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京アニ放火事件の救助活動に従事され方がた ご自愛を
2019/08/02(Fri)
 8月2日 (金)

 7月18日午前10時半ごろ、京都アニメーション第1スタジオに男が侵入し、建物1階や従業員などにガソリンをかけてライターで着火し、火災、爆発が発生する事件が発生しました。3階建ての建物は全焼し、35人が死者し多数の被害者が出ました。屋上につながる階段には20人の遺体が折り重なっていたといいます。

 京都消防局は10時35分に火災を覚知、消防車・救急車49台、約190人を出動させ消火・救急活動を行いました。20時間後の翌19日6時20分頃に鎮火しました。
 発見された遺体は京都府警察学校に安置されました。
 突然の事故に遭われた被害者のみなさまの無念の思いに心から哀悼の意を表します。
 同時に、救援活動に従事された消防、警察、医療機関等々の方がたは言葉では言いあらわせない惨状を目の当たりにするなかで職務に専念しました。現場を離れたあとはゆっくりと “心の傷” を癒され、休養されることを願いします。


 7月26日、京都市消防局から現場に最も早く駆けつけた2人の署員が報道各社の取材に応じて話した状況です。
 消防への通報は18日午前10時35分にあり、取材に応じた指揮隊長と副指揮隊長らが現場に向かう途中から黒煙が激しく立ち上るのが見えました。5分後に現場に到着しましたが、その時は3階建てスタジオすべての窓から炎と黒煙が噴き出していました。防火衣を着ていても、消火しながらでないと中に入れません。指揮隊長は 「昼間の火災であれだけの規模は、経験したことがない」 と振り返りました。
 「何とか (建物の中に) 入ろうとしたができなかった」 と言葉を詰まらせました。中に残された人数すらつかめませんでした。すぐに応援を要請します。
 現場では、救急隊員約50人に加え、医師らも駆けつけて救助や負傷者の治療の優先順位を決めるトリアージを行い、医師と連携して病院に搬送しました。
 指揮隊長は涙を浮かべながら、「隊員全員が1人でも多く命を救おうと懸命に活動したが、結果的に34人が亡くなり大変残念で、やりきれない思いがある」 と話しました。


 市消防局は同日、総務省消防庁に心理ケア要員の派遣を要請し、現場活動に当たった隊員たちの 「惨事ストレス」 対策を強化する方針を示しました。過酷な現場で隊員も精神的ショックを受けた可能性があり、心のケアに努めるといいます。
 救援部隊は 「要救助者が不安になるので苦しい顔を一切するな」 が心構えになっています。感情を殺します。惨事ストレスは、自然災害よりは人的災害のときの方が症状は大きいといわれます。納得できないからです。
 もっと何とかならなかったかは、救援活動に従事する者が常に抱く思いです。


 松崎俊道著 『近代消防ブックレットNo.13』 (近代消防社) です。
「アメリカの臨床心理学者ボブ・ベイカー博士が『惨事ストレス』についての講演の会場で次のような発言を残しています。
『日本文化は一般的にみて、感情を表出しない文化であるように思います。本当は自らの悩みや不安を他の人に話さなければならないのに、そのようにはしない傾向があるように思います。その結果、感情が抑圧され、身体的症状、例えば、頭痛や胃潰瘍などの症状が、日本人には出やすいように思えます。』
  ……
 消防庁の調査によると消防職員の惨事ストレスの最も大きな原因は、1位 『死体を見た、あるいは死体に触れた』、2位 『死体が凄惨、あるいは衝撃的な災害であった』 です。(有効回答数880)。以下、『ふだんの災害より過度に体力を消耗した』、『死傷者がいるところで長時間作業をした』、『遺体が哀れであった』 などと続きます。しかし、この1位、2位のデータがダントツに多い。  ……
 英語で特定の任務を終えた人から報告を受けることをデフリーフ (debrief) と言います。そこからデフリーフィング (debriefing) は、米空軍用語として 「帰還報告」 の意味になりました。
 そして、消防など災害にかかわる人々の間ではとくにこのデフリーフィングは 『災害対策報告会』 の意として活用されるようになりました。」


 消防職員・消防団員の惨事ストレス対策が問題になったのは1995年の阪神大震災からです。
 兵庫県精神保健教会こころのケアセンターの 『災害救援者の心理的影響に関する調査研究報告書』 からです。
「平成11年 (1999年) 8月に神戸市消防局職員を対象に、阪神淡路大震災による心理的影響についてアンケート調査を行った。
 有効回答は1211件で、その主な結果は、次のような点である。
①震災から4年半の時点で、PTSD (外傷後ストレス障害) の症状を強く有すると判断され
 る者は、全体の11.7%であった。震災時の業務活動における非常事態ストレス (CIS)
 の強さで分類すると、CISに強く暴露された者 (高暴露群) では16.3%と最も多くついで
 現場活動に従事しなかった者 (待機群) 4.1%の順であった。また、震災時消防職員で
 なかった者では、5.8%であった。」

 その後、消防隊員の惨事ストレスが取り上げられたのは2001年9月1日に東京都新宿区歌舞伎町の雑居ビルで起きた歌舞伎町ビル火災で44名が死亡したときからです。
 しばらくしてから体調不良に陥った隊員が続出しました。
 その時の東京消防庁の経験を、東京消防庁人事部健康管理室主任が消防関係者のための月刊誌 『近代消防』 2001.12号に、『新宿歌舞伎町ビル火災と東京消防庁の惨事ストレス対策』 のタイトルで載せています。
「われわれ消防の世界では、災害現場で悲惨な体験をしたり恐怖を味わったりしても、自分自身で乗り越えてきました。
 特に、むごたらしい死体を見て気持悪くなったり、匂いを嗅いで吐き気がしたりしても、それはどちらかというと 『恥』 と捉えやすく、周りにはあまり大きい声では言えなかったこともあったと思われます。そのような感情を乗り越えてこそ1人前の消防官というように見なす空気が土壌にあったことも事実です。
 しかし、『基本的にストレスを受けない者はいない』 と一般的に言われていますが、ストレスをストレスと認識できないのが現状で、『風邪という症状をしらない人間は医者に行かない』 と言うことと同様で、本人がそのことに気づかなければ何ら解消に繋がらないということになります。
 今私達に必要なことはストレスをストレスと正しく認識して、早期にストレスを解消し、後に引きずらないようにしていくことが大切なのです。」

 2003年4月に 「緊急時メンタルサポートチーム」 が発足します。
 東京消防庁は、消防士の健康管理のため、消防署ごとに精神科の医師やカウンセラーを派遣しています。悲惨な事故現場に出動した消防士には、ストレス障害などに関する相談を義務づけています。
「緊急時メンタルサポートチームが要請を受けて消防本部に赴いて、消防職員の心のケアに当たるという活動を今も継続してや っております。私もその一員ですので、緊急時 メンタルサポートチームの活動について、具体的にお話させていただきます。
 緊急時メンタルサポートチームとは、『惨事ストレスの発生が危惧される大規模災害、特殊災害、または多数の死傷者を生じた災害等が発生した場合、現地からの要請等に基づき、消防庁があらかじめ登録した精神科医、臨床心理士等を消防本部等に派遣し、消防職員および消防団員の惨事ストレス対策を実施するもの』 とあります。活動実績としては、平成25年 (2013年) 6月時点で、これまで53件の消防本部等へ派遣され、2.266名のケアを実施しております。私自身は、東日本大震災から緊急時メンタルサポートチームとして活動を開始しております。2011年5月から岩手県、宮城県、大阪、それか ら福島県にも派遣されました。」

 東京消防庁の取り組みについては11年9月30日の 「活動報告」 で紹介しました。
 東日本大震災での福島原発事故に対する東京消防庁の放水活動において、上司は最も危険な持ち場に立って隊員を指揮していました。これで部下は恐怖を安心感と信頼感で克服して作業を続けることが出来ました。そして達成感をもって任務から離れることができました。
 震災の6か月後に開催された救助活動の報告会で体験談を語ってくれた消防士に終了後に 「ストレスを感じませんでしたか」 と遠回しに質問しました。「ああ、惨事ストレスのことですね」 と即座に受け止められ 「東京消防庁はきちっと対応しています」 と回答が返ってきました。
 被災地から帰った隊員にはちゃんと専門家が体験したことを語らせ、体験交流をしてストレスを解消させているということでした。隊員1人ひとりに心情を 「ちゃんと吐かせます」 と語っていました。
 派遣された3000人以上の隊員から体調不良者は出ていないということでした。
 話を聞いて改めて安心できました。頼もしく感じました。
 

 緊急時メンタルサポートチームについてです。
 消防庁消防・救急課は大きな台風など災害が発生するたびに関係都県消防防災主管課に 「惨事ストレス対策について」 の 「事務連絡」 を出しています。
「……場合によっては、今後、活動にあたった消防職団員の惨事ストレスが危惧されるところですので、各消防本部等におかれましては、今回の災害において現場活動に従事した消防職団員の身体的・精神的ケアについて、十分留意していただくようお願いいたします。
 惨事ストレスに関する資料及び消防庁緊急時メンタルサポートチームに関する資料を添付しますので、参考にしていただければと存じます。
 また、消防庁緊急時メンタルサポートチームに関する相談・要請等がある場合には、下記までご連絡ください。」
 そしてA4で11ページの 「惨事ストレスに関する参考資料」 が添付され、まず惨事ストレスの説明があります。
「人間は何らかの外的要因により引退と同様に心にもさまざまな傷を負うことがあります。この心身に不快をもたらす要因をストレッサーと呼び、それが非常に強い場合には、心的な交渉を残すことがあり、これを心的外傷 (トラウマ) と呼びます。……
 消防職員などの災害救援者は、凄惨な災害現場活動に従事することで、被災者と同様の強い精神的ショックを強いられる他、職業的責任により忌避できない立場や身の危険が脅かされることがあるなど、一般の被害者とは異なる心理的影響を受けます。こうした状況下での心理的負荷を 『惨事ストレス』 (CIS) と呼んでいます。」
 そして、管理職の役割や個人診断のための 「惨事ストレスによるPTSD予防チェックリスト」 も含まれています。さらに具体的症状と対策をわかりやすく解説しています。

 「事務連絡」 の効果は大きいです。
 トップがこのような連絡を出すということは、隊員の体調を心配している、体調不良を隠したり、我慢して無理をするなというメッセージです。そうすると隊員は組織を信頼し、安心して任務を遂行することができます。これは災害支援や危険な状況での対応では特に大切なことです。
 惨事ストレスは誰にでも起こり得ることと明言しています。自分のわがままで他の隊員に迷惑をかけるのは申し訳ないという意識に陥ることを防ぎます。早期対応ができます。逆に無理をして重傷に陥る隊員が続出することが組織にとっては最大のリスクで、他の隊員にも不安が生まれてしまいます。
 組織トップが心身を大切に守れと呼びかけ、隊全体にそのような雰囲気が浸透すると安心感とゆとりが生まれ、周囲の隊員たちへの気遣い、気配りも可能になります。お互いに体調を守り合うことになっていきます。そして仲間との信頼関係を築きます。


 京都アニメーション放火事件の犠牲者並びにご家族の方々に繰り返し哀悼の意を表するとともに、救援活動に従事された消防、警察、医療機関等々の方がたに感謝とお礼を申し上げます。

 「消防士の惨事ストレス対策」
 「活動報告」 2016.2.10
 「活動報告」 2013.4.2
 「活動報告」 2011.9.20
 「いじめメンタルヘルス労働者支援センター」 ホームページ・ご相談はこちらから
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体調不良者の発生は減らすことはできます
2019/01/29(Tue)
 1月29日 (火)

 東日本大震災から間もなく8年を迎えます。
 最近の日本列島は災害大国といわれるように各地で災害が発生しています。

 16年4月16日に熊本地震が発生しました。
 「自治労通信」 2019年冬号は、特集 災害後のストレスで 「『熊本地震による自治体等職員のメンタルヘルス健康調査』 結果の概要」 で 「こころとからだのメンタルヘルス健康調査」 結果を報告しています。
 調査は、被災した熊本県と大分県の11自治体の職員を対象に18年2月から3月に行われ、震災前の入職者から3732人の回答がありました。(回収率93.3%)
 現在の業務の状況では、「復興業務を中心に行なっている」 193人 (5.3%)、「復興業務と通常業務を並行している」 678人 (16.4%)、「通常業務従事」 2772人です。

 震災前と比べた業務量の変化についての質問に、復興業務従事者の57.8%、復興業務と通常業務を並行している職員の28.3%、通常業務従事者の19.4%が 「増えている」 と回答しています。増えているの内容は、時間外労働時間21.4%、休日出勤が12.4%です。復興業務従事者では時間外労働時間46.4%、休日出勤が29.4%におよびます。
 睡眠時間について震災前と比べての質問です。減少しているは17.6%で、復興業務従事者では30.2%におよびます。

 震災後職場で起こった最大の問題については、多い順に 「人手不足による苦労が増えた」 67.3%、「震災関係の業務が多く忙しかった」 61.2%、「復旧で業務上の混乱が長く続いた」 54.8%、「家族やプライベートが犠牲になった」 54.2%、「仕事に関して自分の未熟さを感じた」 53.3%、「充分な休暇がとれなかった」 50.6%、「意図したように仕事ができなかった」 46.7%、「先が見えない仕事が多く辛かった」 42.4%などでした。
 これらの特徴は、通常業務従事者でも広くみられました。
 行政改革などで職員数が減らされてゆとりがなくなっているなかで通常にはない業務を行わなければなりません。しかし自治体職員が担わなければならない業務です。
 自治体職員を抜きにした復旧活動はありえません。
 そのなかから下記の 「自治体職員であることに誇りを感じた」 のような意識も生まれてきます。


 職員のメンタルヘルスを考えるうえで、住民とのコミュニケーションについて質問しています。
 「住民のつらい体験を聞いた」 69.1%、「住民から感謝された」 48.8%、「住民から非難されたり怒鳴られた」 44.1%です。
 被災地で職員と住民はお互いに立場は違いますが対立する関係にあるものではありません。復旧・復興は共同作業です。お互いが置かれている立場の理解が必要です。

 復興業務を成功させるための職場の上司、同僚の配慮と気遣いに関する設問への 「はい」 の比率です。
 「ねぎらいの言葉をかけられた」 73.7%、「心配してもらえた」 73.1%、「困ったとき相談にのってくれた」 64.5%、「感謝の言葉をかけられた」 61.3%、「気分をなごませたりしてくれた」 58.6%でした。
 それぞれの職場においてはお互いに 〝声掛け“ がおこなわれていたようです。

 震災を通しての自分の変化についての設問への 「はい」 の比率です。
 「人のやさしさや温かさを感じるようになった」 68.4%、「ひとまわり大きくなった」 32.4%です。家族や周囲の人間との絆への影響については、「家族などの人との絆の大切さを感じるようになった」 82.6%でした。また、「自治体職員であることに誇りを感じた」 42.7%、「熊本人であることに誇りに思った」 39.6%でした。


 現在におけるストレスの状況についての質問です。
 「非常に感じている」 10.9%、「ある程度感じている」 51.7%です。このうち、復興業務従事者においては 「非常に感じている」 19.2%、「ある程度感じている」 54.3%です。一方、通常業務従事者における 「非常に感じている」 は8.4%です。
 では、ストレスの要因は具体的にどのようなものでしょうか。(14項目中4つ以内の選択)
 多い順に、「復興業務の仕事量が多く時間が長い」 51.9%、「復興業務中住民の過剰な要求がある」 36.2%、「復興業務に伴う仕事の配分が不平等」 34.6%、「復興業務を評価してもらえない」 15.4%、「震災前職場から別職場へ異動した」 15.2%、「復興業務の不払い残業等が多い」 13.1%、「地震や復興業務の相談相手がいない」 8.6%などです。
 復興業務そのものがストレスに大きな影響を及ぼしています。
 上位4位以下は、震災前の日常的ストレスと似ています。また職員間にも震災の受けとめ方に「格差」が生まれているようにも思われます。


 「こころの問題」 による休職・退職の状況です。
 周囲に 「休職・退職はいない」 18.7%、「地震前と比べ増加した」 22.1%、「変化はない」 34.1%、「わからない」 24.0%です。ただし、復興業務従事者においては、「休職・退職はいない」 13.2%、「地震前と比べ増加した」 38.4%と大きな差があります。

 震災に関する最近1週間の最大の悩みについてです。項目に 「やや」 「かなり」 「非常に」 があてはまった率です。
 高い順に 「思いだすと気持ちがぶりかえす」 23.6%、「睡眠の途中で目が覚めてしまう」 20.5%、「イライラして怒りっぽくなっている」 16.0%、「地震のことは考えないようにしている」 14.8%、「警戒して用心深くなっている」 14.2%などの順です。
 悩みについて、心的外傷後ストレス症状測定用のIES-Rの手法を用いて診断しています。合計総得点が25点以上のケースをPTSDの疑いがあると判定します。
 平均値は9.9点。25点以上の割合は10.3%、24点以下が89.7%です。復興業務中心の従事者では25点以上が17.6% (平均値12.2)、復興業務と通常業務を並行している従事者では13.3% (平均値11.2点) となっています。
 震災後2年近くたった状況としては深刻です。
 さらに、PTSDの発症は、阪神淡路大震災では10年後に起きています。心身の健康維持の対策は長期に進められる必要があります。無理を強いて二次被害、三次被害が発生したならばそれは人災です。

 この2週間に悩まされた最大の問題について、「衆に数日」 「週の半分」 「ほとんど毎日」 あると回答した比率です。
 「疲れた感じがする・気力がない」 55.4%、「寝つきが悪い・途中で目が覚める」 43.6%、「あまり食欲がない・食べ過ぎる」 37.0%、「気分が落ち込む・憂うつになる」 34.1%、「物事に対し興味がない・楽しめない」 32.6%などです。
 2週間の悩みについて、抑うつの状態を測定するPHQ-9の手法で算出しました。大うつ病性障害の可能性がある合計総点数は10点以上です。平均値は3.9点です。
 10点以上は12.0%、そのうち10~14点・中程度7.3%、15~19点・中程度~重度3.1%、20~27点1.5%です。
 復興業務を中心の従事者では10点以上が16.0%、そのうち10~14点10.8%、15~19点4.1%、20~27点1.0%です。復興業務と通常業務を並行している従事者では10点以上が16.2%、そのうち10~14点8.8%、15~19点4.8%、20~27点2.7%です。
 PTSDの疑いがある25点以上の割合10.3%と大うつ病性障害の可能性がある10点以上12.0%が似ています。


 “こころのケア” 実施状況です。
 「充分におこなわれた」 3.1%、「ある程度行われた」 30.3%、「あまり行われなかった」 27.3%、「まったく行われなかった」 10.5%です。ただし、復興事業従事者ついてだけでは、「あまり行われなかった」 34.8%、「まったく行われなかった」 14.4%で、約半数になっています。

 “こころのケア” 実施状況と現在の健康状態におけるストレス有無等との関係については、「こころのケアがおこなわれた」 職員においては 「現在の健康状態」が 「良い」 52.1%、「悪い」 12.4%です。「こころのケアがおこなわれなかった」 職員においては 「良い」 41.2%、「悪い」 23.7%です。同じように 「ストレスの有無」 については、「感じている」 57.4%と71.1%です。
 震災対応の職員には “こころのケア” は不可欠です。しかし各自治体において対応・体制に差があったようです。


 “こころのケア” を妨げている問題は何でしょうか。
 回答は15項目中4つ以内の選択です。項目を職員の思いと体制の問題に分けると職員の思いとしては、高い順に 「職場に余裕がなく対応ができない」 38.0%、「ケアが役に立つのかわからない」 28.1%、「職場での対策や取り組みがない」 17.0%、「管理職の理解と研修が不十分」 16.0%、「自治体の取り組みが消極的」 11.7%です。
 体制の問題としては、「ケアの必要な人が誰かわからない」 37.0%、「必要な人への対応方法がわからない」 30.6%、「相談窓口があっても利用されない」 19.2%、「労働者の理解が不十分」 13.5%、などです。

 上記の復興業務を成功させるための職場の上司、同僚の配慮と気遣いに関する設問への「はい」の比率とは違った結論になっています。
 職員は、組織としての対応を期待していたのかもしれません。
 また、体調不良などは個人的に我慢する傾向がまだあります。
 16年5月下旬には地震の対応をしていた阿蘇市の50代の男性職員が自宅で自殺しています。
 管理職は全体に対する取組等の周知と 「無理をするなよ」 の声掛けが大切です。


 阪神淡路大震災を経験し、東日本大震災を経て教訓は活かされているように思われます。
 災害はなくすことはできませんが減らすことはできます。
 同じく、災害支援において体調不良者の発生はなくすことはできませんが減らすことはできます。

 「心のケア」
 「活動報告」 2018.7.10
 「活動報告」 2018.6.12
 「活動報告」 2017.11.28
 「活動報告」 2017.8.1
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全国の自治体職員を疲弊させないために
2018/07/10(Tue)
 7月10日 (火)

 7月11日で、東日本大震災から7年4カ月を迎えます。
 7月10日の朝日川柳に 「立ち直る 前にこの町 また豪雨」 という福岡県の方の作品が載りました。
 各地で地震、豪雨等の災害が続いています。

 今回の西日本豪雨で亡くなられた方がたのご冥福を祈ります。

 亡くなられた方のなかに兵庫県宍粟市の方がいました。
 2012年3月、東日本大震災から1年を迎えた宮城県石巻市門脇地区の空き地には何本ものプラカード式のタテカンが立てられていました。「兵庫県 宍粟市民の皆様 多大なご支援 誠にありがとうございました! 寒さに負けず、これからも一歩 一歩 前に進んで行きます!」 「兵庫県宍粟市民の皆様 ご支援本当にありがとうございました! これからも見守ってくださいネ」
 多大な支援をもらったようです。今回亡くなられた方は、もしかしたら7年前に支援に駆けつけてくれた方かもしれません。

 石巻市は東日本大震災で3200人が亡くなりました。
 門脇地区は、地震・地盤沈下・津波・地震火災に襲われました。かつて住民が住んでいた海側は公園になります。山側のあたりに少しずつ住民がもどってきたり、復興住宅が完成して入居がはじまっています。この地域で亡くなった方の慰霊碑はまだ建てられていません。

 東日本大震災、16年4月14日に発生した熊本大震災の被災地には、今回被災した地方の自治体からもたくさんの職員が派遣され、ボランティアの方がたも駆けつけています。その方がたのなかにも今回の被災者がいると思われます。とても他人事とは思えません。

 3月30日、総務省は 「17年度における 『東日本大震災』、『熊本地震』 及び 『17年7月九州北部豪雨』 による被災地方公共団体への地方公務員の派遣状況調査等の結果 (17年10月1日時点)」 を公表しました。
 東日本大震災被災地に全国の自治体から派遣された職員数は1,775人です。
 職員を派遣した自治体の種類ごとの人数は、45都道府県が974人 (全体の54.9%)、20指定都市が200人 (全体の11.3%)、341市区町村が601人 (全体の33.9%) です。
 派遣を受けた自治体ごとの人数は、岩手県内へ521人 (全体の29.4%)、宮城県内へ927人 (全体の52.2%)、福島県内 へ327人 (全体の18.4%) です。派遣先は、県が456人 (全体の25.7%)、市町村が1,319人 (全体の74.3%) です。
 前年の同時期からは272人減っています。
 16年度には、熊本県下から派遣された職員が着任してまもなくに熊本大地震が発生し、派遣先自治体から戻る指示がだされたということもありました。また、東日本大震災の教訓を熊本で活かそうと自主的に職員を派遣した自治体もありました。
 一方、18年度の職員派遣は困難と表明する自治体も出ていました。

 熊本地震被災地に全国の自治体から派遣された職員数は275人です。
 職員を派遣した自治体の種類ごとの人数は、38都道府県が142人 (全体の51.6%)、19指定都市が43人 (全体の15.6%)、72市区町村が90人 (全体の32.7%) です。派遣先は、県が112人 (全体の40.7%)、市町村が163人 (全体の59.3%) です。
 東日本大震災の減が熊本地震被災地への派遣数とほぼ同じです。全国的に見たら負担は軽減されていません。

 17年7月の九州北部豪雨による被災地に全国の自治体から派遣された職員数は111人 (17年10月1日時点) です。
 職員を派遣した自治体の種類ごとの人数は、21都道府県が60人 (全体の54.1%)、2指定都市が10人 (全体の9.0%)、26市町村が41人 (全体の36.9%) です。
 派遣を受けた自治体ごとの人数は、福岡県内へ88人 (全体の79.3%)、大分県内へ23人 (全体の20.7%) です。派遣先は、県が32人 (全体の28.8%)、市町村が79人 (全体の71.2%) です。


 各自治体は、行政改革、市町村合併などにより業務が統合され、定員が削減されるなかで、実際の日常業務量は減らないどころか逆に増えてゆとりがなくなっています。そのなかから各地の被災地に職員を派遣しています。無理の限界にきている状況にあります。それでも被災地の自治体ではストレスや過労からの体調不良に陥る労働者数は減っていません。(18年6月12日の 「活動報告」 参照)
 自治体労働者を抜きにした復旧活動はありえませんし、その体制維持は長期におよびます。心身の健康維持の対策は長期に進められる必要があります。無理を強いて二次被害、三次被害が発生したならばそれは人災です。

 行政改革は、推進の大きな世論形成と人びとの加担のなかで進められました。そのつけが非常時に対応の遅れなどになって自分たちに回ってくるとは想定していませんでした。
 災害大国として、非常事態にそなえた食料などの備蓄だけでなく、それぞれの自治体においてゆとりある人的体制を確保しておく方向への切り替えが必要になっています。住民はその要求を国や自治体に要求する必要があります。


 災害発生に際しては、救助活動に全国から消防隊員、警察官、自衛隊員、ボランティアなどが駆けつけます。
 今回も、いつ新たな土砂崩れ、洪水に襲われるかわからない危険にさらされながらの救助活動が続いています。安全のための万全の対応がとられる必要があります。
 危険と隣り合わせの活動、遺体捜索・搬送などは心身の疲労に大きな影響を及ぼします。

 2014年8月20日に発生した広島土砂災害においては、死者は74人におよび、その中に子供を救出中の消防士1人が含まれていました。消防士は仲間の目の前で土砂に埋まり、子どもを抱いたままの姿で発見されました。
 広島市消防局職員に対する直後の健康調査では5%にストレス反応が見られました。
 広島市消防局は毎年8月20日を「安全を誓う日」に定めました。

 13年10月に発生した伊豆大島の土石流災害においては、遺体捜索を続けていた消防団員がフラッシュバックや不眠などの症状を訴え、心的外傷後ストレス障害 (PTSD) と診断されました。

 消防庁は災害等の発生に際してのいわゆる 「惨事ストレス」 対策は対応が早いです。各消防局に対策の必要性と方法、相談先等を通知したりしています。
 それでも、心身不良はいつ発症するかわかりません。本人が気付いていない不調もあります。周囲の者はお互いに気配りをしながら支え合う日常的対応、そして組織的な長期の対応が必要です。

 警察官も消防隊員も、各地からの応援ではなく、自らも被災者の者もいます。その場合には、任務遂行の前に家族の対応と休暇・休養を優先させる必要があります。大丈夫いって無理を続ける者がいますが、不安に駆られたままでの活動は危険であること、自分だけで活動しているのではないことを理解させることが必要です。休暇・休養は、活動を続けるための必須の 「任務」 です。

 東本大震災の時の仙台消防局の対応です。
「連絡が取れない家族等の安否確認や家財などの損壊程度が計り知れない不安感などで、これまで経験したことのない閉塞感を職員のだれもが感じ、行き詰るストレスのやり場がない状態で、職員間の意見の摩擦など表れ出したところもあった。そうした頃、地震発生からから6日目のことである。『一時帰宅』 という措置がとられた。我々職員は自分の耳を疑った。
 それは、本来、職場で取るべき休憩や仮眠を、環境を移して自宅で取る‥。という解釈の措置であり、不眠不休の業務継続の末、職員の心と身体の健康管理を考慮した結果の策であった。
 『家に帰れない‥』、『家族に会えない‥』 という日常生活において当たり前のことができない日々が続く中で、消防の活動を期待して止まない市民に対しては、消防職員がその業務を離れ自宅に戻ることなど許されないと思っていた。まして、夫や妻、父や母、そして息子や娘の側面を持った消防職員の家庭では、その職員の帰りをいち早く待ち望んでいる家族など誰もいなかった。
 それは誰もが理解し、『当然のこと』 と自らを納得させていたからこそ、それぞれの心の中にじっと閉じ込めていた 『耐える‥』 という封印感情の中で職員も葛藤していた。
 しかし、その耐える力にも限界があって、個人差もあった。消防職員とて人間である。睡眠も必要であれば、心配ごとで仕事が手につかないこともある。そんな思いを組織は理解してくれ、思い切った措置を取ってくれたのである。
 我々職員は涙がでる思いであった。素晴らしい組織である。職員を大切にしてくれていることを実感した。
 ……職責を離れ、私人として自宅に戻り家族と再会することへの後ろめたさ、罪悪感のような感覚をもった職員は、1人、2人だけではないはずである。
 こうしてとられた一時帰宅の措置によって、消防職員として使命を達成させることの誇りと、家族への感謝の気持ちをあらためて心に刻み込み、心にビタミン剤を補給して職場に戻ってきた職員たちの顔は、みな穏やかで、我々職員は働く活力を取り戻した。」


 今回は、岡山県で警察官が犠牲になりました。

 東日本大震災の時、被災地に部隊を派遣するにあたっての警視庁第二機動隊第三小隊ボート小隊の小隊長から1人ひとりの隊員に手紙が手渡されました。
「・・・
 今回の派遣は、震災からしばらく経っているが、初めて見る被災地の惨状の中で、我々はきっとたくさんの悲しいものを見ることになるだろう。これからみんなが目の当たりにして、もし、悲しくて、無力感を感じて、恋しくてたまらなくなったら、遠慮しないで泣いてほしい。俺は泣きます。そして善いもの、美しいもの、素晴らしいものを観たら、微笑んでより良い方向に向かうように被災者、仲間、自分を励ましてほしい。俺は笑います。
 俺からひとつみんなに厳命がある。それは、どんなことがあっても俺より先に倒れるな。俺はみんなとこの災害特別派遣を完遂させ、みんなを待っている人の元に必ず帰還させる。これが俺の最大の任務であり、また帰還することがみんなの使命だからだ。そのためにもみんなの知識、経験、技能を集め、集団警備力として現場で力を発揮してほしい。
 俺たち第三小隊の合言葉は、艇庫ロッカーの扉裏に書いてある 『一艇ありて一人なし』 でいこう。現場ではみんな命を預け合う仲間だ。いつも言うように、仲間を絶対に見捨てるな。・・・」
 全員無事に帰還したようです。


 人を殺すことを任務とする軍隊を、緊急事態と称して人を救助する任務に就かせることは任務放棄を強制しています。期待しませんが、救援活動中に本来の任務の緊急事態が発生したらどうするのでしょうか。
 外国の軍隊にこのような任務はありません。アメリカの州兵は、緊急性があっても本来の任務以外の活動は2週間以内です。
しかし日本は、阪神淡路大震災では1年間でした。本来の任務の緊急事態発生の予想がないなら縮小・解散に向かうべきです。

 自然災害に対応する 「災害救援隊」 を主務とする部隊創設を検討する時期にきています。


 悲惨な状況に直面したら誰でも心身の体調を崩します。「心身の不調は災害という異常な事態への正常な反応」 です。お互いの支え合いがストレスの解消につながります。
 自然災害は防止することはできませんが被害を小さくすることはできます。人災は極力防ぐことができるし、そうしなければなりません。

 救援活動、支援活動で奮闘している方々に心から感謝いたします。

 「活動報告」 2018.6.12
 「こころのケア」
 「いじめメンタルヘルス労働者支援センター」ホームページ・ご相談はこちらから
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想定外のことが起きることをふまえた対処を
2018/06/12(Tue)
 6月12日 (火)

 東日本大震災から7年3か月が過ぎました。
 各地で震災・災害に見舞われています。自然を破壊し、地球をいじめ過ぎているのでしょうか。
 熊本地震から4月で2年が過ぎました。震災復興に携わってきた自治体職員の心身の疲労が深刻な状況にあります。

 5月31日の熊本日日新聞は 「地震2年、熊本市職員 うつ、PTSD疑い88人」、5月27日の西日本新聞は 「うつ・PTSD疑い」 4.3% 熊本市職員 地震発生から2年、割合は減少 [熊本県]」 の見出し記事を載せました。熊本市は、市民病院の職員と教職員を除く全職員約9千人を対象に4月中旬から下旬に 「食欲が増えたり減ったりしているか」 「ささいな音に過敏に反応するか」 など、被災体験の日常生活への影響を12項目についてアンケート調査を行っています。16年の地震発生3週間後、17年4月にも行なっています。
 16年にうつや心的外傷後ストレス障害 (PTSD) の疑いがあった職員は696人 (回答の13.9%)、17年は130人 (同7.2%) でした。今年4月時点では回答した2064人の4.3%に当たる88人でした。内訳はうつの疑い38人、PTSDの疑い26人、両方の疑い24人で、16年から3回続けて疑いがあるとされた職員は7人いました。

 アンケートに回答した職員数は23%です。理由は、そんなことをしている暇はない、関心はあるが正直に回答したら体調不良がばれる、アンケート調査で体調不良の結果が出るのが怖い、調査そのものに不信感を持っている、などさまざまです。その一方、自分の深刻な状況を市に伝えようとしているものもあると思われます。
 不調者数は減ってきていますが、全体に自分を犠牲にして職務をはたそうとしている姿がうかびあがってきます。深刻な状態が続いています。市はこれ以上無理をさせない対策をとる必要があります。16年から連続疑いがあるとされた職員については配置転換や休職の措置が必要です。


 4月27日の熊本日日新聞は 「『心のケア不十分』 4割弱 県内自治体職員アンケート」、5月14日の西日本新聞は 「職員の7割超がストレス訴え 熊本地震の復興業務 休退職や自殺事例も 自治労が調査」 の見出し記事を載せました。
 自治労は、1月から3月、熊本県庁と熊本地震の被害が甚大な10市町村の職員を対象に調査を行いその結果を発表しました。

 強いストレス後に表れる代表的な症状を例示して尋ねたところ、回答者3732人のうち、「地震のことを思い出すと、その時の気持ちがぶり反ってくる」 に23.6%が 「当てはまる」 と回答。「睡眠の途中で目が覚めてしまう」 も20.5%いました。地震前と比べ、 心の問題で休職や退職した人が 「職場で増えた」 と感じている人が22.1%いました。
 現在の健康状態は、23.4% (206人) が 「やや悪い」 「非常に悪い」 と答えました。

 回答者4002人のうち復興業務従事者は881人です。そのうち73.4% (647人) がストレスを 「非常に感じている」 「ある程度感じている」 と答えました。理由は、多い順に 「復興業務の仕事量が多く労働時間が長い」 「住民から過剰な要求がある」 「仕事の配分が不公平」 でした。
 また、自治体による心理的ケアは 「あまり行われなかった」 「まったく行われなかった」 が合わせて37.8%で、「十分に行なわれた」 「ある程度行われた」 の同33.4%を上回わりました。心理的ケアを実施する上での問題 (複数回答) としては38.0%が 「職場に余裕がなく対応できない」 でした。

 地方公務員災害補償基金熊本県支部は、災害対応に追われて病気やけがをした職員計23人について、地震に絡む公務災害と認定しました。
 2016年5月に自殺した阿蘇市の男性職員も17年2月14日公務災害に認定されました。熊本地震に対応して亡くなった県内自治体職員の初めて認定でした。(16年6月7日の 「活動報告」 参照)
 自治体関係者によると、他にも復興業務に従事し自殺した職員が複数いるが、遺族が申請をためらう事例もあり、正確な数は不明といいます。
 復興業務担当職員の休退職も判明分だけで県内計10人です。国民健康保険料の減免申請窓口や災害ごみ処理業務などの担当者で、業務増や心的負担が理由といいます。
 また、体調不良から退職したものもいます。


 職員のメンタルヘルスケアは、阪神淡路大震災の時よりは進んでいますが、東日本大震災の時の教訓が十分に生かされていようには思えません。
 『消防科学と情報』 2015 (冬季) 号に掲載された、東日本大震災の宮城県石巻市の教訓を中心に語られている 「自治体職員の惨事ストレスに対するメンタルサポート -初期支援、そして中・長期的な取り組みを振り返る-」 からの抜粋です。

「少なくとも被災地の自治体職員が経験する以下3点の問題点を有するためである。
 第一に、自治体職員自身が被災者であり、自身の家族の安否を確認できぬまま、もしくは職員自身も人的・物的喪失を伴いつつ業務に従事している職員がいることである。
 第二に、自治体は被災者のサポートや地域復興の拠点であるため、通常の業務に加え、長期的、且つ見通しの立たない業務が増大することである。
 最後に、被災地住民の生活やそれと関連するサポートに従事しているにもかかわらず、やり場のない住民からのクレームの対象となり、自らの仕事の意義を見失ってしまう可能性をもつことである。このように自治体職員は、メンタルヘルス上、ハイリスクの状況下にある。」

「震災初期に惨事ストレスとして注目されるのは、急性ストレス反応 (Acute Stress Response: ASR)、そして ASR の持続期間により判断される心的外傷後 (Post Traumatic Stress Disorder: PTSD) の問題である。……
 自分自身、また同僚や部下といった周囲の人々が、未知の体調不良や違和感を経験することは、非常に不安なことである。また、この不安は今後の見通しに対して否定的な意味付けを与え、自分自身や周囲との関係において混乱を引き起こす可能性をもっている。そのような出来事を回避するため、筆者らは、現状、または今後に、自分自身や周囲に起こりやすい心身の反応や問題についての知識の提供、つまり、心理教育を行っていった。
 ・・・
 管理職・監督職にある職員は、自分自身の問題もさることながら、部下、または部署全体の問題を懸念することも多いためである。例えば、終わりがみえない、または、見通しが立たない業務に対して、意図的に区切りを設け、労をねぎらう場を作るといった取り組み、さらには、各部署で上手くいった方法を共有することが功を奏することもあった。後者の個別面談では、健康調査を基に、心理的問題の知識の提供を行うとともに、今後、専門家による個別的、継続的な援助の必要性、医療機関への受診の提案などスクリーニングによりその後の必要な支援につなげることを実施していった。」

「震災発生から概ね1年前後という時期は、自治体職員のストレス反応を把握する上で一つの区切りとしてみることができる。・・・
一方で、復興業務と関連して起こる、抑うつと心身への負荷、業務内容の格差、対人関係上の問題へと徐々に移行する。とりわけ、多忙や過重労働による抑うつ、そして心身の疲弊 (バーンアウト) の問題が顕著である。」

 熊本現地は、現在この段階ではないでしょうか。


 現地では人手不足が深刻な問題になっています。
 この問題について、『労働調査』 16.7号に掲載された、田中浩二・自治労・総合企画総務局長のNew Wave 『突如起こる災害への備えと、公的な役割について考える』 の抜粋です。
「こうした震災の度に指摘されるのは、自治体の職員数が足りないこと。・・・
 地震大国日本。私たちは古くから地震災害と向き合ってきたし、地殻変動が激しく火山活動も活発な日本で暮らす以上、避けては通れない。今回地震で役場や学校、病院などの多くの公的施設も甚大な被害にあった。住民サービスを担う公共施設等が被害にあえばたちまち住民生活に影響が出る。全国どこでも大規模災害は起こりうるもので、非常時でも住民サービスを低下させないための準備は自治体の責務であり、人減らしが進む自治体にとっては職員が足りないからと言い訳などできない。『想定外の・・・』 と、5年前の東日本大震災でもこの言葉が多く使われた。過去の経験から学び、同じことを繰り返さないために対策を施し、いざという時の備えを積み重ねてきたにも拘らず、である。仮に、『想定外の事は必ず起こりうるもの』 とするなら、そもそも想定することに意味がないようにも思えてくる。いずれにせよ、『こうしておけば良かった』 などと後で言わないための対策が重要なのは今更言うまでもない。」


 通常でギリギリの体制では緊急事態が発生した時に取れる体制は限度があります。長期対応は不可能です。全国から支援もゆとりがない中からおこなわれています。本来的に当てにすることはできません。
 しかし無理に無理を重ねている現実があります。そこに被災住民から自治体窓口への不満・要望が舞い込みますが当たり前のことです。

 このようなことを見過ごしたままにしておくことは地震大国にあるべき姿ではありません。そこで発生する被害は人災です。

 「自治体職員の惨事ストレス・ケア」
 「自治体職員の惨事ストレスに対するメンタルサポート」
 「突如起こる災害への備えと、公的な役割について考える」
 「活動報告」 2016.7.21
 「活動報告」 2016.6.7
 「いじめメンタルヘルス労働者支援センター」ホームページ・ご相談はこちらから
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新聞記者の震災取材
2018/01/16(Tue)
 1月16日 (火)

 1月17日は、阪神淡路大震災から23年を迎えます。
 朝5時47分に発生した地震は東京でもはっきりと揺れを感じました。しかし震源地の情報は入りません。関西地方というだけです。はっきりするまではかなりの時間を要しました。被害の情報も同じです。正午過ぎに死者が100人を超えたというニュースが流れました。

 1月下旬、神戸に向かいました。鉄道は芦屋から先は不通です。芦屋の駅前にはがれきが背丈以上に積み上げられ、その間に作られた通路を人びとは行き来します。
 バスに乗って三ノ宮に向かい、廃校になった小学校の避難所に行きました。

 避難所で被災者の人たちとがれきを燃やした焚火にあたっていました。そこに若い新聞記者が取材に寄っていました。ここに被災者は何人いるのか、地震発生の様子はどうだったか・・・。根掘り葉掘り聞きます。
 「私はボランティアなので、私ではなく被災者の方に聞いてみてはどうですか」。それでも質問してきます。記者は怖くて被災者に話しかけられないのです。結局、被災者がいる教室の写真を外から撮っただけで帰ってしまいました。


 真山仁の小説 『雨に泣いている』 (幻冬舎 2015年刊) を読みました。真山仁は小説を書く前は読売新聞社の記者でした。阪神淡路大震災の頃はフリーライターです。
 東日本大震災後を題材にした小説としては、ほかに学校の児童たちを取り上げた 『そして、星の輝く夜が来る』 (14年3月19日の 「活動報告」 参照) と 『海は見えるか』 (幻冬舎) (16年3月9日の 「活動報告」 参照) があります。『海は見えるか』 では自衛隊員の惨事ストレスも取り上げています。

 『雨に泣いている』 の中から新聞記者の任務と惨事ストレスに関する個所を抜き出してみます。

 主人公・大嶽は、阪神淡路大震災の時は若手の新聞記者です。今は東京本社で、東日本大震災が発生すると特別取材班に半分志願して宮城県の被災地の取材に向かいます。

 主人公は阪神淡路大震災の17日、手当たり次第にカメラにおさめながら歩いていると老婦人が 「孫が生き埋めになっているんです!」 と悲壮な声で叫んでいます。何人かが集まって必死にがれきを取り除こうとしていたのでカメラを構えて “助け合う市民の姿” を撮ります。
 「おい、おまえ、何撮ってんねん!」 がれきを撤去していた若者にいきなり掴みかかられ、名乗ると拳で殴られました。呆気に取られていると目の前にショベルがつきだされます。「取材も大事やろうけど、その前に救出ちゃうんか」
 がれきに埋もれた小学校4年生の少女を地域の人たちと一緒になって救助作業を続けて6時間後に救出します。少女はかすり傷を負った程度で大きなけがはしていませんでした。それを取り上げた記事は、翌日の朝刊に写真と共に載ります。
 しかし少女は後頭部を強打したことによる脳内出血で急死します。翌日、掲載紙を渡そうと避難所に行くと伝えられます。
 3日後に少女がなくなったことを記事にします。
 その日から主人公は記事の恐ろしさに耐えられなくなります。
 「その場限りの軽はずみな “美談” を作り上げるから、悲劇をおおきくするのだ」
 震災で被災者に迎え合えなくなり、ついには取材という行為そのものが怖くなってしまいます。

 その後の記者の行動です。
「阪神・淡路大震災を取材する中で一時期、遺体安置所の前に立ち、行き交う人たちに謝り続けたことがある。
 そうしなければならないという強迫観念に追い立てられて、遺族らに気味悪がられても、市の職員に追い払われても同じ行動をくり返した。
 それをからかった先輩記者との大立ち回りの後、私は千葉の実家に強制送還された。結局、神戸支局には戻れず、岡山県の通信局に異動になったのだ。
 その後、岡山支局で県警担当となった頃、阪神淡路大震災の時に遺体安置所だった場所を訪ねた。だが、すでにまったく別の公共施設が建てられていた。
 それでも当時の名残を求めて、一時間ほどさまよい、遺体安置所があったと記された小さな石碑を施設の中庭の片隅に見つけた。
 持参した花を供えて両手を合わせ、二度と同じ過ちを繰り返さないと固く誓った。ただ、それで禊が終わったとは思わなかった。もし、また同じような大震災が起きた時、自分はためらわず被災地に出かける、とも誓った——。」
 
 この界隈はボランティアでいった避難所の近くです。

 主人公が東日本大震災の被災地で他社の記者と言い争いになった時に答えます。
「記者の仕事は、被災者に同情することじゃない。どれほど相手が悲しみに暮れていても、何が起きたかを聞きださなければこの惨状は伝えられない。安っぽいヒューニズムなど不要だ」
 15日に書いた記事です。
「・・・ありのままを記事にすることは不可能だ。
 ただ一つ、記者がこの地でくじけそうになる時に心の中で繰り返す言葉がある。
 言葉を失ってはいけない。とにかく目に映るもの、聞こえる音、声、匂い、そして何より、それでも生き続ける被災者の息遣いを伝えるのだ。・・・」


 主人公と一緒に東京本社から東日本大震災の被災地の支社に入った若い記者・遠藤がいます。乳飲み子の子供がいて、出かける準備のために自宅に戻ると妻に反対されますが振り切って被災地に向かいました。
 宿舎の主人公の部屋にアルコールをかかえて訪ねてきます。2人の会話です。

「実は我ながら情けないんですが、今日、荒浜に立ち寄ってから何を取材すべきなの分からなくなって・・・」
「こんな場所に来たら誰だってそうなるさ」
「そういうレベルじゃないんです。どんな状況であっても、伝えるべき筋を整理して出稿するのが記者の本分だと思うんです。でも、僕は器用じゃないんで」
 それは私だって同じだ。何を伝えるべきなのか。記者である限りずっと悩み続けると思う。
「見て感じたままを字にすればいいだろう。大震災を前にして、いい記事を書こうなんて思わないことだ」
 自戒を込めて言った。
「実は、ここに来ることになった時に、良いことだけを記事にしよう、って決めたんです。でも良いことなんか見つかりそうもなくて。こんな絶望を日本国内で目の当たりにする事態なんて、まったく考えたこともなかったんです。なのに良いことを探そうなんて能天気な自分が情けなくて」
「いいじゃないか、それで。どうせ皆、鵜の目鷹の目で悲惨話を貧るんだ。最初からいい話だけ追いかける奴がいるのは素晴らしい。それが遠藤らしくていいよ」
 からかっているつもりはない。震災が起きたからといって、無残だ、悲惨だのと連呼する必要はない。……
「良い話を書くのは、きれい事じゃないだろう。歯を食いしばって生きようとする被災者の姿を伝えるのは、俺たちの使命の一つだ」
遠藤だってそれくらいは理解しているはずだ。それでも、圧倒的な破壊を前にして、途方に暮れてしまったのだろう。
「おれは使命感を持たないことにしている」
「どういうことです」
「目の前で起きていることを伝える。結果として、それはバッドニュースかもしれないしグッドニュースかもしれない。だがそれを判断するのは俺の仕事じゃない。余すところなく被災地の現状を伝える。それ以上は考えない」

 主人公と若い記者は別の班で行動します。
 後日、主人公が支社のデスクに問います。
「遠藤はどうしています?」
「東京に返した」
 耳を疑った。
「何かあったんですか?」
「俺が訊きたいよ。2日目の朝に、ホテルの部屋から出てこなくなってね。もう取材ができないって泣くんだよ。それで支局長と相談して帰したんだ」

 この若い記者は東京に戻って、被災地にあった特ダネを追跡する任務に就かされます。被災地から意識を離すことが許されません。

 主人公はもう1人の若い記者・細川と一緒の行動をします。
 かつて町があった場所まで来ると、誰もが黙り込んでしまった。……
 遺体を乗せた担架が横を通り過ぎた。来た方向を見遣ると、うずたかい瓦礫の山がある。自衛隊に礼を言って、そちらに向かった。
「記者さん、危険です」
 だが、足を止めなかった。あるものを瓦礫の間に見つけた気がしたからだ。……
 人体の一部だ。
 「二体あります!」 と自衛隊が声を張り上げると、他の自衛官が集まってきて、がれきを丁寧に脇に払う。やがて、人の形をした泥の固まりが現れた。
 さすがにカメラを構える時に一瞬躊躇したが、結局はシャッターを切った。
 二体目は子どものようだ。しかも、損傷の程度が尋常ではない。作業する自衛官の動きも止まっている。現場にいる自衛官は皆若い。平常心を保つのが辛い作業だった。
  ……
 地獄――軽はずみには口にできない言葉が浮かんだ。それは取材する者が使ってはいけない禁句だ。
 何も考えず手当たり次第シャッターを切った。我に返ると、足取りが重くなったのを感じた。
 タクシーに戻ると、細川が車の横で呆然と立ち尽くしている。
「何をしている」
「すみません、足が動きません」
 軽く彼の背中を押した。よろめくように細川が数歩動いた。
「遺体確認をしている住民から話を聞いてこい」
 怯えたように細川が激しく首を左右に振った。
「無理です。そんなこと、僕には無理です」
「ここに何しに来ている。おまえがここでやることは、聞く、撮る、書くことだけだ。それが嫌なら、仙台に戻れ」
 細川は泣きそうな顔になった。

 この記者は被災地に留まって取材を続けさせられます。


 3人の記者とも、“地獄” を見て体調不調におちいりました。これらは実際にあったことを題材にしていると思われます。
 しかし作家は、記者らは現場に戻って・留まって取材をするなかから自信を回復するという展開をさせます。“言葉で伝える”記者魂を現場で鍛え直すという手法です。
 はたして、作者がモデルにした新聞社のこのような対応は正しいといえるでしょうか。根性主義では逆に隠れた体調不良者が続出しているはずです。さらに体調は悪化し、退職者も続出します。記者がかわいそうです。
 “弱い”からこそ心がこもった記事が書けるのではないでしょうか。
 あえて小説に異議を申し立てたくなりました。
 東日本大震災で新聞記者もストレスを感じたり体調不良に陥ったという体験をたくさん聞きました。新聞社によって対応は違っていました。

 震災の教訓は、被災者だけでなく、救援者・支援者を含めて被害を小さくすることです。
 体調不良は、異常事態における正常な反応です。

   「報道陣の惨事ストレス対策」
   「活動報告」15.3.20
  「いじめメンタルヘルス労働者支援センター」ホームページ・ご相談はこちらから
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