2017/07 ≪  2017/08 12345678910111213141516171819202122232425262728293031  ≫ 2017/09
「まず自分を守ること。自分を守れてはじめて他の人も助けられる」
2017/08/01(Tue)
 8月1日 (火)

 地球の温暖化のせいなのかはわかりませんが異常気象がつづいています。
 7月5日、福岡、大分県を襲った九州北部豪雨は土砂崩れも発生し36人の死者をだしました。追い打ちをかけるように台風が襲いました。
 6日、大分県日田市では警戒活動に従事していた消防団員が土砂崩れに遭いました。地域を回って周囲に避難を呼び掛け高齢者を避難所に運ぶなどの活動をしていました。いったんは公民館に避難しましたが被害の状況を確認しようとして出かけました。

 5月4日、横浜市で、消防団員のあり方を考えるシンポジウムが開催されました。東日本大震災のときに岩手県宮古市田老地区での救援活動で指揮をとった2人の消防団員が報告をしました。
 教訓として 「逃げることは恥ずかしくはない。生き抜くことがいかに大切か」 「津波のときにはとにかく自分の身を守るということが大前提。自分を守らなければ、人は助けられない」 と語りました。
 そして心身の疲弊を懸念し、交代で休みを取れるよう特別な部隊編成に見直すとともに、臨床心理の専門家によるストレスチェックを受けられるよう消防署と掛け合ったことも披瀝しました。
 東日本大震災では、地震が発生すると消防団員は水門を閉めに海のほうに走った、地域住民に避難をよびかけてまわった、1人では避難できない住民と一緒に避難をして波に巻き込まれたなどの話をたくさん聞きます。250人の消防団員が亡くなっています。

 東日本大震災のあと消防団のあり方の議論が進んでいます。そして消防団員だけでなく防災の議論も進んでいます。
 15年3月20日の 「活動報告」 の再録です。
「『階上中学校といえば 「防災教育」 といわれ 内外から高く評価され 十分な訓練もしていた私たちでした。』
 しかし東日本大震災で3人の卒業予定者を亡くしてしまいました。
 階上中学校では震災前は3年間の間に 『自助』 『共助』 『公助』 のサイクルで防災訓練を行ってきたといいます。
 震災を経て防災教育の見直しをしました。何よりも自分の命を確実に守ること、それが多くの人の命を守ることになるという確認をしました。その結果、『自助』 『自助・共助』 『自助・公助』 のサイクルで、『自助』 を基盤にした防災学習に変えました。
 「とにかく自分の身を守る。自分を守らなければ、人は助けられない」 です。

 東日本大震災のとき、消防団員は震災後も避難所の運営などにたずさわりました。
 全国から駆け付けた救援部隊による捜索活動には地元の地理と状況を知っているということで水先案内もおこないました。捜索活動は知っている方の遺体にもであいました。しかしたずさわっている任務が優先です。個人的行動は後回しです。
 このようなことは今回の災害においてもそうだったと思われます。しかし救援活動にたずさわる人たちもくれぐれも 『自助』 『自助・共助』 『自助・公助』 を心にとめてほしいと思います。


 朝日新聞は 「てんでんこ 皇室と震災」 を連載しました。その6月6日の記事です。
「陸上自衛隊東北方面総監の君塚栄治さん (15年死去) は宮城県東松島市の松島基地で両陛下を迎えた。
 かつて君塚さんに取材したとき、印象深かった話がある。『遺体の扱い』 だ。3月14日に被災地の陸海軍の統合任務部隊指揮官に任命された際、当時の北沢俊美防衛相 (79) に 『ご遺体は生きている人と同じように、丁寧に扱ってください』 と言われたという。
 君塚さんは大臣の言葉を部下に伝えるにあたり 『自分の家族と同じように』 と言い換えた。『被災地の現場に行くのは18歳から20歳の若者。身近に死体を見る経験もない隊員たちにもわかるように説明する必要があった』」

 防衛相の発言は間違いで危険です。
 この発言のテレビニュースを消防団員の方と一緒に見ていました。
 彼は間髪を容れずに 「この対応は間違い」 と叫びました。「ご遺体は生きている人と同じように、丁寧に扱ってください」 の対応をしていたら、救援者は持ちません。
 防衛相は背広組ですから実際の対応方法がわからないこともあります。しかし制服組の幹部も同じ発言をするとは驚きです。消防団では周知されていることを自衛隊では幹部が知りません。

 11年4月22日の 「活動報告」 の再録です。
「米軍の制服組を養成する学校には遺体を扱うときの留意事項が列挙されたマニュアルがあります。『遺体が救援者に引き起こす気持ちの変化:救援者向けパンフレット』 として防衛医科大学の医師が翻訳しています。日本でも消防庁では活用されています。(加藤寛著『消防士を救え!』 東京法令出版刊)
 しかし、自衛隊では救援活動は本来の任務でないということからかあまり活用されていないのでしょうか。軍としての 「殺す」 という任務は側面で 「殺される」 ということも覚悟していると思われますが。
 パンフレットを紹介します。
 【基本的な心構え】
 ・業務の目的を忘れないでください。そして、それを見失わないようにして下さい。
 ・業務前に「心の準備」をすることは簡単ではありません。そのため、業務内容で何が求められ
  ているのか、可能な限り事前に知ることが大切です。また、同じような経験をした同僚から話
  を聞くことも大切です。
 ・休息をこまめにとり、衛生を保ち、食事と水分をしっかり摂って下さい。
 ・業務外の時間では、心身ともに休んでください。
 【遺体への接し方】
 ・遺体に接する時間は必要最小限にして下さい。そして、ほかの人にも必要以上に見せないように、
  敷居、カーテン、パーティーション、カバー、袋などを用いて下さい。
  業務中は、防御服・手袋を着用し、二次感染の危険性を減らしてください。
 ・特定の遺体に集中しすぎないようにして下さい。自分が強い気持ちを抱きやすい遺体には、
  特に注意が必要です。
 ・遺体はあくまでの遺体であって、もう生きてはいないことを、自分の中で言い聞かせてみるのも
  一法です。これは、必要以上に気持ちが流されないためなので、業務終了後、そのような距離感を
  取ったことに対して、決して自分自身を責めないでください。
 ・遺体の近くにある遺留品は、身元確認のために重要であり、遺族にとって大切な所持品です。扱い
  には注意を払ってください。しかし遺留品への必要以上な執着は、あなたの気持ちを必要以上に
  つらくしますので、注意が必要です。
 ・臭いを消すための香水や香料は、業務体験とともに後々の記憶に (悪い形で) 残してしまうことが
  ありますので、使用にあたっては注意が必要です。」
 自衛隊では 「まず自分の身を守ること。自分を守れてはじめて他の人も助けられる」 の 「まず自分を守ること」 が組織的に行なわれていません。

 そして今回の朝日新聞の記事を見て思うのは、このような記事を何のためらいもなく載せるということは、救援活動ではなくても現場に駆けつけることがある新聞記者自身と新聞社においても 「まず自分を守ること」 の必要性が理解・周知されていないことがうかがわれることです。いつか新聞社そのものが深刻な事態に陥る危険性があります。


 雑誌 「トラウマティック・ストレス」 の13年12月号に東日本大震災の経験について防衛大学の医師らが共同で 「自衛隊における惨事ストレス対策―東日本大震災における災害派遣の経験から―」 を寄稿しています。
「東日本大震災では、自衛隊史上最大の災害派遣規模に加え、遺体関連業務や被爆関連業務が多くの隊員が関わることになったため、発災当初、『メンタルヘルスの問題を抱える隊員が大量に生じるのでは?』 と懸念されたのが正直なところである。しかし、これまでのところ、そうした事象は確認されていない。
 PTSDの症状は心的外傷性体験した多くの隊員で観察されたが、それは一時的なもので、多くは数日、残りのほとんども数週間で自然消退した。PTSDの診断基準を満たす症状を有し、それが1か月以上続き、診断に至った隊員も若干名いたが、数カ月の治療で軽快、寛解しており、精神障害として重症化した事例は現時点では認められていない。……
 長期フォローアップのスクリーニングについても、カットオフポイント以上を示した隊員は数%のみであり、そのほとんどが上司との面談、心理職によるカウンセリングにより改善もしくは経過観察となっており、医療機関に受診となった例はわずかであった。結果的に、2011年の自衛隊全体の精神科受診患者数は、例年と変わらない数に留まっている。
 今回の災害派遣では、任務の中に隊員に心的外傷をもたらす体験があったことは間違いないと思われるが、幸い私たちが懸念していたような事態には至らなかった。」

 誤った指示をうけても大きな影響が出ていません。信じられない報告です。結論先にありきの報告なのかもしれません。教訓をくんで生かそうとしていません。このような報告を信じて対処していたら次には大変な事態が発生します。
 自衛隊員の対応は正直に答えたら不利益が生まれるなどの何らかのバイアスがかかっていると思われます。それは自衛隊が持つ体質からきています。東日本大震災の直後、派遣された部隊から逃亡した自衛隊員がいました。派遣を回避するため事件を起こした自衛隊員がいました。彼はその後どうなったのでしょうか。派遣後に自殺した隊員もいます。(16年3月9日の 「活動報告」)
 「とにかく自分の身を守ること」 を周知しないで 「他の人も助けられる」 任務を遂行できません。
 自衛隊は隊員を大事にしていません。

 自衛隊にとっては自衛隊法に救援活動は任務と謳ってあるといっても本来の任務ではありません。不得手な部隊に押し付けると無理・無駄が生まれます。国としては早期に専門の 「災害救助隊」 のような組織を創設すべきです。

   「軍隊の惨事ストレス対策」
   「心のケア」
   「活動報告」 2016.3.9
   「活動報告」 2015.3.20
  当センター「いじめメンタルヘルス労働者支援センター」ホームページ・ご相談はこちらから
この記事のURL | 災害ストレス | ▲ top
南スーダンの自衛隊員20人がPTSD発症
2017/03/28(Tue)
 3月28日 (火)

 国会で、事実上2013年から内戦状態に突入している南スーダンの情勢をめぐって、戦闘地域である・ないの議論が続きました。戦闘と武力衝突は違うのだそうです。判断は、実態か政府の見解かの違いです。「日報」 は隠されたままです。黒を白という政府の見解は、かつての大本営のようです。
 そのような中で3月10日、突然、自衛隊施設部隊が5月末をめどに撤退することが発表されました。政府は、活動に一定の区切りがついたためで、現地の治安情勢の悪化によるものではないと説明します。これもまたかつての大本営に似ています。


 3月11日付の毎日新聞は 「自衛隊員 全隊員1割にPTSD、うつ 防衛省調査」 の見出し記事を載せました。
 防衛相が、2013~15年度の各年度に実施した全隊員へのアンケートの結果で、うつ傾向の隊員は13年度2万1223人 (回答者の10.0%)、14年度1万6478人 (同7.8%)、15年度1万3684人 (同7.1%) に達しています。PTSD傾向の隊員は13年度1976人 (1.8%)、14年度1275人 (1.4%)、15年度1013人 (1.4%)です。減少は、東日本大震災からの時間の経過と救援体験者が除隊したことなどがあると思われます。
 アンケートでは遺体に接した経験の有無や人間関係を尋ね、うつやPTSDの傾向があれば上司と面談し、症状が重い場合は精神科の受診を促されます。受診対象者は各年500人前後で推移しています。
 同省は 「うつは自衛隊で特に割合が高いとは言えず、PTSDも海外派遣で顕著な傾向はない」 といいます。だが、軍隊の精神的ケアに詳しい福浦厚子・滋賀大教授 (文化人類学) は 「自衛隊は心身の強さに最大の価値を置く特殊な世界。心の悩みを隠さず書くことで不利益を心配する隊員もいるだろう。ケア充実には本当のことを話せる仕組みが必要だ」 と話しています。

 小見出し 「『20隊員 PTSDケア必要』 防衛省関係者証言 惨状目撃で」 の記事が続きます。現在、首都ジュバに約350名の隊員が派遣されています。
 南スーダンで昨年7月、政府軍と反政府勢力の衝突が起きた。部隊の日報は 「戦闘」 と表現しました。同11日の日報に 「TK射撃含む激しい銃撃」 「宿営地南方向距離200トルコビル付近に砲撃落下」 とあります。「TK」 は戦車、「200」 は200メートルとみられます。防衛省が開示した日報は黒塗りが多いが、さらに生々しい記述がある可能性もあります。
 同省関係者によると部隊の宿営地の近くでは殺傷を伴う衝突があり、宿営地外を監視する複数の隊員が惨状を目撃しました。同省は 「派遣隊員に過度の精神的負荷がかかったとの報告はない」 とします。だが、実際には約20人がPTSD発症へのケアを必要としたといいます。

 毎日新聞は、派遣部隊に事前に実施したメンタルヘルス教育に関する内部文書を情報公開請求で入手。それによると、派遣先で疲労やストレスがたまると組織全体に影響が出るとし、「特定の人をスケープゴート (いけにえ) にすることで集団の安定を図ろうとする動き」 が内部で出ることを最も警戒すべきだ――と指摘しています。
 また、帰国前の教育に関する文書は、任務を終え帰国する隊員と留守を守った家族との間で感情の溝が生じ、ストレスになることにも注意を促しています。
 同省は2年前に隊員向けの 「メンタルヘルスケアガイドブック」 を初めて作成。「こころの問題は現場の士気や団結力に悪影響を及ぼす可能性がある」 として、対策を最重要課題の一つとする。南スーダンPKOでも、互いに思い出を語り合ったり緊張を和らげたりする取り組みや、医官らによるカウンセリングが行われてきました。
 隊員の心のケアを支援する民間組織 「海外派遣自衛官と家族の健康を考える会」 もできました。共同代表で精神科の蟻塚亮二医師は 「夜中に何度も起きたり、店のレジに並んでじっとしていられなかったりするなどの症状があったら相談してほしい」 と話します。


 防衛省・自衛隊の、南スーダンへの自衛隊の派遣についての公報です。
Q8.自衛隊員の現地での健康管理はどのように行われているのでしょうか。
A8. 南スーダンに派遣される隊員は、日本隊宿営地において、日本国内の駐屯地とほぼ変わ
 らない日課で、日々の規則正しい生活と自炊による日本食を中心とした食事を心がけ、日々
 スポーツに参加して健康的な生活を営むことで疾病を予防することに努めています。
  そして、アフリカ大陸に特有な感染症を予防するための衛生教育を受けるとともに、必要な
 予防接種やマラリア予防薬の服用を実施しています。また、派遣部隊には医師などの衛生科
 隊員も含まれており、彼らが医務室を運営し、隊員の診療を行っています。
  派遣期間の半ば頃には、医務室において臨時の健康診断を行い、隊員の健康状態をチェック
 しています。さらに、定期的に精神科医師を現地に派遣し、隊員の心の健康もサポートしています。


 戦闘を武力衝突と言い換えようが、兵士はPTSDを発症します。
 1930年代からの日本軍の満州侵略における実態が、上笙一郎著 『満蒙開拓青少年義勇軍』 (中央公論社刊) でふれています。

 1932年8月、満州移民計画が議会を通過し、10月から送り出します。
 第一次農業移民団423人はソビエトとの国境付近に近くの自称弥栄村、33年夏に第二次移民455人が千振村に入植します。これらは武装移民で軍編成がおこなわれ、日本刀、拳銃、小銃、迫撃砲、機関銃などを備えています。ソビエトに対する第一線兵力の扶植の軍事的役割を負わせられました。
 中国農民たちによる民族独立運動組織・反満抗日パルチザンなどの抵抗・襲をうけ生活と生命の危険にあいます。
 1934年2月、1万人の農兵が土龍山を根拠地として十数日間蜂起する事件が起き、関東軍の連隊長以下20人を殺害します。
 団からは 「だまされた」 とさまざまな不満が爆発します。第一次移民団からは百数十人の退団・帰国者が出ます。第二次移民団からも数十人の落伍者がでます。
 開拓団は意気を沮喪してしまいます。
 のちに 「屯墾病」 とよばれたストレス、ホームシック、集団的ノイローゼ―の症状が現れました。
 関東軍はこれらを農村に生まれながら学問がある者、内地で裕福な生活をしていた者、いわゆるハイカラ男たちの 「薄志弱行者」 と呼びました。
 逆に勇敢で適しているのは、国民高等学校出身者、貧困者、純真な青少年といい、その後の移民の対象者にしました。

 1938年、日本軍は兵士不足を補うため 「満蒙開拓青少年義勇軍」 を組織し送り出します。
 そこでも 「屯墾病」 の発症者が現れます。
「それでは、屯墾病とは具体的にどのような兆候を示すのかというと、それは大別してふたつの種類があった。義勇軍をはじめ満州開拓関係者が普通に屯懇病と見なしているのが、その第一類であって、ひとくちにいえば 〈自閉症〉 ――精神的に自分の内部へ閉じこもってしまう傾向のものである。
 訓練所での毎日の生活が味気なく、農作業も軍事訓練もする気にならず、体の具合が悪いといっては1日じゅう宿舎に寝ており、故郷と父母兄弟を思っては落涙している。食欲もめっきりおとろえ、夜もうつらうつらして熟眠することができなくなり、その心配した友人たちが言葉をかけて励ましても、はかばかしい反応を示さなくなってしまうのだ。
 このような自閉型屯懇病にかかるのは、どちらかといえば性格的におとなしい少年に多かった。そしてその症状は、……時として悲劇を招くことも皆無ではなかった。……
 以上のような第一類の 〈自閉症〉 に対して、屯懇病の第二種は、〈攻撃型〉 といえば適当であるかもしれない。義勇軍生活への忿懣を自分の心のうちに鬱積させ、自閉的になってしまうかわりに、忿懣を外部世界へ向けて攻撃的になってゆくのである。
 その場合、忿懣の捌け口として、当初は自然およびその一部としての動物などが選ばれた。少年たちは、理由のわからない怒りが心にみなぎって来ると、木刀を外へ持ち出して草や作物を薙ぎ倒し、野原に火をつけてどこまでも燃えてゆくのをみて快哉を叫び、またそこらに遊んでいる犬や猫を叩き殺し、豚の尻にナイフを突き刺したりするのだ。
 しかし少年たちの荒れ果てた気持ちは、ものいわぬ自然を痛めつけることでは満たされず、次には、人間を攻撃することに向かっていった。むろんこのようなとき、その攻撃の対象となるのは自分より弱い者に限られるわけで、まずさしあたっては、同じ訓練所の後輩が恰好な対象として選ばれた。……
 しかしながら、義勇軍の過酷な生活から来る屯懇病の攻撃型の矛先は、同じ義勇軍の後輩たちに向けられただけでは済まず、訓練所の周辺に住む中国人にも向けられたのである。……
 こうした盗みについで多かったのは、女性への凌辱をふくむ身体的暴行であった。盗みを働いている現場を中国人に発見されれば、かえって高圧的に出て腕を振り上げたりしたほか、相手の顔が気に入らないとか、先輩になぐられたのが癪にさわるとかいった無茶な理由で、殴打したり蹴飛ばしたりしたのである。
 ただ、さすがに女性に対する凌辱に関しては、たくさん出ている義勇軍中隊史のいずれもが、申し合わせたように口を閉ざしてただの1行も言及していない。たが、誰ひとり語らないからといって凌辱事件がなかったのではない。わたしは、義勇軍の少年たちを窮極的には被害者と見ているので、心情的には書きたくないのだが、しかし真実を伝えるために敢えて書かなければならないと思う――中国女性への凌辱は、殴打と同じくらいの頻度でおこなわれていた、と。……
 少年たちの悪戯というべき段階を越えて、明白に犯罪と見なければならぬこれらの行為に対して、満州警察と日本軍とは見て見ぬふりをしていたといえよう。」(『満蒙開拓青少年義勇軍』)
 満蒙開拓青少年義勇軍の中隊と中隊が衝突し銃で撃ち合い、3人が死傷する事件も起きています。昌図事件と呼ばれます。

 屯懇病は今でいうならPTSDです。

 日本軍・自衛隊は貴重な教訓をもっていますが活かそうとしません。
 PTSDり患から見られることは、軍隊は自国の兵士を殺すということです。アメリカでも日本でもそうです
 それとともに人びとも大きな教訓をもっています。
 軍隊は民衆を守らないということです。沖縄でも満州でも民衆が軍の盾になりました。

   「軍隊の惨事ストレス対策」
   「活動報告」 2016.9.13
   「活動報告」 2015.8.28
  当センター「いじめメンタルヘルス労働者支援センター」ホームページ・ご相談はこちらから
この記事のURL | 災害ストレス | ▲ top
福島・自治体職員 16年度9人自殺
2017/03/10(Fri)
 3月10日 (金)

 3月8日の各新聞は、福島県の市町村で職員の自殺が相次いでいるという記事を載せました。自治労福島県本部が発表したものです。
 そのなかの福島民友新聞の 「福島県と市町村職員、自殺相次ぐ 自治労まとめ、長時間労働要因か」 の見出し記事です。
     
 自治労福島県本部は7日、福島市で会見を開き、県と市町村職員の本年度の自殺者数が2月末現在、9人となったと発表した。
 今野泰中央執行委員長は、自殺の要因の一つに長時間労働があると推測し、「地方公務員のおかれている過酷な状況は変わっていない」 として対策を強化する考えを示した。
 同県本部による自殺者数の公表は初めて。9人の内訳は市町村職員が7人、県職員が2人で、自殺した職員が所属していた自治体の方部に偏りはないという。
 このうち県職員を含む5人が1、2の両月に相次いで自殺した。年齢は18~34歳が4人、35~49歳が2人、50歳以上が3人。これまでは50代の職員の自殺が目立ったが、本年度は若手の自殺が多いとしている。
 同県本部によると、市町村職員の自殺者数は、県内85組合 (組合員数約2万1千人) が加盟する県市町村職員共済組合の集計で判明した。市町村職員の自殺者数が7人となったのは2004 (平成16) 年度以来。県職員の自殺者数は県の報告を基にした。
 同県本部は医療機関などと連携した心の健康のサポート事業などを展開する計画。自治体職員の悩みを受け付ける電話相談 「自治労ほっとダイヤル」 (フリーダイヤル0120・556・283) の活用も呼び掛けている。

 他の新聞から補足すると、長時間労働は、東日本大震災と東京電力福島第1原発の複合災害への対応に伴う自治体の業務量の増加が要因の一つになっていることなどが背景にあるとみています。
 震災後、自治体職員の自殺は、市町村職員では13年度の5人が最多でしたが、ここ10年間でも高水準なので危機感を持ち初めて発表したといいます。自殺者が出た市町村名は、公表していません。

 これまでも自治労県本部は長時間労働の問題、ストレス症状、休職者数増などの問題について発表しています。


 14年7月27日の 『毎日新聞』 朝刊一面に 「被災42市町村 震災理由に106人退職」 の見出し記事が載りました。
 毎日新聞は14年5月から7月にかけて、東日本大震災で被災した42市町村 (岩手12、宮城15、福島15) にアンケート調査をおこないました。その結果、11年3月11日から14年3月までの早期退職者が1.843人いました。
 退職理由を複数選択で尋ねたら、3県で 「震災・原発事故による移住」 35人、「業務増による過労」 19人、「被災した住民の対応の疲れ」 9人、「心の病気」 8人でした。その他は 「被災した自宅の整理」 「家族などの避難」 「業務対応の変化」 などです。
 震災や原発事故が理由とみられるのは12市町村で106人に上りました (理由を明らかにしていない自治体もあります)。福島県は91人で、自治体別では、双葉町21人、大熊町17人、いわき市15人、浪江町14人、広野町10人、富岡町7人の順です。
 早期退職者は震災直後の11年度が最も多く、13年度でも岩手64人 (09年度は44人)、宮城254人 (同191人)、福島186人 (同176人) です。年代別では50代が多いといいます。11年度に福島県においては公立病院の閉鎖による退職もありました。それでも多すぎます。
 
 職員自身が移住を迫られたり、家族が別々の生活を余儀なくされたりしています。復興予算が膨大になって業務量が増大するに伴い、これまで経験したことのない業務をこなさなければなりません。住民の不満や不安が職員に向けられることもあります。福島においては健康不安や恐怖と隣り合わせです。家族と離れて生活する職員もたくさんいます。「職員が良い未来を想像できず、無気力や自信喪失につながると何とかしなければいけない、だが、業務に忙殺され自分のカラーを出せる状況になく、やる気があるがゆえにがっくりきている若手がいる」 という自治体もありました。


 16年3月3日の共同通信は、2月の最新値で東日本大震災と東京電力福島第1原発事故で被災した岩手、宮城、福島3県の39市町村で、うつ病などの精神疾患を理由に休職した職員は15年度に147人と、震災が起きた10年度の1・6倍に増加したことが各自治体への取材でわかったと報道しました。39市町村とは、津波被害に遭って10年度の資料を流失した岩手県大槌町と宮城県女川町、南三陸町の3町は集計から外れています。
 39市町村の15年度の休職者数は216人で、うち147人が精神疾患でした。10年度は171人中88人です。精神疾患による休職者数は震災直後の11年度に112人に増え、12~14年度は120人台で推移していました。
 市町村別に見ると、宮城県山元町など21市町村で増加しています。精神疾患の原因を把握していない自治体も多いが、原発事故や震災からの避難や負担増を直接の理由に挙げた自治体もありました。本格化する復興事業の負担増や原発事故対応のストレスがあるとみられ、慢性的な人手不足も追い打ちをかけました。
 自治労が14年に公表した調査では、被災3県の沿岸に住む組合員のうち、強い絶望感に襲われるなど重度のストレス症状を示す割合は13%でした。福島県は15%と他の2県より高い結果でした。
 14年に、福島県立医科大などが実施した調査では全職員のうち21%がうつ病とみられる自治体もあったといいます。


 県本部は16年7月20日、原発事故で避難区域となった県内10市町村の職員に対する意識調査結果を発表しました。調査は3月から5月、双葉郡8町村と南相馬市、飯舘村の組合員1,461人を対象に実施し、752人から回答を得ました。
 時間外勤務が月平均31時間以上と答えたのは38.0%、200時間以上も2人いました。「時間外勤務なし」 は震災前の31.2%から8.0%に減っています。
 健康状態は、震災前の健康診断で異常がなかった職員の46.7%が新たに 「要注意・要精密検査」 と判定されました。糖尿病などの生活習慣病、不眠症を含む精神障害などが多く、56.1%が通院や薬の服用を行っています。
 今後の居住先は 「家族と震災前の場所」 「自分のみ震災前の場所」 が50.1%、「家族と他の自治体」 「自分のみ他自治体」 は24.3%で、「判断不可」 は25.7%でした。
 
 1年前で、かなりの自治体職員自身が今後の居住地について決めかねています。また家族単位での生活が壊されています。福島県の被災者がおかれている状況は原発事故直後からあまり変わっていません。放射能への不安は1人ひとり違います。基準が違います。「戻りたいけど、戻れない事情があります」
 しかし県はこの3月末で、自主避難者への住宅の無償支援は打ち切ることを決定します。14年に避難指示が解除された田村市や川内村の避難者で未帰還の人も同様です。この3月末で4町村約3.2万人が解除になります。戻らなくても固定資産税は徴収されます。その後に解除された町でもそうなっていきます。
 このような問題に対して各自治体で自治体職員は住民から不満、不安が寄せられ、怒りがぶつけられる状況に遭遇していることが想定できます。これらは被災者である自治体職員のものであったりもしますが、立場から共感する思いを抑えて自治体の決定を伝え、説得しなければなりません。自分が納得していないことを他者に説得する行為は “乖離” を引き起こす要因になり、自己を維持するのが困難になり体調を崩します。
 自治体職員の責任感はそこからは逃げられません。このような業務のなかで、長時間労働、ストレス、体調不良、先が見えない状況が悪循環になっていたと思われます。


 ではどのような対策が必要なのでしょうか。
 放射能に対する不安や恐怖の感覚は個人で違います。行政が示すような数値で表わせるものではありません。さらに福島原発事故はまだまだ安定したといいきれません。事故の恐怖の体験者は忘れることがでません。
 行政は避難指示を解除しても、不安を感じる被災者に対しては帰還以外の選択肢も補償すべきです。選択は被災者である自治体労働者に対しても同様です。

 東日本大震災による被災地方公共団体への全国の自治体から派遣された職員数は16年10月1日時点での2,047人 (15年度2,202人) です。この間は熊本、鳥取でも地震が発生し、そこにも各自治体は職員を派遣していています。行政改革が推し進められて恒常的にゆとりがないなかで無理をしています。
 派遣を受けた自治体ごとの人数は、岩手県内613人 (655人)、宮城県内1,062人 (1,145人)、福島県内372人 (398人)などです。それでも各自治体は不足しています。
 阪神大震災を経験した兵庫県は東日本大震災の被災地に毎年100人規模の職員を派遣してきました。しかし17年1月に仙台市を訪れた副知事は 「他に頼り切りでは被災地が自らの足で立てなくなる。おんぶに抱っこから、自分たちの手による再建へとソフトランディングする時期ではないか」 と指摘し、縮小を提案しました。
 人員不足の問題は深刻でまだまだ続きます。全国にはいまだ8万人の避難者が日常性を取り戻せていません。総務省と復興相は派遣に頼るのではなく、被災地自治体の職員定数を増やし、長期に備えた採用を支援する必要があります。地元採用としても期限付きの不安定なものからの切り替えが必要です。

 政府は口先だけで復興を叫び、急かせます。しかし嵩上げした更地面積や防潮堤の長さの進捗度が復興のバロメーターではありません。実際に復興事業に従事している側からしたら金も人も資材も不足しています。それらを奪っているのは東京オリンピック事業です。そのしわ寄せや負担が自治体職員にのしかかっています。
 その一方で政府や行政は復興を吹聴し、被災者がおかれている実態から目を背けさせ、震災からの関心を奪い、風化をすすめようとしています。もはや原発事故も過去のことに追いやられようとしています。被災者は棄民です。

 本当の復興とは何でしょうか。被災者1人ひとりが安心して生活できる住居の確保とコミニティーの復活です。
 そのためには被災者に寄り添った自治体職員が不可欠です。自治体職員は政府や自治体に “寄り添う” のではなく本当の復興業務である被災者に寄りそうことが必要です。そうすると自治体職員としての役割ややりがいも再確認できます。
 労働組合は独自の要求を被災者と一緒にかかげて自治体や政府に要請・要求をおこなう必要があります。もっと声をあげことが仲間を守ることにもなります。自治体労働者を犠牲にした復興は復興とは呼べません。


 東日本大震災では岩手県で3人の自治体職員が自殺をし、その都度ニュースになりました。熊本地震でも1人自殺をしています。
 しかし福島では以前から自殺者が出ていることが初めて明らかになりました。福島だけでなく職員を派遣している全国の自治体にとっての問題でもあります。自治労と県本部はもっと早くに深刻な事態を公表して警鐘を鳴らして社会問題として提起する必要があったのではないでしょうか。発表が不安を煽るという危惧よりも、それに優先して経験や対策を集めて検討し、取り組みをすすめる必要があったのではないでしょうか。


   「自治体職員の惨事ストレス対策」
   「活動報告」 2016.4.12
   「活動報告」 2016.3.9
   「活動報告」 2014.2.18
  当センター「いじめメンタルヘルス労働者支援センター」ホームページ・ご相談はこちらから
この記事のURL | 災害ストレス | ▲ top
暴力が存在するところではトラウマはなくならない
2016/09/13(Tue)
 9月13日 (火)

 昨年9月19日、「安保関連法案」 はまともな議論が行なわれないままでで強行採決されました。

 政府は、11月に南スーダンに派遣する国連平和維持活動 (PKO) の陸上自衛隊の交代部隊に、安全保障関連法で実施が可能になった新任務の 「駆け付け警護」 と、他国軍と共同で拠点を守る 「宿営地の共同防護」 を付与する方針を固め、部隊に派遣準備命令を出し、訓練を開始します。
 従来、海外での武器使用は自衛隊員や管理下に入った人を守る場合に限って認めていました。駆け付け警護では、PKO活動を行う自衛隊員が、離れた場所で襲撃を受けた他国軍や非政府組織 (NGO) 職員の救援に向かうことが可能となります。

 8月24日の毎日新聞に 「駆け付け警護 自衛隊・駆け付け警護 『引き金を引けるのか』 訓練開始へ」 の見出し記事が載りました。
 その中で自衛隊員やその家族の本音が語られています。
「『ついに来たか』 駆け付け警護の訓練開始の表明に、東日本の50代の男性隊員はそう感じたという。
 PKOにおける自衛隊の任務は、道路などのインフラ整備や人道支援が中心だった。従来より踏み込んだ武器使用が可能となる駆け付け警護は、これまでの任務とは質が異なる。救援に向かった先で戦闘に巻き込まれる恐れが高い。『これからの訓練は厳しいものになるだろう。遭遇した場面で撃つのか、撃たないのか。指揮官も一線の隊員も非常に難しい状況判断を問われる』 と、派遣隊員をおもんぱかった。
 不安や疑問は尽きない。専守防衛の自衛隊が、海外に派遣される意味。そこで命を落とすリスク。安保法制をめぐって分裂したままの国民世論。割り切れないものを抱えながらも、男性隊員はただ 『みんな無事に帰ってきてくれ』 と祈る。」

「北海道千歳市の陸上自衛隊OBの60代男性は 『海外派遣から帰ってきた後も銃弾の音が頭から消えず、悩む知人もいる。訓練は年々実戦的になっていると聞く。これからどうなっていくのか』 と懸念を口にした。
 夫が陸上自衛隊員という同市の30代女性も不安そうだ。『いつかは……と思っていたが、いざ訓練が始まるとなると怖い』」

「実際に人に向かって撃てるのか――。2つの陸自駐屯地を抱える兵庫県伊丹市の30代男性隊員は 『人を撃つことへの抵抗は強い。通常の射撃訓練でも、標的を円形から人の形のものにすると、とたんに成績が落ちる隊員もいる』 と明かす。駆け付け警護では人に向かって発砲する事態も想定される。『撃てない隊員もいるだろうが、その時になってみないと分からない。自分も 『同僚や誰かを守るためならできる』とは思うが、本当にそうか。不安はある』 と揺れる胸のうちを語った。」
「2つの陸自駐屯地がある京都府宇治市の30代男性元自衛官は、PKOでゴラン高原に派遣された経験を持つ。『国際貢献は大切だが安保法制について国民的議論が尽くされたとは言えない。武器使用の要件は明確に詰められたのか。グレーゾーンを残したままだと派遣される隊員が危険にさらされる』 と疑問を投げかけた。」

「陸海自が駐屯する長崎県佐世保市の海自OB、西川末則さん (64) は 『駆け付け警護で応戦する相手から見れば日本は敵だ。新たな任務が始まれば引き返せなくなる。紛争に加わるのは間違いだ』 と話した。」


 9月9日の朝日新聞は、オピニオン&フォーラム欄で 『戦争における 「人殺し」 の心理学』 の著者デーブ・グロスマンさんのインタビューを載せています。(『戦争における 「人殺し」 の心理学』 については2014年7月4日の 「活動報告」 参照) 『本』 と内容がダブりますが抜粋して紹介します。

 ――殺される恐怖が、激しいストレスになるのですね。
「殺される恐怖より、むしろ殺すことへの抵抗感です。殺せば、その重い体験を引きずって生きていかなければならない。でも殺さなければ、そいつが戦友を殺し、部隊を滅ぼすかもしれない。殺しても殺さなくても大変なことになる。これを私は 『兵士のジレンマ』 と呼んでいます」
「この抵抗感をデータで裏付けたのが米陸軍のマーシャル准将でした。第2次大戦中、日本やドイツで接近戦を体験した米兵に 『いつ』 『何を』 撃ったのかと聞いて回った。驚いたことに、わざと当て損なったり、敵のいない方向に撃ったりした兵士が大勢いて、姿の見える敵に発砲していた小銃手は、わずか15%~20%でした。いざという瞬間、事実上の良心的兵役拒否者が続出していたのです」
 ――なぜでしょう。
「同種殺しへの抵抗感からです。それが人間の本能なのです。多くは至近距離で人を殺せるように生まれついていない。それに文明社会では幼いころから、命を奪うことは恐ろしいことだと教わって育ちます」

 ――本能に反する行為だから、心が傷つくのではありませんか。
「敵を殺した直後には、任務を果たして生き残ったという陶酔感を感じるものです。次に罪悪感や嘔吐感がやってくる。最後に、人を殺したことを合理化し、受け入れる段階が訪れる。ここで失敗するとPTSD (心的外傷後ストレス障害) を発症しやすい」

 ――防衛のために戦う場合と、他国に出て戦う場合とでは、兵士の心理も違うと思うのですが。
「その通り。第二次大戦中、カナダは国内には徴兵した兵士を展開し、海外には志願兵を送りました。成熟した志願兵なら、たとえ戦場体験が衝撃的なものであったとしても、帰還後に社会から称賛されたりすれば、さほど心の負担にはならない。もし日本が自衛隊を海外に送るなら、望んだもののみを送るべきだし、望まないものは名誉をもって抜ける選択肢が与えられるべきです」
 ――でも日本は米国のような軍事大国とは違って、戦後ずっと専守防衛でやってきた平和国家です。
「我々もベトナム戦争で学んだことがあります。世論が支持しない戦争には兵士を送らないという原則です。国防長官の名から、ワインバーガー・ドクトリンと呼ばれている。国家が国民に戦えと命じるとき、その戦争について世論が大きく分裂していないこと。もしも兵を送るなら彼らを全力で支援すること。それが最低限の条件だといえるでしょう」


 インタビューを聞いて、日本近現代史専攻の中村江里一橋大学特任講師がコメントを寄せています。
「根底にあるのは、いかに兵士を効率的に戦わせるかという意識です。兵士が心身ともに健康で、きちんと軍務を果たしてくれることが、軍と国家には重要なわけです。
 しかし、軍事医学が関心を注ぐ主な対象は、戦闘を遂行している兵士の 『いま』 の健康です。その後の長い人生に及ぼす影響まで、考慮しているとは思えません。
 私自身、イラク帰還米兵の証言やアートを紹介するプロジェクトに関わって知ったのですが、イラクで戦争の大義に疑問を抱き、帰還後に両親の呵責に苦しんでいる若者は大勢います。自殺した帰還兵のほうが、戦闘で死んだ米兵より多いというデータもある。戦場では地元民も多く巻き添えになり苦しんでいるのに、そのトラウマもまったく考慮されない。軍事医学には国境があるのです。
 一方で、日本には…… 『戦争神経症』 の症状を示す兵士は日中戦争以降、問題化していました。
 その存在が極力隠されたのは、心の病は国民精神の堕落の象徴と位置づけられたためです。こうした病は 『皇軍』 には存在しない、とまで報じられた。精神主義が影を落としていたわけです。
 戦争による心の傷は、戦後も長らく 『見えない問題』 のままでした。……
 昨年の安保関連法制定により、自衛隊はますます 『戦える』 組織へと変貌しつつあります。『敵』 と殺し殺される関係に陥ったとき、人の心や社会にはどんな影響がもたされるのか。私たちも知っておくべきでしょう。暴力が存在するところでは、トラウマは決してなくならないのですから。」

 精神主義は、現在の労働者がおかれている状況で受け継がれています。

 軍隊が行っているのは 「ストレスに強くなる対策」 です。
「学会では米国の専門家による招待講演もあり、イラク戦争に参加した米兵のPTSD研究の紹介がされていた。講演を聞きながらわたしは、『トラウマ研究は何時から、戦っても傷つかない人間をふやすための学問になったのだろう』 と思った。潤沢な予算がPTSDの予防や治療の研究につぎ込まれることと、平然と戦地へ兵士を送り出すことは、米国では矛盾しない。米兵のPTSDの有無や危険因子は調査され、発症予防や周期回復のための対策は練られるか、派兵をやめようという提案にはならない。イラクの人たちのPTSDについては調査どころか、言及さえない。そのことに違和感をもつ人はいないのだろうかと周囲を見回すが、みんな熱心に講演に聞き入っている。孤立感を覚える。」 (宮地尚子著 『傷を愛せるか』 大月書店 2010年)
 そしてこの方向性は、厚労省、企業が行っている労働者のストレス対策と同じです。


 2015年7月3日の 「活動報告」 の再録です。
 自衛隊は1985年から自殺者数を発表しています。年間60~70人前後で推移していましたが2002年度 (平成14年度) 78人でした。(制服組のみ)
 民主党の阿部知子衆議院議員の 「自衛隊員の自殺、殉職等に関する質問主意書」 への15年6月5日付の 「回答書」 では、2003年度から2014年度までの各年度における自衛隊員の自殺者総数は1044人です。

 「テロ対策特措法」 では海上自衛隊員が延べ約1万900人派遣されて自殺者したのは25人です。自殺による死亡率は229人です。
 「イラク特措法」 では陸上自衛隊員が延べ約5600人派遣されて自殺者したのは21人、航空自衛隊員が延べ約3630人で8人です。自殺による死亡率は375人と220人です。
 「補給支援特措法」 では海上自衛隊員が延べ約2400人されて自殺したのは4人です。自殺による死亡率は166人です。
 これらの自殺による死亡率は圧倒的に高いです。しかしここにはまだ隠されている数字があります。在職者だけの数字で、体調不良で除隊し、その後に自殺した者は含まれていません。精神的体調不良は派遣後しばらくしてからも発症します。
 また自殺の原因についての数字が発表されていますが、項目は、①病苦、②借財、③家庭、④職務、⑤精神疾患等、⑥その他及び⑦不明 です。
 これらの原因には連関性があります。調査項目や区分が不十分です。原因追及をしようとしない、区分けをごまかそうという姿勢が現れています。その結果、公務災害の認定数も少ないです。命が大切にされていません。

 日本政府・自衛隊は自衛隊員を殺しています。これ以上殺させることはできません。
 憲法9条から逸脱する派兵は絶対に阻止しなければなりません。

   関連:「軍隊の惨事ストレス対策」
   関連:「本の中のメンタルヘルス 軍隊・戦争」
   「活動報告」 2016.7.5
   「活動報告」 2015.7.3
   「活動報告」 2015.5.19
   「活動報告」 2014.7.4
   当センター「いじめメンタルヘルス労働者支援センター」ホームページ・ご相談はこちらから
この記事のURL | 災害ストレス | ▲ top
自治体職員も共同作業で自己表現を
2016/07/21(Thu)
 7月21日(木)

   東北は5年になりし 節目時
    熊本県は 元年になる  (NHK 「明日へ」 2016.7.3)

 11日で東日本大震災から5年4か月、14日で熊本大地震から3か月がたちます。阪神淡路大震災は1月17日でした。10のつく日に大きな地震が発生しているのは偶然でしょうが、毎月近づくと鬱陶しくなります。それにしても、東日本に住んでいるからなのでしょうか、熊本大地震が忘れられつつあるように思われます。まだ仮設住宅に入居できない被災者も大勢いるのにです。
 7月5日の 「活動報告」 で、イラク戦争では米兵10人以上の死者が出ない戦闘はニュースにならないと書きましたが、事件の大きさは死者の数ではありません。
 被災者はそれぞれ、さまざまな喪失体験をしています。
  1、愛する家族、親せき、友人の死別、離別
  2、事故による負傷など身体的喪失。
  3、財産、仕事、思いでなど所有物の喪失。
  4、住み慣れた地域、転居、転勤、転校など環境の喪失。
  5、地位、役割などの喪失
  6、自尊心の喪失。プライドを傷つけられる。
  7、社会生活のなかでの安心と安全の喪失
 これらが複雑に絡み合います。(11年7月4日の 「活動報告」)
 被災者1人ひとりにとっては、これらから脱出でき、生活再建ができ、そして “心の傷” が癒えたときが復興です。

「『心が傷つく』 とは、どういうことだろうか。柔らかい人の心は、耐えがたい体験によって三つの問題を抱える、ひとつは言葉どおり、心をある実態としてイメージして、ショックや繰り返される不快な体験によって 『精神的外傷』 を被るのである。だが、心は精神的外傷がふさがれた後、身体のようにちょっとした瘢痕を残して、元どおり機能していくわけにはいかない。必ず精神的外傷をきっかけに、以前とは違った態勢に入っていく。
 まず人は精神的外傷の後、その傷を過剰に包み隠そうとする。あるいは、崩れた精神的バランスを取り戻そうとして、過剰に身構えてしまう。心に加えられた外からの力 (精神的暴力) と丁度同等の力で反発し、不幸な体験を静かに押し戻すことは非常に難しい。右手に重い鞄を持って歩く人の右肩は、左肩より上ることはあっても下ることはない。同じく心は、精神的外傷からあまりにも多くのことを学びすぎ、緊張し、身構えてしまう。自分の心の傷を周囲の人に気付かれないように、他人に同情ないし後ろ指を指されないように、隙を見せないように努め、さらには不幸を越えて、より強靭に生きていこうとする。それは挫折か、再生かを賭けた戦いであるが故に、多くの人は再び立ち直りつつ、精神的外傷を過剰に代償してしまう。克服した困難な体験、悲しい体験は、その人に自信を与えると共に、その人なりの精神的防衛の仕方を固定し、絶対化させることになる。心の強さは常にかたくなさの影が伴い、それは弱さでもある。
 生きていくとは、打ちひしがれるほど強烈ではなくても無数の精神的外傷を受け取り、それを克服する過程でこわばり、時にはそれではいけないと思って、無垢の柔らかさを幻想的に追想しながら、やはり若い心の傷つきやすさを失っていく道程であるともいえる。心の傷に着せかけた心の鎧、これが第二の問題である。
 そして歳月をへて、精神的外傷と精神的防衛がひとつのセットになって心の底に気付くことのない澱になったとき、それはコンプレックス (心的複合体) として、その人の生き方を突き動かしていくことになる。精神的外傷が心の裏側に焼き付けた踊る影、それが第三の問題として残されるのである。」 (野田正彰著 『大事故遺族の悲哀の研究 喪の途上にて』 岩波書店)

 “心の傷” が癒えるには時間がかかります。
「陰暦5月5日は端午の日であり、野や山に、街や外国に遊ぶ風習へと引き継がれているが、かつては 『薬日』 ともいい、薬草を摘む薬猟の日であった。その薬日をひっくり返して、『日薬 (ひぐすり)』 というおかしな言葉が上方にはある。月日を薬という物質にみたて、病を癒すのは、結局、時間であるとの知恵がこめられている。また、薬そのものについても、薬理学的効果よりも日薬として使われていた時代もあった。昔の人は、効きもしない薬草を丹念に煎じて飲みながら、病いの癒される月日を耐えていたのかもしれない。
 それでは、どのような 『病い』 に日薬は効くのであろうか。人が過酷な喪失の体験をこなしていくには、どうしても日薬が必要である。私はこの日薬の作用経過の知恵を、『体験緩衝の時間額 (クロノロジー)』 と呼んできた。階層化した悲哀の時間についての知識である」 (『大事故遺族の悲哀の研究 喪の途上にて』)
 熊本大地震から3か月しか経っていないのに忘れられつつあるのは被災者にとっては酷です。まだまださまざまな形で “寄り添う” こと、共に歩むことが必要です。

 被災者に対応する自治体職員や被災者である子どもたちと接する教職員にとって復興はまだまだ先です。東日本大震災の被災地で、これまで元気そうだった自治体職員が最近になって異変がでているという話も聞きます。熊本大地震の被災地は、二次被害を防ぐことはできませんが最小限になるよう対策を進めてほしいと思います。


 自治労福島県本部は、3月から5月に実施した双葉郡8町村と南相馬市、飯舘村の組合員1461人を対象に健康や勤務実態に関するアンケート調査の中間報告を発表しました。752人 (51.5%) から回答を得ました。
 この紹介記事が7月21日の河北新報に 「<原発事故> 福島の職員 時間外増続く」、福島民報に 「不眠や依存症8% 双葉郡など市町村職員アンケート」 の見出しで載りました。2紙を合わせて紹介します。
 事故後5年経過しても時間外勤務の増加傾向が続いています。
 時間外勤務が月平均31時間以上と答えた職員は38.0%にのぼります。震災前は7.8%でした。200時間以上の職員も2人いました。「時間外勤務なし」 は震災前の31.2%から8.0%に減りました。
 健康状態については、震災前の健康診断で異常がなかった職員の46.7%が新たに 「要注意・要精密検査」 と判定されました。糖尿病などの生活習慣病、不眠症やアルコール依存症などで通院や薬の服用を行っているのが165人で、このうち精神疾患は63人に上りました。
 今後の居住先は 「家族と震災前の場所」 「自分のみ震災前の場所」 が50.1%。「家族と他の自治体」 「自分のみ他自治体」 は24.3%で、「判断不可」 は25.7%でした。半数が震災前に住んでいた自治体で暮らすことを考えています。
 悩みや不安に関する質問は複数回答ですが、「仕事」 が51.6%で最多、「身体の健康」 45.3%、「先行き不透明」 が34.2%、「心の健康」 32.8%と続きました。
 自治労県本部の今野泰委員長は 「職員自身も被災者でありながら住民に寄り添い復興に尽力してきた。精神的に追い込まれ、早期退職や休暇を余儀なくされてきた職員もいる」 と現状を説明しています。


 福島では早期退職がかなりの数に上っています。
 少し古いですが、2015年1月28日、自治労総合企画総務局は記者会見をし、調査結果を発表しました。NHKニュースです。
「自治体職員の早期退職976人 (NHK福島)
 福島県内の自治体では、震災と原発事故後、業務量が増えて将来の見通しが立たないことなどを理由に早期退職する職員が相次いでいて去年12月末までに早期退職した職員は少なくとも976人にのぼることが自治労のまとめでわかりました。
 震災と原発事故のあと、県内の自治体では、復旧・復興に関する業務が増え将来の見通しも立てられないなどとして早期退職する職員が相次いでいます。
 自治体職員でつくる労働組合の 『自治労』 が調べたところ、震災後、去年12月末までに早期退職した職員は少なくとも976人にのぼることがわかりました。
 また自治労が福島・宮城・岩手の沿岸部を中心とした自治体に勤める組合員を対象に行ったアンケート調査では、「早期退職者が多いため仕事が進まない」 と答えた人が▼福島では全体の19点2%と、▼宮城の8点3%、▼岩手の12点4%に対して高い割合となりました。
 さらに、「慢性的な人員不足で休暇取得しにくい」 と答えた人は、▼宮城では38点4%、▼岩手では38点6%だったのに対して▼福島では49点3%と、ほかの2県を大きく上回りました。
 自治労総合企画総務局の青木真理子局長は 『福島は職場の人員が足りていないのが現状で、ストレスを抱えている職員の割合も多い。こうした状況を国に訴えて支援を求めていきたい』 と話しています。 」


 このような事態を改善のには人員不足の解消は当然ですがそれだけでは解決しません。また医者や投薬もそうです。
「精神医学の 『治療共同体』 Therapeutic Community はイギリスの精神科医ジョーンズ・Mによって提唱され、ケンブリッジのクラーク・Dによって60年代から70年代にかけて発展していった社会精神医学の概念である。
 ……個人を問題にするのではなく、対人関係が個人にもたらす意味を重視し、対人関係を積極的に経営管理していこうという発想において、共通しているのである。……
 彼はここで、精神科医が直接的に個々の患者を面接治療していくよりも、病棟の雰囲気を治療的に組織していくことを試みる。入院患者は専門医や看護者と接しているよりも、ずっと多くの時間を他の患者と過ごしている。医師-看護婦-助手-患者という、治療の名のもとに作られた従来の権威関係を崩し、病棟のすべての人間関係そのものを治療的資源にしていこうと考えたのである。
 治療共同体においては、患者は薬をのんだり、作業をしたりという受け身の位置におかれるのではなく、怒りや嫉妬などの感情を率直に表出し、上下関係をなくして批判しあい、自己の抑圧してきたコンプレックスや特異な反応に気付いていくことが奨励される。……
 つまり、病棟の生活そのものを高圧釜の状態におき、人間関係を不断に活性化していこうとするのが、治療共同体のその後の継承者クラークの主張する 『管理としての治療』 であった。クラークは……治療共同体の還俗を6つあげている。情報伝達の解放、出来事のその都度の分析、新しい行動様式を体験する場を豊富に作る、特権階級を平板化する、成員すべての役割の検討、成員すべてが参加する会合を規則的に持つ、である。
 ……ただし、ここで見落としてならないのは、個々の項目を保障していく治療的雰囲気、社会的関係こそが、真の資源であるということだ。」 (『大事故遺族の悲哀の研究 喪の途上にて』)

 「治療共同体」 は “病んでいる社会の治療” にも有用です。
 被災地の自治体労働者は平常からは異常な状況がつづくなかで、自己を抑制して奮闘しています。自分が被災者であっても違う立場におき、被災者とは緊張関係が存在しています。そのなかで自己を維持するにはまさに自分たちで自分たちのための環境づくりが必要です。
 共同作業を自己の再発見、自己表現の手段につなげ、お互いを尊重し、認め合う関係性づくりに挑戦していくことが必要です。
 心の傷は、時薬のほかに 「人は、人によって傷つき、人によって癒される」 といい効きめがあらわれます。


  「活動報告」 2016.7.5
  「活動報告」 2016.6.7
  「活動報告」 2011.7.4
  「自治体労働者の惨事ストレス」
 当センター「いじめメンタルヘルス労働者支援センター」ホームページ・ご相談はこちらから
この記事のURL | 災害ストレス | ▲ top
| メイン | 次ページ