保はいずれも指定組合ではありませんでした。

 協会けんぽには年1兆円規模の国庫負担が投入されています。人材派遣健康保険組合が協会けんぽに加入すると、発足以降の解散での最大の加入者数となります。税投入額は加入者数で計算します。今回の2健保の解散による国庫負担の増加額は200億円規模に上るといわれます。

 健保組合の解散の波が訪れたのは、08年に75歳以上の後期高齢者医療制度が導入された時からです。08年度とその翌年度で、合計で40近い健保組合が解散しました。近年は毎年数組合程度にとどまっていましたが、再び増えています。
 健康保険組合連合会の昨年夏のまとめでは、17年度は全国に1400ある健保組合の7割で収支が赤字の見通しです。18年度は6割の組合が赤字を見込みで、赤字合計は1400億円弱に上ります。解散予備軍といえる健保組合は310を超えています。ここ数年は加入者の年収が低い組合の拠出金を減らす救済措置がとられていましたが、解散予備軍は17年度とほぼ変わりませんでした。救済の効果を打ち消すほどに拠出金が増えています。
 予測ではこのまま負担増が続くと25年度までに全体の4分の1の380組合が解散する可能性があると予測しています。健保組合の解散風が再び強まれば、協会けんぽへの補助金は増加します。仮に380組合が移れば、国庫負担は1800億円増える計算です。


 政府の方針は口実を設けて取りやすいところから取って間に合わせてきたということです。健保組合が協会けんぽに移れば、税金で支える対象者は増えます。超高齢社会への対応を後回しにしてきたツケは、さらに現役世代に回りつつあります。
 高齢者医療の財源の一部を現役の働き手と事業主が負担する健康保険料に依存する方法は根本的に間違っています。なおかつ限界にきています。
 しかもそういいながら、非正規労働者に対しては、所得税の扶養控除、社会保険料の扶養控除、配偶者控除などの制限額を設定しています。社会保険料の扶養控除は非正規労働者の健保加入を阻止し、企業の折半の負担を軽くしています。しかし控除されながらいずれかの健保を被扶養者として利用しています。
 非正規労働者の低賃金は、政府が進める 「同一労働同一賃金」 制度を推進し、企業も労働者も共に社会全体のために負担を追う必要があります。そのことで共助・共生の社会をつくっていく必要があります。そうすると、免除されていない労働者の負担も少しは小さくなります。
 扶養控除は現在の低賃金でのやりくりにおける損得で計算されますが、自立を妨げています。
 1人ひとりが家族の加入者を本人加入者にすることにより、独立した社会保険を負担することは、将来にわたっての自立を保障することになり、さらに財源の改善にもなります。

 そして、福祉に充てるという口実で導入され、上がった消費税はどう使われているでしょうか。もう一度点検し直す必要があります。


 もう1つの健保・国民健康保険についてです。これについては 『ダイヤモンド』 が連載しています。
 健保組合、協会けんぽ、海員健保、さらに公務員等の共済組合に加入していない人は健保に加入します。国保は、もともと農林水産業者や自営業者のために作られた制度です。

 現行法の前身である国民健康保険法 (旧国保法) が施行されたのは、戦前の1938年7月1日。当時、工場や炭鉱で働く労働者、会社員など、いわゆる被用者を対象とする健康保険はすでに作られていたものの、農民や漁民、都市部の自営業者などをカバーする公的な健康保険はなく、医療を受けられない人も多くいました。とくに農村部の貧困はすさまじく、病気になると田畑や家どころか、娘を身売りして医者にかかるといった悲劇が常態化していました。
 そこで、農林水産業者や自営業者などの医療費の負担を抑えるために制定されました。今に続く市町村国保の始まりです。ただし、今のように強制性はなく、任意組織という位置づけで、市町村単位の 「普通国保組合」 と同業同種で運営する 「特別国保組合」 が組織されました。

 1959年1月1日に施行された国民健康保険法は、会社員や公務員以外の人はすべて国保に加入するという規定を設け、誰もがなんらかの健康保険に加入することを義務づけました。国民皆保険が実現しました。病気やケガをしたとき、「いつでも、どこでも、だれでも」 医療を受けられる国民皆保険は、国保の存在抜きでは成立しません。


 国民健康保険中央会の 「国民健康保険の安定を求めて」 (17年11月) によると、国民皆保険が実現した1961年度の国保加入者 (世帯主) は、農林水産業者が44.7%、自営業者が24.2%。会社員などの被用者は13.9%でした。
 15年度は農林水産業が2.5%、自営業が14.5%まで減少。代わりに増えているのが被用者の34.1%です。
 加入者構成が変化した理由は一次産業人口の減少もあるますが、雇用形態の変化も影響しています。いまや全労働者の3分の1がパートタイマーや派遣社員などの非正規雇用です。先にも述べましたが、企業や公的機関で働いていても、正規の職員ではなく非正規雇用も増えています。身分が不安定で収入が少ないため健保組合、協会けんぽ、共済組合に加入できない人も多くいます。企業はこれを “歓迎” しています。国保は、この人たちの受け皿にもなっています。


 もうひとつ、現在の国保の加入者は無職者です。1961年度に9.4%だった無職者の割合は、15年度には44.1%まで上昇している。その多くは定年退職した74歳までの高齢者です (75歳になると、後期高齢者医療制度に移行する)。そのなかの前期高齢者 (65歳から74歳) の割合は39.50%です。


 国保の財源は、15年度は全体で2843億円の赤字となっています。
 そこで、国保の運営を安定させるために、2018年度から国保の財政基盤を根本的に見直すことになりました。国の財政支援を拡大させることで、これまで市区町村が行ってきた国保の運営に都道府県が責任を持ってかかわり、財政健全化に向けた中心的な役割を果たしていくことになりました。
 これまで国保の保険料は市区町村の判断で決められていたが、今年4月以降は所得水準や使った医療費などから標準的な保険料の目安を都道府県が示し、その金額を参考にして市区町村が保険料を決めていきます。保険給付に必要な費用は、全額、都道府県から市区町村に交付されます。また、都道府県が国保の運営方針をまとめて、事務作業の効率化や広域化も進めることになっています。


 健康保険は、病気やケガになったときに必要な治療を受けられるという個人の問題を解決するだけではありません。病気で働けないために貧困に陥る人を減らして社会を安定させ、経済成長にも貢献しています。
 人らしい自由な生き方を保障するためにも、健康保険をはじめとした社会保障はさらに充実される必要があります。
 現役世代が疲弊していくと、高齢者との摩擦が生まれます。現役時代には高額の納税義務を果たしてきた人たちが社会に遠慮しながら生活しなければならないとしたら、国家はその役割を果たしていないということです。

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労働力と人間を切り離すと人権が問題にされなくなる
2018/03/31(Sat)
 3月31日 (金)

 現在、日本には25万人以上の技能実習生がいます。彼らのさまざまな相談を母国語で受けられるようにするための相談員研修会が20コマほど開催されました。相談員は、日本語を話しますが技能実習生と同じ国籍者です。
 その研修会で 「団結権保障の意義」 を担当することになりました。
 団結権というと、ほとんどの講座は労働組合法とその判例解釈でお茶を濁すことができますが、それではつまりません。抽象的になってしまいます。どんな話をしたらいいか、どう進めたらいいか、考え結果は、大切な感覚は日常的感覚で、それをカバーするのは雑学です。これまで 「活動報告」 に書いてきたこと等を集めてレジュメを作成し、何とか2時間をクリアすることができました。そのレジュメです。


 外国からきて日本で生活していると “それなに?” “なぜ?” の疑問が次つぎと沸いてきて戸惑うことが多くあります。日本社会は独特の文化を持っています。そのなかで、いわゆるカルチャーショックを受け、「異文化ストレス」 が発生します。なかなか溶けこむことができません。納得できないこともおきます。
 これらをどう理解したらいいのでしょうか。
 人類学者の中根千枝東大名誉教授は著書『タテ社会の人間関係』のなかで日本社会をインド社会と比較しています。
「日本に長く留学していたインド人が、筆者に不思議そうに質ねたことがある。
『日本人はなぜちょっとしたことをするのも、いちいち人に相談したり、寄り合ってきめなければならないのだろう。インドでは、家族構成としては (他の集団成員としても同様であるが) 必ず明確な規則があって、自分が何かしようとするときには、その規則に照らしてみれば一目瞭然にわかることであって、その規則外のことは個人の自由にできることであり、どうしてもその規則にもとるような場合だけしか相談することはないのに。』
 これによってもわかるように、ルールというものが、社会的に抽象化された明確な形をとっており (日本のように個別的、具体的なものではなく)、『家』 単位というような個別性が強くなく・・・個人は家の外につながる社会的ネットワーク (血縁につながるという同資格者の間につくられている) によっても強く結ばれているのである。」
 日本は 「家」 においても会社、社会においても 「タテ社会」 でヒエラルヒーが強いです。
 そして、契約関係も形式で、規則・法律の履行に際しても遵守しなくてもいいという認識があり、「タテ社会」 で “伺いをたて” てそれに従います。契約内容を遵守する者は “融通がきかない者” として 「われわれ」 から排除されます。
 そのため自分を守るという手法からも法遵守意識が希薄になっていきます。さらに中央集団的組織が強化されます。

 なぜ法遵守意識が希薄なのでしょうか。
「『タテ』 のエモーショナルな関係は、同質のもの (兄弟・同僚関係) からなる 『ヨコ』 の関係より、いっそうダイナミックな結び方をするものである。古い表現をとれば、保護は依存によって答えられ、温情は忠誠によって答えられる。すなわち等価交換ではないのである。
 このために 『ヨコ』 の関係におけるよりいっそうエモーショナルな要素が増大しやすく、それによって、いっそう個人が制約される。この関係は下 (子分) をしばるばかりでなく、上 (親分) をも拘束するものである。『温情主義』 という言葉に表されている情的な子分への思いやりは、つねに子分への理解を前提とするから、子分の説、希望を入れる度合いが大きい。」
 「保護は依存によって答えられ、温情は忠誠によって答えられる」 は現在の企業内労働組合の労使関係そのものです。他の会社、非正規労働者については関心が示されません。権利・義務が個別化します。


 戦後における労働組合の基盤・労使関係は戦時中に作られました。多くは戦時中の 「産業報国会」 のつくりかえです。産業報国会の基盤になったのは、「家族主義」 「温情主義」 の “縦の組合” (企業内組合) です。
 これがいわゆる 「民主改革」 の一翼を占めた労働運動でした。戦時中と本質的に体質は変わりませんでした。
 企業内組合はその後、「年功序列」 「終身雇用」 「企業内組合」 といわれる強固な “絆” の日本の労使関係を作り変えられていきます。そして企業を守ることを目的とした労働組合・労働者が登場します。個人、家庭よりの会社を大切にする 「企業戦士」 「会社人間」 が活躍します。現在 “絆” は会社のいうことに黙って従う従属の関係になっています。企業間競争に真っ先に奮闘していきます。
 その意志一致が “団結” です。そこでは 〈個〉 の存在は認められません。「権利紛争」 (権利の要求) が消えていきます。
 ですから団結という時、ヨーロッパなどの労働運動の団結と同じに捉えることはできません。
 エピソードです。ある人がシンガポールでの会議で日本の過労死の状況を報告しました。すると参加者は 「うそだ、どうして労働者はそこまで働くのだ」 といって笑って本気にしなかったということです

「多くの日本人のうちには、ほとんど軍隊的ともいうべき従順さと服従の精神がある。それを見るたびに、わたしはおどろいてしまう。この順応主義はあきらかに日本人がうけた教育の成果である。すなわち、個性をのばそうとせず、青少年が自分自身の良心や判断力にしたがうのを許さない教育の力がそこにある」 (アンドレ・レノレ著 『出る杭はうたれる フランス人労働司祭の日本人論』 岩波現代文庫)
 違法・不当行為指示への同意、個性を抑えた集団的行為の強制は、外国人から見たら奇異にしか映りません。
「ある日、べつの工事現場に出向いたとき、吹きつけ屋の人たちと議論をした。かれらはわたしに 『日本人は働きすぎるというのはほんとうですか』 ときく。そこで『ほんとうですよ』とこたえた。そして、日本では年間の労働時間は2.100時間以上だが、ヨーロッパでは1.750時間にすぎないと、公式統計の数字をあげてみせた。すると、かれらのひとりがいった。
『それなら、オレたちはもう大丈夫だな。経済戦争に勝つぞ』
 わたしはこの反応にあぜんとして、あとはもう言葉もでなかった。」

 労働者は生産手段を行使している労働現場の主人公です。だからといって 〈生産力〉 〈生産関係〉 と一体とみるならば人間としての労働者が欠落します。その結果が過労死・過労自殺です。


 人権とは、安全、安心して働ける権利、人格が認められ、差別のない働き方、処遇です。
 このような状況を 「人権が尊重されている」 といいます。
 しかし現実の状況として、労働経済学者の熊沢誠さんは 「労働者の人権は工場の門前で立ち止まる」 といいました。工場には人権がないということです。人権が憲法や民主主義にいいかえられたりしています。
 西欧的な意味でのコントラクト (契約) 関係が設定されにくいということです。そのようなコンプライアンスが確立されていないということです。

 日本には 「人権保護法」 がありません。法制定には今も抵抗があります。
 人権理論に関する世界史の流れは、1948年の 〈世界人権宣言〉 以降、それまでの自由権的基本権に加えて、人間の生活の基本的必要物を積極的に国家に要求しうることを内容とする社会権的基本権が、基本的人権の内容のなかに追加されるようになりました。
 第二次世界大戦後すぐに 「基本的人権」 が独立して登場します。
〈世界人権宣言〉
  第一条 すべての人間は、生れながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である。人間は、理性と良心とを授けられており、互いに同胞の精神をもって行動しなければならない。
 この宣言を共有できる社会を作り上げていかなければなりません。


 東日本大震災で大きな被害を受けた東北地方は、「金の卵」 「銀の卵」 と呼ばれた労働力提供基地として戦後の高度経済成長を支えました。たくさんの女子労働者が繊維産業、電気機器産業などで低賃金、長時間労働を寮生活の中で我慢しました。
 1960年代に、彼女らは自分を見つめ直し、会社に要求を始めます。
 「化粧品が買えるくらいの賃金のゆとりを!
  化粧ができるくらいの時間のゆとりを!
  化粧をする心のゆとりを!」
 このようにして賃金アップと労働時間の短縮を獲得します。
 彼女らの化粧品を提供したのが 「100円化粧品」 です。現在の 「ちふれ」 です。
 生活基盤のなかから出された彼女らは経済要求、権利要求は説得力を持ちました。

 団結は上位下達の統制ではありません。
 カラバオ (フィリピン語で水牛の意) の会 (神奈川県) は1980年に本 『仲間じゃないか外国人労働者 取り組みの現場から』 を刊行しました。
 外国人労働者が労災等に遭遇した時、不当な状況におかれた時、労働者・市民、通訳者、医師、弁護士そして労災問題取り組んでいる団体がそれぞれの力量を発揮しながら連携し、泣き寝入りをさせない対応を続けました。会社、行政、労災問題で労働基準監督、入管などと交渉しました。
 団結ではく 「仲間じゃないか」 の認識からの協働です。そして社会に様々な問題提起、世論喚起をしていきました。これこそが今の様々な運動に必要なものです。
 『本』 に1960年代の西ドイツの “教訓” が紹介されています。労働力不足に際し、外国人労働者を受け入れたが 「労働力を呼んだつもりだったが、人間が来てしまった」。そして 「労働力」 に対する労働者と労働組合の対応は ≪プロレタリアのさらに下層の者≫ の切り捨てでした。
 今の日本に似ています。欲しいのは労働力であって人間ではありません。それは非正規労働者の置かれている問題でもあります。労働力と人間を切り離すと人権は問題にされません。


 労働者の権利は自分たちの働き方を、お互いにもう一度検証するなかから “発見” できます。
 労働者は労働現場での 「仕事のやりやすさ、やりにくさ」 を知っているのでそこから提案、要求ができることです。労働組合の役割は、それを受け止めて一緒に実現していくことです。しかし労働組合が風通しがよく、柔軟性がなければ取り上げることができません。
 労働条件の改善は、人間性の回復・ゆとりを含めた権利紛争として対応されなければなりません。
 労働者の共通の課題はどのようなものがあるでしょうか。
 みんなが安心して長期に、安全に働ける職場環境とはどのような状況か。
 どんな労働をすることが労働者の豊かさや幸せにつながるのか。
 自分の仕事は社会に有用か。誰のための会社か。
 労働者として仕事に自信とのプライドを持てるか。  
 課題はたくさんあります。

 本来、人間が持っている価値観は、不公平・不平等、モラルダウン、人間同士のいがみ合いを受け入れません。法律で保障されているからではなく、法律に認めさせてきたのがその経過です。「私は好かれたい、愛されたい、自信をもって生きてゆきたいと切望している。あなたもそうでしょう」 の思いは、本来人間が持っている価値観です。
 1人ひとりの価値観 (個性) が違うことを確認しながら、「私の叫び」 を 「私たちの叫び」 に、「私の主張」 を 「私たちの主張」 に、「私の要求」 を 「私たちの要求」 に意識を共有し、共通の課題を組織していくことに挑戦していくことができます。「共感」 「理解」 「解決にむけての行動」 を共有して行動を続けていくことが大切です。そのためには労働組合は、自立した個の結合集団でなければなりません。そしてそれが強さです。このコントラクト (契約) 関係が本物の団結です。法律は関係ありません。

 この可能性は、すでに日比谷派遣村 (2008年) からも見出すことができます。
 格差社会の中で 「自助努力」 では生存権も保障されない労働者の存在を知った時、人権を脅かされている労働者を見た時、「ともに生きよう」 とたくさんのボランティアが駆けつけました。物資支援、カンパ、支援メッセージの中には平等、公平、人権回復の思いが込められていました。「自助」 から 「共助」 です。
 そのなかで労働者は生きる力 (エネルギー) をもらって再出発していきました。
 もう一度労働者・生活者の観点から労働と労働者の運動を捉え直さなければなりません。そして置かれている状況を相互理解しながら 「人の尊厳を大切にする労働」 =ディーセント・ワークを共同で要求しなければなりません。


 意識しておかなければならないのは、労働者の権利、使用者の義務は、労働者が声を上げて要求を続けなければ有効ではないということです。労働者の人権、権利の回復は声を上げることから始まります。共感をえると運動が起こすことができます。それが労働者の力です。


 神戸ワーカーズユニオンの機関紙2011年10号 『ワーカーズ』 に組合員の詩が載っています。中国人実習生8人が帰国する時の情景を書いた作品です。

    もくれんの白い花

             菊地 真千子

   やわらかな陽射し
   水色のそよ風に揺られ
   もくれんの白い花が
   いっせいに手を振る
   手を振る

   さようなら、さようなら        

   貴女たちは本当によく耐えたわ
   キリッと結んだその長い黒髪が物語る
   三年の辛い年月を

   朝早くから
   この地の人々が寝静まる夜更けまで
   閉ざされたカーテンの向こうで
   ミシンを踏み続ける日々
   睡魔に襲われ、コーヒーの粉を舐めながら

   死んだように眠る硬いベットの上で
   抱き締めるのは
   海の向こうに残した子らの面影
   一人息子の小さな手のぬくもり
   一人娘の赤い頬の柔らかさ
   幾筋もの涙の跡を私達は知っているわ

   でも
   貴女たちは立ち上がった!
   八人で力を合わせ、
   重い扉を押し開け、叫ぶ!
   「私達は人間よ!」
   求めるものはただひとつ
   「汗と涙の結晶に正当な報酬を」
   ゼッケンをつけて駅頭に立ち
   慣れぬ手つきで道行く人にビラを手渡す
   そのひたむきさに胸打たれ
   集うユニオンの仲間達
   働く者の怒りと友情は海を越えて繋がる
   さよなら、さよなら
   貴女達は本当によく頑張ったわ
   誇りに満ちた笑顔がその証
   さあ、温かな家族のもとにお帰りなさい
   闘いは今から

   さよなら、さよなら
   白いもくれんが
   懸命に手を振る

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トヨタが春闘から “降板” する意図は
2018/03/22(Thu)
 3月22日 (木)

 3月14日は春闘の集中回答日でした。しかし、トヨタの労使交渉について波紋が広がっています。
 今春闘でのトヨタ労組の要求はベースアップ月3000円でした。これに対する会社の回答はベアの具体的額を示さないで、ベアと定期昇給、自己研鑽の費用補助、期間従業員の家族手当などを合わせて平均1万1700円・ 「3.3%」 でした。具体的額については労組執行部だけに伝えられ、会社の役員に対しても緘口令が敷かれました。自動車総連など上部組織にも報告されません。組合員にベア額が知らされないということは春闘の主人公はだれなのでしょうか。

 15年2月3日の 「活動報告」 に書きましたが、トヨタは16年1月から賃金体系を変更しました。年齢が低い労働者に対しては競争を煽り、高齢者は雇用の調整弁の位置づけです。
 それ以前から労働力不足が深刻化し、さらに事故が続発したのは人員不足に原因があることが明らかになると、非正規労働者や期間従業員の正規労働者化がすすめられるなどの離職防止策がとられました。その原資は賃金体系の変更によって生み出されたものです。
 人員不足はつづいています。今年の3.3%にも非正規労働者を離職させないための日給・時給アップが含まれていたと予想されます。正規労働者の年収が770万円というなかで賃金改正においては非正規労働者の処遇に重点をおいた改正なら、それだけを見たなら歓迎されるべきことです。

 しかしトヨタ労組の対応は 「屈服」 でした。
 トヨタの18年3月期の純利益見通しは、前年より3割多い2兆4千億円で過去最高です。
 16年からの賃金体系変更は、役割や能力給の配分を増やした、「成果」 を含んだ業務への貢献度を賃金に反映さるということでした。
 では会社はそれをちゃんと履行したでしょうか。
 3月7日に労使双方の幹部ら約350人が一堂に会して開催された第3回労使協議会で、これまでの実績をアピールしてきた労組側に対し、豊田社長が答えます。
 「トヨタという家族の長として、その愛ゆえに率直に申し上げる」 と切り出しました。
「あえて厳しい言い方をすると、100年に1度の危機感を本当に持っているならば、自分たちの過去の成果に目を向けている暇はありません」 「皆さんから 『(仕事を) やった、やった』 という声、その結果として 『要求に応えてくれ』 という主張を聞く度に、私は 『一緒に闘ってくれないのだろうか』 と寂しい気持ちになっていた」
「次の100年も自動車メーカーがモビリティー (移動手段) 社会の主役を張れる保障はどこにもない。『勝つか負けるか』 ではなく 『生きるか死ぬか』 という瀬戸際の戦いが始まっている」
 危機感を煽りました。妥結後に記者会見した上田達郎専務役員は 「組合員が一体となって頑張らなければならないという前向きなメッセージだ」 と説明しました。
 トヨタでは1962年の 「労使宣言」 締結以降社長は必ず出席します。今は全役員が出席します。そして協議会は会社からの経営の説明会となります。

 豊田社長の 「自分たちの過去の成果に目を向けている暇はありません」 は遠い過去の成果ではありません。営業利益2兆2000億円をあげている現在の成果です。しかしそれに拘泥しないで生きるか死ぬかの危機感を持てと煽ります。
 結局、賃金は貢献度を評価して決定するといいながら、“会社の都合 (主張)” によって無視されたということです。努力は報われなくても 「労働者に常に危機感をもって働け」 という恫喝です。
 未知の問題に対して 「勝つか負けるか」 「生きるか死ぬか」 と危機感をあおる行為は経営陣の任務放棄の宣言です。
 しかし労働組合が恫喝に簡単に屈するところに使用者主導の労使一体の関係性の実態が表れています。


 トヨタ自動車グループの車部品大手のデンソー、アイシン精機、豊田自動織の機の各労組は、いずれもベースアップ3000円の要求を掲げていましたが、12日、前年同額の月1500円で妥結しました。トヨタグループの労使交渉は、例年ならトヨタ自動車の交渉を踏まえてどれくらいのマイナス幅で決着するが争点でした。しかし今春闘は部品大手3社の妥結が先行しました。
 昨春闘は、トヨタはベア月1300円でしたが、グループの3割の組合がトヨタを超えるベアを獲得しました。人材不足を解消するためのものでもありました。しかしトヨタは、ベアを実施するゆとりがあるなら部品の納品価格を減額しろと要求したといいます。
 トヨタのジャスト・イン・タイムは関連会社、子会社・孫会社、さらにその下請けが存在することで維持されています。車の75%の部品は仕入れ先が支えています。トヨタとトヨタ労組はまさにそのなかで君臨しています。
 トヨタが 「勝つか負けるか」 「生きるか死ぬか」 の闘いというなかで、関連会社等はトヨタと運命共同体でいて大丈夫なのか、そのうち切り捨てられるのではないかという危機感を抱くのうは当然です。
 トヨタが春闘をリードするという構造を続けるとグループ会社はその影響を受けざるをえません。労使それぞれでの一体感の表明でもありました。しかし今年の春闘は別個に対応するという表明でもありました。豊田社長はトヨタ労組に 「一緒に闘ってくれないのだろうか」 と呼びかけましたが、「一緒」 に関連会社等は含まれるのでしょうか。
 トヨタ労組が会社と 「一緒に闘う」 方向を強化すすると、関連会社の労働組合との連携を今後拒否することにもなりかねません。
 今年の春闘はその分水嶺でもありました。トヨタが労組が本気で関連会社の労働組合一緒に闘おうと呼びかけるなら、格差是正の要求は不可欠です。


 今春闘におけるトヨタの妥結内容非公開は、これだけでとらえることができません。トヨタは来春以降も非公開を続ける方針を表明しています。相場先導役からの “降板” を宣言です。

 14年の春闘から 「官製春闘」 と呼ばれるようになりました。発端は、13年9月20日に首相官邸の主催で、政府・経済界・労働界の合意形成を図る 「経済の好循環実現に向けた政労使会議 (政労使会議)」 が開催され、政府が経済界に賃上げを要請したことによります。政労使会議はその後も継続し、今年で5年目になります。
 本来、ベースアップなどは労使間の協議で決定されるものです。しかし労働組合の力が弱体化するなかで、一方の経団連も自立して政策を提言する力を失っていました。そのなかで経済成長を政策に掲げる安倍政権は消費力を増大させるために労使関係・べースアップに介入をしました(18年2月23日の 「活動報告」 参照)。労使双方が労使関係を政府に依存する関係になっていました。
 安倍首相は今年 「3%以上」 を要請しました。
 経団連に副会長を送っているトヨタは首相の要請を断ることはできません。しかしトヨタは、このような政労使の関係を維持するつもりはありません。今後は自分たちから政労使を動かそうとしています。それが今年の春闘です。

 3月11日の朝日新聞 「平成経済 第2部 昭和モデルの崩壊」のなかで、大橋光夫経団連元政治委員長は 「日本の産業構造におけるサービス産業の比重は高まった。経団連は製造業中心から脱皮し、成長するIT産業や、消費者に密着したサービス産業の意見も反映できる組織にならなければならない。そうすれば将来、楽天などがつくる新経済連盟 (新経連) などと一緒になることも可能ではないか」 と語っています。
 新経連は、2012年6月1日に発足したサービス産業を中心の新興企業の集まりで会員企業は約500社です。
 同じ記事の中で、古賀伸明連合会長は 「労働運動は 『資本家が労働者を搾取する』 という考え方のもと、労働者が資本家に抵抗することから始まった。時代の変遷とともに、これが 『対立』 『調和』 『参加』 と変わっていったが、冷戦の終結がこの流れを決定づけた」 と語っています。
 「対立」 「調和」 はお互いの関係性の問題です。トヨタの 「労使宣言」 は 「調和」 だったのかもしれません。しかし現在のトヨタ労組の立ち位置はまさしく 「参加」 です。 「参加」 は一方からもう一方への移動がともなう立ち位置の変動、歩み寄りです。労働組合の自立を喪失させてしまいました。これでは本気で会社と対峙することはできません。

 2月18日の朝日新聞の新経連に関する記事の中で、牛尾治朗経済同友会元代表幹事は 「いまや売上高の半分以上を海外で稼ぐ企業も多い。一国の枠内で、制度や戦略を考える時代ではなくなり、財界や行政が立ち入る余地は少ない。若い経営者が直接、政権とやり取りする時代になった」 「次の時代、財閥そのものが、いらなくなるかもしれない」 と語っています。新経連が労働者の処遇について関心を示すとは思われません。経営者の政府や労働組合からの “自立” です。
 トヨタの春闘回答での具体的内訳を示さない回答は、春闘からの “降板” をにおわせます。春闘の終焉を誘導しかねません。
 
しかし労働者は権利紛争や利益紛争を止めることはできません。権利紛争を止めたことが過労死等を生み出しています。トヨタでは裁量労働制の名のもとに月60時間の残業、実際はそれを上まわるサービス残業が強制されています。利益紛争を放棄すると、富むものはますます富み、貧困者がますます貧困に陥る社会となり、格差が拡大して生存権が脅かされます。
 労働運動は、生存権の要求を掲げ、貧困状況から抜け出すための社会運動として始まりました。かつての春闘はベースアップだけでなく、さまざまな権利紛争や利益紛争を盛り込んで闘い、成果をあげてきました。
 「調和」 「参加」 ではなく、自立した日常の活動を積みあげるなかで労働組合運動の労働組合運動の再構築を急ぐ必要があります。

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