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1人を大切にする労働組合運動を
2014/10/31(Fri)
 10月31日 (金)

 10月25日と26日、鳥取県三朝温泉で 「全国安全センター第25回総会」 が開催されました。
 一日目は、「いじめ・パワハラにどう立ち向かうか」 というテーマで講演とシンポジウムがもたれました。
 講演は、労働政策研究・研修機構 (JILP) の内藤忍副主任研究員です。現状と対策について資料を示しながら報告と提案が行われました。
 職場のいじめ問題への取り組みについての企業の取り組み実施状況についてです。
 2012年12月発表の厚生労働省調査です。全体では 「実施している」 45.4%、「現在実施していないが取り組みを検討中」 21.1%、「特に実施を考えていない」 33.1%です。大企業ではすでに取り組んでいるところが多いです、99人以下の企業では18.2%しか取り組んでいません。
 労働組合の取り組みの実施状況については、資料はほとんどありません。JILPが2011年5月に大企業の29の労働組合に実施した調査結果では、「実施している組合」 31%、「実施していない組合」 66%、不明3%です。
 これらの結果からは、労使ともに、職場のいじめ問題を個別労働者の問題と捉え、職場環境の問題と捉えていない状況が浮かび上がってきます。
 では、労働組合の対応について組合員はどう捉えているでしょうか。2012年12月発表の厚生労働省調査のなかの 「労働組合があり、加入している」 1.981人からの回答結果です。「相談にのったり、解決に向けた支援をしてくれる」 49.8%、「してくれるかどうかわからない」 43.8%です。
 「実施している組合」 31%の状況下での49.8%はかなりの程度 「期待値」 です。過半数は、労働組合に期待していません。
 では実際にパワハラを受けた後、労働者はどのような対応をしているでしょうか。
 「何もしなかった」 46.7%です。続いて 「会社を退職した」 13.5%、「しばらく会社を休んだ」 5.4%、「人事等の社内の担当部署に相談した」 3.9%、「労働組合に相談した」 2.4%、「会社とは関係のない専門家に相談した」 2.3%です。「会社とは関係のない専門家に相談した」 は安全センターや個人加盟の労働組合が含まれると思われます。
 労働組合は、この結果を踏まえてどうするかが検討されなければなりません。

 続けて地元の労安センターとっとりの相談員、同じく弁護士、精神科医そしてIMCによるパネルディスカッションが行われました。それぞれの報告と問題提起を紹介します。
 労安センターとっとりの相談員の方の報告です。公務職場におけるパワハラの典型は、文書の決済における 「保留」 です。民間では痛めつけた挙句の 「明日から来なくていい」 です。職場の違いはあるが共通しているのは人材を育てる考えがないこと、抗議・抵抗を許さない環境を作り上げることです。また周囲の同僚は見て見ぬふりをする、無関心を装います。気軽に、権限のある相談窓口の充実が必要になっています。そのための施策を練っていかなければなりません。同僚が気にしないというのは労働組合のあり方が問われています。
 弁護士の方の問題提起です。最近は、業務のIT化や職場の人間関係の意識の変化により、職場のコミュニケーションが希薄化し、他人に無関心な職場環境が認められます。そのような中で、加害者は加害意識が低下しやすく、被害者は被害意識が過剰になりやすくなっています。さらに被害者がメンタルヘルス上の問題を抱える案件が急増しています。
相談機関で調停・斡旋で解決する場合でも解決の金額が低いです。パワハラは人権問題という視点での取り組みが必要です。
 精神科医の方の報告です。パワハラによる被害者はうつ病や不安障害を患うケースが多く、治療も再発率が高いです。トラウマが残ると生涯にわたり人生を困難にすることになったりします。一方、加害者サイドを見ると、偏見、差別、パワハラに至る行動の背景には加害の連鎖の問題があります。暴力が連載しています。職場でもそうで、自分自身もその行為に至ってしまうこともあります。解決方法やストレスマネージメントの方法を身に着けることが必要です。

 IMCから、「なぜ労働組合はいじめを含めた労働安全衛生に取り組まないのか」 について問題提起をしました。

 意見交換に移りました。
 労安センターとっとりの相談員の方です。一緒に働いている仲間を思いやる、おもんばかることが大切です。その中から団結を作り出していくことができます。これまで労働運動において安全衛生問題は地位が低かったが捉えなおしが必要です。
 今の職場は日常的に会話が成立する環境にありません。労働者はそれを異常とは思わずに見過ごしています。それではいい人材が育ちません。人材作りは企業の任務です。
 弁護士の方です。ハラスメントはコミュニケーション不足から発生します。相手の立場にたって考えることが必要です。発生するのは個人の問題ではありません。その土壌がある職場ではまた発生します。弁護士が職場を変えるのは無理です。労働組合はできる。しかし残念ながら……の状況です。そのような場合の相談は専門機関でなくてもいいです。話をすることで人間関係を作ることが大切です。
 パワハラは起きやすいということを前提に対応していかなければなりません。うつになった人への対応は自殺させないことです。裁判になったら弁護士としては勝ちたいです。しかし労働者個人は何年も働けなくなることもあります。
 精神科医の方です。産業医が不足しています。産業医になるにはそのための50時間の研修を受けなければなりません。しかしなっても仕事が増えるだけです。熱意でどこまでもたせるかの問題になっています。産業医が会社の実態を踏まえるのはなかなか難しいです。
 コミュニケーションは大切です。人間関係を改善するだけでも症状は良くなります。医学でも症状を数字で証明しなければならなくなっています。しかし対人療法も注目されています。認知行動療法も取り入れられつつあります。
 発達障がいと思われる人が増えています。この人たちは他の人のことを想像することができません。性格の一部ですが、100人中4~5人がグレーゾーンにいます。


 「なぜ労働組合はいじめを含めた労働安全衛生に取り組まないのか」 についてです。
 10月3日の 「活動報告」 で、終戦直後の電産型賃金制度に能力給が導入されたりしましたが、労働組合は人事制度等を含む労働条件について、本来、会社が行うべきことという認識を持っていたことを取りあげました。今もその意識が強く残っています。
 10月7日の 「活動報告」 で、QC運動においては安全・事故防止などもグループの役割が強調され、自己責任にされたことをとりあげました。職場の問題が労働組合ではなくQCサークルに持ち込まれたのです。

 これ以外の問題です。

 2013年、政労使会議が開催され、今年は政労会議が開催されています。いずれも連合は政府の土俵に載せられて弄ばれています。
 1964年に、総評は春闘統一ストライキ闘争を呼びかけて成功させる中、対政府トップ交渉を申し入れて太田・池田会談 (政労トップ会談) を実現させました。政府を引きずり出しました。
 しかし春闘が企業ごと、産別交渉、さらにトップ交渉も行われるなかで、企業、職場の要求は中央に吸収されて一括交渉となっていきます。賃金を中心とする交渉はその他の要求を排除していきます。そのような中で労働組合組織がトップダウンに組み替えられていきました。現場の支部・分会が機能しなくなっていきます。
 職場環境、労働条件を労働問題ととらえることができなくなっていきます。

 かつて三井三池には 「現場協議制」 がありました。
「三池労組は、戦後間もなくは炭労の他の労働組合が活発な活動を開始する中にあって、労使協調の活動を展開した。しかし職場に根を張る活動を続け、力をつけると炭労の他の労組を牽引する位置を占めた。
 三井鉱山では労使間の話し合いで、労組から委員を出して坑内の保安点検をする 『安全委員』 制度がつくられた。遠藤さんも委員になった。他の炭鉱の事故調査にも参加するが、事故の原因をうやむやにしたい会社側からは嫌がられたり買収まがいのこともあったという。保安問題で会社に譲歩しない遠藤さんは業務を止めることもあった。」
「1953年の 『英雄なき113日の闘い』 を経て50年代後半、三池労組は職場において保安の問題などを追及するなかから、職場単位で労組との交渉権を認める、いわゆる 『現場協議制』 を勝ち取った。
 炭鉱では、毎日坑内への入り口の繰込場で係員からその日の出勤者の確認、配役、その他の作業指示を受ける。坑内は自然条件がちがうため、配役場所の指定が労働条件を決定してしまう。特に出来高給の労働者にとっては収入が左右される。そこで三池労組は、自主的な配役として輪番制をとっていた。
 また、職場においてトラブルが発生した時は翌日繰込場で職制と交渉をし、時として入坑遅延となる。
 職場のルールを労使が現場で決めることを会社は容認し続けることはできなかった。
 三井以外の炭鉱経営者も三池労組の路線を見過ごすことはできなかった。会社は57年から労務政策を大きく変更、遠藤さんらの活動や三池労組の行為を 『業務阻害』 とし、遠藤さんを三池闘争の前年の59年見せしめとして解雇、そして翌年には労組には1492人の大量解雇攻撃をかけてきた。この解雇をめぐって11か月にわたって闘われたのが 『総労働対総資本』 といわれた 『三池闘争』 である。」
 闘争敗北後の63年11月、炭塵大爆発事故が発生します。

 三池の 『現場協議制』 を取り入れたのが国鉄労働組合です。
 国鉄は、1906年全国の鉄道を国有にする法律が制定されました。官業では最初の全員加盟の共済組合として帝国鉄道庁職員救済組合が発足した時から 「国鉄一家」 の意識がつくられていきます。
 国鉄は付属機関として中央鉄道学園などをもち、卒業して採用された職員は、 「洗脳」 されていて後に中間管理職となっていきました。出身者は労働組合の指導部にもなり、企業内労働組合運動の促進力となっていきました。
 66年頃発行された日本国有鉄道編 『われらの国鉄―新入職員の手引―』では、国労と当局の関係を労働法に基づく労働組合から説明し、団体交渉などについても丁寧にふれています。団体交渉については、中央交渉として本社と国労本部、地域交渉として支社と地方本部、地方交渉として鉄道管理局と地方本部が対応機関となっています。
 国労は66年11月、「現場における団交制度の確立」 を申し入れました。当局が反論して難航すると国労は地方調停委員会にあっせん、公労委は現場協議機関を設けるように勧告提案を行ないました。結局67年12月15日、「現場協議に関する協定」 が締結され、職場単位での交渉権を勝ち取りました。
 この労務管理・職場のルール、現場協議制を資本・当局は受け入れることができません。そのために様々なキャンペーンをはって組合潰しを狙いました。
 国鉄の分割民営化の提案の中で、82年8月、当局は協議改定案を提示し、交渉が決裂すると12月1日から無協約状態になりました。
 85年の国鉄の分割民営化は、当時の中曽根首相が後に公言したように国労を潰すことによって総評を潰すことを目的にしたものでした。国鉄の分割民営による国労潰しは現場協議制解体も狙ったものです。
 国労だけでなく団交権の 「はく奪」 の状況下で、労働組合の武器である団交権を再獲得したのがユニオン運動です。


 もう1つの問題は、人権意識の希薄さです。職場における個人の問題を異端と捉えてきました。
 「集団主義」 のお互いの違いを認めない関係性が作られ、慣らされてきました。戦時中の職場の5人組み制度、隣組による監視体制、戦後のQC運動における相互監視体制などです。「出る釘は打たれる」 状況があり、個性は排除されます。

「労働組合がたえずいだいていた自負は、自分たちこそが社会正義を体現していて、自分たちは社会の進歩を推進していく勢力だ、ということであった。……今日では、労働組合の軸に置かれていた思想自体が動揺にさらされているのである。だから新しい基軸になる思想をつくりださないかぎり、労働組合が社会変革の大きな勢力として再生されることはないだろう。そして、労働組合と同じような矛盾のなかに、私たちの労働の世界も置かれている。なぜなら、どのような思想で自分たちの労働を考えたらよいかは、現在の私たち自身の課題でもあるのだから。」 (内山節 『戦争という仕事』)
 労働組合は上位下達の指示系統と統制・規律の正確を色濃く持っています。それを 「団結」 と捉えてきました。
「従業員の間に存在した差異、あるいは格差と、それに由来する心情の差異へのまなざしを鈍らせる役割を果たしていたのが、あるいは以外に聞こえるかもしれないが、『労働者階級』 という概念の日本独特のあり方だったといえるであろう。」 (市原博 「『労働』 の社会と労働者像の変容」 『戦後日本社会の歴史』 収録 岩波書店)
 今、「労働者階級」 の言葉は同床異夢や問題をあいまいにして誤魔化す時、地に足がついていない運動を進める時に使用されています。「労働者階級」 の分析と検討が必要になっています。

 では労働組合の再生はどのように摸索することができるのでしょうか。
 ユニオン運動の 「1人でも加入できる労働組合」 は 「1人を大切にする労働組合」 です。
 1人ひとりの価値観が違うことを確認しながら、「私の叫び」 を 「私たちの叫び」 に、「私の主張」 を 「私たちの主張」 に、「私の要求」 を 「私たちの要求」 に意識を共有し、共通の課題を組織していくことに挑戦していいます。
 みんなが安心して長期に、安全に働ける職場環境とはどのような状況か。
 どんな労働をすることが労働者の豊かさや幸せにつながるのか。
 自分の仕事は社会に有用か。誰のための会社か。
 どうしたら労働者として仕事に自信とのプライドを持てるか。
 などについて共同活動のなかで議論を繰り返しながら自己の意識を変化させて高め、「確信」 「自信」 「飛躍」 を獲得していくことができます。
 共同で何かに挑戦していると自覚出来た時、「仲間がいる」 と言えます。「ガンバロー」 と一緒に叫べます。
 これらを推進する力を確信できる人間関係が構築できた時、「団結」 していると言えます。

    関連:「活動報告」 2014.10.7
    関連:「活動報告」 2013.10.3

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いじめに遭って怖いと思ったら逃げる。卑怯でも、負けでもない。
2014/10/24(Fri)
 10月24日 (金)

 10月18日と19日、札幌で第26回コミュニティ・ユニオン全国交流会が開催されました。全国64団体312人が参加しました。

 1日目は、全国総会に続いて5本の闘争報告が行われました。そのうちの2本を紹介します。
 札幌地域労組・田井自動車支部 (組合つぶし) の報告です。
 労働者が約50人の田井自動車工業は消防車を製造しています。2年前、約18万円の賃金のなかに固定残業代約7万円が含まれていましたが、実際の残業は月100時間を超えていました。
 労働者たちが組合を結成し、未払残業代の支払いを請求して団体交渉を要求すると会社は途中で交渉に応じていた弁護士を差し替えました。新しい代理人は、「残業問題は団交で扱わない」 などと回答し、さらに組合員にだけ賞与を支給しないという嫌がらせを行なってきました。組合は24時間ストで対抗しました。
 労働委員会で不当労働行為救済命令が出されると、会社は裁判所に取消し命令を求めて提訴しました。
 未払い賃金は裁判闘争にもなっていましたが、判決を控えた今年7月、会社は弁護士を解任し、和解を提案してきました。そして労働委員会の取消し命令を求めた裁判も取り下げました。不当労働行為は確定しました。
 そして社長は直接組合委員長に口頭で謝罪し、闘争は全面的に解決しました。

 名古屋ふれあいユニオン・一心商事 (組合つぶし) の報告です。
 今年5月、インスタント茶メーカーの一心商事は、労働者代表の選出を巡って労働者から疑義が出されると2人の労働者を解雇しました。これをきっかけに労働者は組合を結成しました。その後も続いた不当労働行為について労働委員会に救済申し立てをしています。
 そのようななかで、7月、社長は組合員を社長室に呼びつけ、日本刀を見せつけて賃金の減額の同意を取り付けようとしました。
 恐怖を感じた組合員は社長室を出て警察に連絡。10人の警察官が刺又を持って駆けつけて連行されていきました。しかし翌日には釈放されました。
 組合員はその時のショックでストレス反応を発生し、休職を余儀なくされています。
 組合は、異常な労務管理に対して社長の代表辞任を求めて闘いを続けています。

 この他、アスベストユニオン、過労死を考える家族の会中原のり子さん (過労死防止法制定の取り組み)、武庫川ユニオン・郵政非正規 (遅刻で減給) 労働者の勝利報告、のなど報告を受けました。
 続いて全体集会では、川村雅則北海学園大学准教授が 『労働組合は必要とされているのか――反すう、そして確信へ』 のテーマで講演を受けました。

 夜のレセプションではアイヌアートプロジェクトによる歌と踊り、そしてアピールが行われました。
 アピールでは、地元の市会議員による大和に同化してアイヌ民族はもう存在しないという発言に対して事実とちがうという反論が行われました。北海道各地の地名はアイヌの人たちによって意味が付与されています。昔からそこで生活を続ける人たちはアイヌの文化を守り続けています。その一端が歌と踊りです。
 アイヌ民族の否定は、上からの統合政策のなかでマイノリティの存在を認めない策動に繋がっていきます。それぞれの存在を主張し、認め合いながら共生していかなければありません。そしてそれぞれの存在を認め合うことは、労働者の団結の基礎です。


 2日目は11の分科会が開催されました。
 第3分科会 「交渉事例から考えよう――いじめ・パワハラとユニオンの可能性」 を報告します。24人が参加しました。
 まず、4~5人で5グループを編成します。そこで自分の仕事を絵に描いて示したり職場の問題点を報告しながら自己紹介していきました。これはアイスブレイクという方法で、固まっている関係を溶きほぐすことを言います。
 雰囲気が作れたところで 「いじめ・パワハラ、ユニオンには何が必要か? 何ができるか」 をテーマにしてワールド・カフェを開始しました。ワールド・カフェは、与えられたテーマをグループで討論し、時間がたったらテーブルホスト以外は他に異動し、ホストから討論内容の報告をうけて新たなグループで討論を続けるという形式です。自由に意見交換する中で新たな発見をするということが目的です。自分が発言した要旨はポストイットに書いてテーブルの上の模造紙に貼っておきます。異動は2回行われました。

 自分の話を分かってもらうためには話をしなければなりません。
 参加者はいじめを受けた者、相談を受ける側の者、いじめ問題に関心がある者など様々ですが自己紹介では全員が発言しなければなりませんし、質問に応えなければなりません。この段階で、アイスの関係がかなりブレイクされていきました。
 他者に話を聞いてもらえるということが問題を整理できるきっかけになり、解決のスタートです。その後は活発な意見交換が続きました。
 グループが変わると同じ事案についても違った質問や意見が出されます。視野が広がります。

 協力者が、ワールド・カフェをスタートさせる前に問題提起として、現在の職場はいじめを受けても我慢したり、目撃しても “見て見ぬふりをする” 状況があるという調査結果を報告しました。また、いじめ問題が発生したら表面だけではなく根本原因を探って追及しようと提案しました。
 グループ討論では、我慢するとかえってひどくなる、“見て見ぬふりをする” をすることは問題を深刻化させることだという意見が出されていました。また、本人も周囲も早期に声をあげて問題提起をし、早期解決や職場環境の改善につなげていかなければならないという意見も出されていました。そうするとそれが職場での予防・防止につながっていくということです。

 それぞれの経験からいじめがどんな構造の中から発生しているかが自然と共通のテーマになっていきました。忙しすぎる、他の人のことを気にする余裕がない、孤立している・させられている、いじめが退職するのを狙って行われているような気がする……。
 また、職場で周囲を見渡すとメンタル不調に陥っているのが多くいるということが報告されました。うつは孤立した状況で発症します。

 途中で、全体に対する闘争報告が4人から行われました。その中の1人の報告です。
 数年前から職場でいじめに遭い、ユニオンに加入して対応してきましたがそこから “脱出” できた中での教訓を3つ披瀝しました。
 1つは、いじめを受けると自殺思考になる。周囲は “見て見ぬふりをする” のではなく喚起するし必要がある。
 2つは、いじめを受けたら、業務時間とプライベート時間の切り替えをしっかりし、業務時間以外に嫌な思いを持ち込まないで楽しむ。
 3つは、いじめに遭って怖いと思ったら逃げる。逃げることは卑怯でも負けでもなく、自己防衛の手段。
 報告者は最後に現在の実感を語りました。「ユニオンに加入して、みんなに支えられながら、闘ってきてよかった」。そして、職場や社会は確実に変わってきていると語っていました。


 交流会は最後に全体集会で、特別決議「労働者派遣法改悪、労働時間規制の緩和・撤廃を阻止しよう!」と、集会宣言を読み上げて確認し、終了しました。

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「ユニオンに入っていて (があって) 良かった」
2013/10/29(Tue)
 10月29日(火)

 10月19日と20日、山形県上山市で 「第25回コミュニティ・ユニオン全国交流集会 山形みちのく集会」 が全国から400人の参加で開催されました。サブタイトルは 「東日本大震災の悲劇を風化させないため 『学ぼう・つながろう・届けよう』 ユニオンネットワークのちからで」 です。
 受け入れ団体のおきたまユニオンは、2011年の開催準備をしていましたが、東日本大震災の避難者支援で体制が取れなくなり延期になっていました。今年の地元の歓待は3年かけて準備したように盛大でした。

 開会あいさつ、来賓のあいさつに続いて5ユニオン・労働組合から特別報告が行われました。
 札幌地域労組は、ローカルテレビで放映された田井自動車支部の闘いを上映しながらの報告です。
 田井自動車は消防自動車を製造・整備している会社です。従業員50人の平均年齢は29歳。繁忙期は残業が月約200時間のこともありましたが手取りは月20万円ほど。
 今年3月にインターネットで労組を知り、組合結成に至りました。その結果、労使交渉で2年分のタイムカードを開示させて未払い残業代を要求、会社の不誠実な対応に対しては残業拒否、ストライキを含めて闘っています。
 ストライキの画面にアップされた横断幕には 「俺たちは奴隷じゃない!」 と書かれています。組合員にはすべて初めての経験で、鉢巻をどこにどう締めるのかわからない者もいます。

 兵庫・あかし地域ユニオンもビデオを使って東亜外業分会の闘いを紹介しました。
 鋼管メーカーの東亜外業は、2011年1月20日、組合への協議がないまま、業績不振を理由に4月から工場を休止する、突然残務業務に必要な人員20人を除く65人の希望退職の募集を発表しました。人数が達成しないときは整理解雇の実施を匂わせました。
 組合は、団交も拒否したので労働委員会に不当労働行為救済を申し立て。会社は労働委員会の助言を受けて団体交渉には応じましたが、「希望退職募集については交渉する必要はない」 「4月1日工場休止の方針は決定事項」 「余剰人員は整理解雇する」 と回答してきました。3月末で37人がやむなく希望退職に応じましたが、組合は、残る組合員の雇用の継続を求めて、労働委員会闘争や団体交渉、抗議行動などを取り組みました。しかし会社は6月21日の団体交渉で 「28人を6月25日で解雇する」 と通告してきました。
 組合は、解雇撤回を要求して裁判闘争に取り組むとともに広範な社会的運動の取り組みを開始しています。

 この他、おおだてユニオン、スクラムユニオンひろしま、ユニオンみえからも報告を受けました。


 創作・朗読劇 『あたりまえの毎日が』 が上演されました。
 米沢市には、昨年末の時点で福島から3400人が避難していました。原作を書いた方は、福島からの避難者の人たちの悩みや苦しみ、葛藤を1人でも多くの人たちに知ってもらいた、フクシマを風化させてはならないという思いを込めたといいます。被災者の方々から話を聞いて何度も書き直したといいます。
 ストーリーは、福島・相馬市で “あたりまえの毎日” を過ごしていた女子サッカーに打ち込む高校生たちが、原発事故が起きて避難を余儀なくされるところから始まります。
 家族や友人がばらばらにされていきます。しかし避難先でもそれぞれサッカーを続けながら希望を探し続けます。“あたりまえの毎日” を取り戻すことに挑戦しています。
 みんなの共通の夢は、2016年にリオデジャネイロで開催されるオリンピックの代表選手に選ばれて、「フクシマの悲劇を繰り返すな」 と書いた横断幕を掲げて競技場を一周することだと語ります。

 夜のレセプションには、地元のフォークグループ 「影法師」 が登場しました。
 「影法師」 は1975年に長井市の農業後継者で結成した叙事詩フォークグループです。1975年から活動開始ということは、現在は〇〇歳の大台にのった方々で、ますます味が出てきています。全国に山形を紹介する時は欠かせなくなっているグループです。
 福島原発事故をテーマにしたオリジナル曲 「花は咲けども」 などを披露しました。(YOUTUBEで聴くことができます) 原発に対する怒りがあらためて沸き起こってきます。

   原子の灰が 降った町にも
   変わらぬように 春は訪れ
   もぬけの殻の 寂しい町で
   それでも草木は 花を咲かせる

   ※花は咲けども 花は咲けども
    春をよろこぶ 人はなし
    毒を吐き出す 土の上
    うらめし、くやしと 花は散る

   異郷に追われた 人のことなど
   知ったことかと 浮かれる東京
   己の電気が 招いた悲劇に
   痛める胸さえ 持ち合わせぬか

   ※繰り返し

   1年、3年、5年、10年
   消えない毒に 人は戻れず
   ふるさとの花 恋焦がれて
   異国で果てる 日を待つのか

   ※繰り返し

 レセプションの最後は花笠をもって 「花笠音頭」 の踊りです。参加者も混ざって大きな輪が出来上がりました。


 2日目は10の分科会に分かれての討論です。
 第1分科会のテーマは 「どうすればなくなる? 職場のパワーハラスメント」 です。
 例年は、講演、報告をうけてそのあと意見交換に移って交流をしていました。
 今年は進行方法を変えました。最初から5人ずつのグループに分かれて全員参加で発言する形式です。
 グループごとに自己紹介の後、自分または周囲の者がいじめに遭った体験を振り返って約20分討論をします。その後協力者のアドバイスを全体で受けて体験をいまの視点から見つめ直して20分討論を続けます。また協力者のアドバイスを受けてさらにパワハラ防止のヒントを共有するための討論を進めます。
 討論を3段階に分けることにより、体験を自分だけで解釈していたのを分解し、客観的に捉え返すことができるようになります。
 最初は知らない同士で苦痛な体験を遠慮しながら語り始めています。それが時間が経つにつれて思いを共有しながら積極的に意見交換をしています。思いが共有できた時の表情は晴れ晴れしています。
 その後、各グループが討論内容を紹介し、他のグループからの質問に答えます。質問も積極的に出されました。討論の中で出された具体的いじめ事例、解決方法、協力者のアドバイスは割愛します。解決方法に模範解答はないからです。

 全体で共有できたのは、同じ思いをしている仲間が大勢いる、話をすると心が軽くなる、理解し合える人がいると解決のための糸口を見つけやすくなるという実感です。残念ながら現在の職場は、問題が起きても見て見ぬふりをする人たちが多くいます。しかし自分たちとユニオンは職場に戻ったら、周囲でいじめられている人がいたら声をかけよう、それが職場改善の第一歩になるという確信です。

 分科会で独自にアンケートをお願いしました。項目ごとに紹介します。
 「参加した気持ちや感想」 です。
 「具体的な事例をもとに議論出来てよかった。」
 「小さいうちに問題を解決するように努め、これはパワハラにあたる行為と認識するよう、事例を出して研修するのが大切と思った。」
 「同じ思いを持ってガンバっていると思った。参加してよかった。」
 「達成感のある内容でした。」
 「色々な方の体験談を聞くことにより、今後の対処、そのために必要なことを聞けて、とてもよかったと思います。」
 「色々なお話を聞け、大変参考になりました。問題を意識することができました。色々な事例があったので、ユニオンとしての予防も考えたいと思います。」

 「分科会の内容は」 です。
 「パワハラの現状を直接聞けて全国で頑張っている仲間に勇気をもらいました。」
 「時間が短く、もの足りなかった。」
 「具体性が図れ、効率的だと思いました。今後の展開まで話が出来てよかったです。短時間で濃い内容でした。」
 「段階的な分割方式について、当初はやり難さを感じたが、最終的にはよかったと思うようになった。」

 「その他、全体をとして」です。
 「仲間になれた気分です。」
 「情報共有化でき、勉強。」
 「ユニオン間の連携が必要と感じた」
 「グループ討論や最後の全体での事例発表のいじめやパワハラの実態を共通認識できたと思う。解決に結びついた事例も話されましたが、『ユニオンに入っていて (があって) 良かった』 という言葉が印象的でした。『1人では闘えない。』 ユニオン活動の原点ですね。改めて思いました。」


 総会終了後は、米沢に移動して河原で芋煮会と米沢牛の焼き肉パーティーでした。
 総会・分科会の討論をすっかり忘れてしまいそうになるくらいフクシマの隣で苦闘を共有している姿が伝わる山形、食べ物がとてもおいしい山形でした。
 

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労働時間と労働条件は別のもの
2013/05/21(Tue)
 5月21日(火)

 5月15日、日本労働弁護団主催の 「解雇規制の緩和に反対する集会」 が開催されました。
 2月15日に開催された政府の第2回規制改革会議は70項目におよぶ検討課題を提示しました。そこには解雇規制の柔軟化、裁量労働制の対象業務拡大、派遣労働の対象となる業務範囲の見直しなども含まれています。25日に開催された第3回会議では 「労使双方が納得する解雇規制の在り方」 として 「解雇に係る規制を明確化するとともに、解雇が無効であった場合における救済の多様化により、使用者及び労働者双方が納得するルールの下で仕事ができるよう労働環境の整備をおこなうべきではないか」 との検討項目が記され、ワーキンググループの検討項目にしました。

 大阪市立大学の根本到教授が講演しました。
 資料の中に、OECDが作成した 「解雇規制の国際比較 (2008年)」 がありました。「正規雇用」「非正規雇用」「大量解雇」 の3つの観点からOECDが指標化しました。数値が大きいほど規制が厳しいということですが、上位からフランス、ドイツ、韓国、スウェーデン、デンマークの順で、日本は30か国中24番目です。日本の下位にイギリス、アメリカが位置しています。
 ここからは、日本は解雇が厳しいという経済界の主張は当りません。
 もう1つのことが言い得ます。
 24位以下にイギリス、アメリカが位置していますが、1980年代に新自由主義を掲げて行政改革を推し進めた中曽根、サッチャー、レーガンによって労働運動・労働組合が攻撃を受け、その後立ち上がれていない国です。
 また、日本が24位、下位から7位ということは、言い方を変えると労働組合が弱い、“だらしない” のが7位ということです。4月28日の 「活動報告」 に書きましたが、前回 「整理解雇の4要件」 の判例が履えされ続けた時も、大企業労組や連合が抗議の運動に積極的に取り組むことはありませんでした。運動を中心に担ったのは中小の労働組合が集まった実行委員会です。

 上位の国と比較した時、日本の労働政策は政策と言えません。
 雇用政策と社会保障の連結、賃金や労働時間等、労働安全衛生などの政策は厚労省内部でも縦割りでバラバラになっていて連携がなく、総合的な対策が取られていません。


 フランスの労働法についてわかりやすい解説をしているミシェル・デスパックス著 『労働法』 (白水社 1993年刊) から引用します。少し古いですが、思想、思考方法だけでも参考になります。
 フランスの労働法は、(1) 労働時間、(2) 労働安全衛生、(3) 労働条件の改善の規定を定めています。
 日本の労働者の感覚では、労働時間は労働条件ではないのかと面喰います。
 労働時間と労働条件は分けて捉えられます。
 労働時間は、生活時間の中の労働時間の部分です。生活時間の確保は使用者が支配する労働時間に優先します。有給休暇、バガンスなどは生活上の権利と位置づけられます。
 そして3項目の順序は優先順位です。労働時間は労働安全衛生に優先し、労働安全衛生は労働条件に優先します。生活を犠牲にして長時間労働をすることも、健康を崩してまで労働することもありません。
 基本的人権は個人と家庭生活を尊重します。ですから日本の労働者のような長時間労働の状態は理解不可能です。

 基本的人権の尊重は雇用の安定に繋がっています。
 雇用の保護という視点から、1973年の石油ショックの後に解雇に関する改正が議論された時も、経済的理由の解雇に対して労働者の保護制度を完全なものにしました。
 80年代になって使用者から 「柔軟性」 の要求が出されますが、改正においては 「経済的解雇の予防と転換の権利」 が盛り込まれました。解雇された労働者の受ける損害の予防と補償を重視しています。
 法律的には使用者は労働者を解雇できます。しかしその結果訴訟に至った時、挙証責任は使用者にあります。
 政策としては、解雇を量的にできるだけ少なくし、その影響をくい止めるために、種々の防壁がおかれています。経済的解雇については予防的であり、治療的です。ですから解雇に伴う損害の賠償のみならず、解雇された労働者の 「転換」 が配慮されています。

 解雇予告期間は、勤続年数6か月以上2年未満の労働者に対しては1か月、それ以上の場合は2カ月です。
 解雇の金銭的解決については、破毀院 (日本の最高裁) の判例が確定しています。
 「補償の最低額を定める規定は、実際に復職が可能であると裁判官に判断される場合にのみ限られると解釈されるものではなく、『法律によって設けられた補償のあらゆる措置を欠くとき、この規定は一般的に適用されるものと考えられ、解雇が、現実的かつ重大な理由を欠き、復職がない場合にも適用しうるのである。』」
 少なくても6か月分の賃金に相当する補償手当を支払わなければならないという見通しは、現実的かつ重大な理由なく解雇した使用者に威嚇的な効果を有したといいます。使用者は「解決金を支払うより雇用を続けた方が得」 という判断をしました。
 フランスの使用者が駄目だと結論付けている制度と似たものを日本の経済界は 「解雇の金銭解決制度」 として提案しようとしています。曲者と捉えない方がおかしいです。

 そして継続的職業教育制度を確立しています。
 企業に職業教育税を課し、それを原資にして労働者に 「教育休暇」 を保証しています。
 教育休暇の 「目的は、職業生活の途中で、労働者が働いている企業の教育計画の中に含まれている要請とは別に、労働者の発意に基づき、かつ個人の資格で職業教育をうけることである」。
 企業は税を払っているのだから活用しない手はありません。
 教育休暇は、労働時間中または一部を使って行われます。高められた労働者の職能は企業で発揮されます。
 日本では、職業教育は労働時間外の自己責任です。金銭的にゆとりがなければ受けられません。高められた労働者の職能は、労働者の個人財産です。

 このように捉えるとフランスの労働法は企業に厳しく、労働者を保護し過ぎていると捉えられかねません。
 しかし政府は、納税者である労働者を保護し、「労働者の量」 を維持することで国家財政を維持し、社会保障をしているのです。だから企業からの反対や抵抗があっても合意に至ります。
 確か1990年代、「整理解雇」 が避けられなかった時、解雇者は若者、勤続年数が短い者の順に指名されました。若者の方が転換・転職しやすいという理由です。日本とは逆です。
 

 安倍政権発足直後、政府は 「中間層を育成して……」 ということを言っていました。
 高度経済成長の時期は 「中流階級」 が納税して社会保障を充実させました。安倍政権もその方向に向かうのかと思っていたら、失業者を増大させる政策が進められようとしています。
 「中間層を育成して……」 は、中間層を投資家にするということのようです。
 景気変動による失業者の増大に対しては雇用保険で対処することも可能です。
 しかし構造的不況、産業の転換期には労働力の移動は不可欠です。雇用保険での対応は役に立ちません。 そのためにこそ労働者の職業教育が必要です。
 方向性のない雇用の流動化は生産性向上と相反します。そして悪循環を繰り返します。
 不安定な雇用政策は、社会不安と共に国家を危機に落とし込めていきます。「貧困政策に自立重視」 などという政府はいりません。


 「余剰人員」 が発生した場合の対処のヒントを、また古い本ですが、イギリスの 『ルーカス・プラン 「もう一つの社会」 への労働者戦略』 (ヒラリー・ウエインライト、ディヴ・エリオト共著 緑風出版) から探ってみます。
 まずカバーの裏側の解説です。
 「1970年代、『イギリス病』 と呼ばれるほどに慢性化したイギリス経済不況は、合理化、企業合併、工場閉鎖、倒産の嵐を引き起こしつつ、大量の失業者を産み出している。主に軍事用航空機部品メーカーとして知られるルーカス・エアロスペース社に働く労働者は、合理化・人員整理もやむなしとする経営側の理論の前に、脆くも崩れ去っていく労働運動の現状を打破すべく、『契機後退と人員整理に対する積極的代案』 を作成する。軍事生産よりも社会に役立つ製品の開発をというこの 『経営プラン』 を武器に、ルーカス労働者は闘いを展開する。」

 本文です。
 「1974年1月に中央の経営陣がルーカス・エアロスペース社全体に及ぶ800人の人員整理を発表した際も、……会社側は、この人員整理について公表する前に連合委員会に知らせてきた。それだけではない。連合委員会にある提案をした。この人員整理をどのような形で実施するかについて連合委員会に決定権を、つまりどの労働者をクビにするかを決める権利を与えようというのである。経営側の計算はこういうことだったのであろう。連合委員会は、これを自己を認めさせ正当なものとして地位を得るための機会とみなすだろう。連合委員会にとって雇用を守ることよりもこのことの方が大事にちがいない、と。ところが、実際は、連合委員会は状況を逆手に取った。この全般的な人員整理という脅威を良い機会ととらえ、人員整理に対する初めての効果的な全国キャンペーンを開始したのである。」
 経営者による労働組合幹部の抱きかかえは古今東西どこでもあることです。
 しかしルーカス・エアロスペース社の労働組合・連合委員会は逆手に取りました。

 「キャンペーンの計画が立てられたのは1974年1月に開かれた連合委員会の会合の場であった。これは、連合委員会の代表たちが会社側の出してきた 『人員整理の共同実施』 という提案を拒否してから10日後のことだった。この会合に集まった代表たちは、次のように宣言し、この方針をとるよう各事業所のショップ・スチュワート委員会に勧告した。
 もし会社側が人員整理を実施しようとするなら、次のような措置がとられるだろう。
 (a) 超過勤務禁止措置
 (b) 中心的部門からの労働者の引き上げ
 (c) 外注禁止措置
 (d) 順法
 (e) 全面的採用阻止 【経営側は全般的な人員整理を行っている時でも、特別な部門で新しく人を雇うこ
   とが必要な場合があるが、それをすべて阻止しようというもの】 これらの提案がどのような形で実施に
   移されたかは事業所によって異なる。」
 「措置」 のそれぞれは労働組合としての当然の主張です。
 しかし現在の日本では考えられません。労働者は、会社に長時間労働を含めて忠誠を誓うことで自分だけは助かろうとします。前提として労働組合が信頼を完全に失っています。

 「『経営プラン』 作成の時点でルーカス・エアロスペースの労働者が直面していた最大の問題は、人員整理と不況だった。これらは、部分的には航空宇宙産業に特有の問題がもたらすものとみられていた。……連合委員会は、軍事費の削減は避けられないと同時に好ましいことだと考えた。このため、新しい戦略が必要だった。さもなければ、軍事産業の労働者たちは、失業してしまうか、それとも軍事費の増大をもとめるかという立場に置かれることになる、と連合委員会は主張した。
  ……
 『経営プラン』 が指摘したもう1つの問題は、残っている仕事の技術面での内容やそのおもしろさが低下しているということだった。『経営プラン』 の序文は、この70年間にわたって、仕事を小さな限られた職務に細分化し、その遂行の速度を上げていくということが系統的な形で試みられてきた、と述べている。序文は、さらにつぎのように続けている。『奇妙なことに 「科学的管理」 という名で知られるこの過程は、労働者を自分が扱っている機械または工程に付随している無目的で思考力のない付属物としての存在にまでおとしめようとするものである……』。
  ……
 『経営プラン』 の目的の1つは、連合委員会のメンバーをこのような作業の単純化から救い、彼らの技能を伸ばすために役立つような根本的な作業内容の変革をめざしたキャンペーンを行うことである。『経営プラン』 は、続いて、ルーカスのテクノロジーによって満たすことのできる社会的必要について述べる。……
 『経営プラン』 はそう主張した後、このギャップをうめるためのいくつかの方法を挙げている。これらの方法は、次の6つの主要分野に分かれている。
 1 医療機器
 2 『もう一つの』 エネルギー源
 3 輸送システム
 4 ブレーキ・システム
 5 海洋工学
 6テレカイアリップ――遠隔操作――機器
 これらの分野の提案は、連合委員会の代表者たちがアンケートに対する答えの中から集めた150件ほどのアイディアを基にしたものである。」
 労働組合は労働のやりがいを探求するとともに、合理化攻撃を、軍事産業からの脱皮、福祉産業、平和産業への転換ではねのけようとします。
 ルーカス・エアロスペース社の連合委員会の挑戦は、「社会的労働」 について議論される機会になりました。

 これらの中には日本における雇用政策にもさまざまなヒントを与えてくれます。
 長時間労働が続く中で 「余剰人員」 は矛盾します。労働時間のワークシェアリングは社会的に進められなければなりません。
 日本で軍事産業や原子力産業に従事させられている労働者は雇用確保のために事業の維持に固執します。しかしせっかくの職能を福祉産業や平和事業、環境保護事業で生かす方向での提案と転換に挑戦させる力は労働者と労働組合は持っています。やりがいは生まれます。
 そして労働者と労働組合は改良だけでなく、ルーカス・エアロスペース社の連合委員会のように 「対案」 で対抗する力を秘めています。そのような認識を共有して対応すると雇用の安定を確保できる方向に向かわせることができます。


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「手と手をつないで しっかり生きる」
2013/05/14(Tue)
 5月14日(火)

 5月3日の憲法記念日は、各地で集会やデモ行進が開催されました。
 法政大学教授の田中優子さんの講演を聞きに行きました。
 江戸学が専門の田中さんは、テレビなどで現在の政治情勢を江戸時代と比較しながら辛口のコメントをしています。たくさんのファンが集まっていました。

 田中さんは、江戸時代を紹介しながら、現代の問題をかさね、平和、人権をうたっている現憲法は発展させながら守っていかなければならないと訴えました。

 江戸時代は260年間鎖国政策をとっていたなかで平和な時代でした。豊臣秀吉が仕掛けた2つの侵略戦争、1592年の文禄の役と1597年の慶弔の役に敗北した経験を生かしたからです。
 侵略戦争を今度こそ勝とうと始めるのではなく、もうしないと結論を出したのです。

 徳川幕府は朝廷をほとんど意識しませんでした。徳川家康は、京都の朝廷を伊勢神宮に移して閉じ込めようと考えたりしています。ですから江戸時代の庶民の意識の中には存在していませんでした。“お伊勢参り” は盛んに行われましたが、現世利益が中心です。
 明治維新に際して勤王派は、象徴的存在を探して、朝廷を活用しました。
 しかし無理やり祭上げたからなかなか定着しませんでした。定着させる手段として教育が利用されました。

 江戸時代は、水戸黄門のドラマのように武士階層が絶対的権力を握っていたと歴史が作られてきました。現在の学校の教科書はまさしくその通りです。
 しかし町民・農民の生活や文化から歴史を捉えると力関係は逆転していたことがうかがえます。「武士は食わねど高楊枝」 という虚像がはっきりしてきます。「働かざる者、食うべからず」 です。平和が続く時代に、戦争や争いごとに専念する階層は存在価値が薄れていきました。
 江戸幕府は権力をふるうことなく流れに任せたから長期政権になったのです。

 元禄時代は各地で新田開墾が進みますが、共同作業でした。そのなかで耕作地の配分、用水、水不足の時の配分工夫などについても対応策が協議して決定されていました。その経験から、村と村との境界線争いなどはありますが、村内は共同体が出来あがっていきました。開墾した田畑は検地、つまりは年貢の対象外です。
 名主など村の統括者は民主的に選ばれます。「入れ札制度」 などの無記名投票方法が考え出されます。名主は藩権力の末端管理者ではありません。名主を押し立てて藩権力と対峙している構造もたくさんあります。
 また、平等思想から騒動や一揆に至ったりしています。藩権力への百姓の不服従もあります。江戸末期になると生存権を要求した一揆がおきます。
 江戸時代の庶民の学問への関心は高く、数字のデータはありませんが、かなり高いものでした。騒動や一揆においては1人ひとりが署名しています。連帯意識が強い時は、署名は首謀者がわからないように “唐笠連判状” の形態がとられたりしています。

 1787年 (天明7年) の江戸の打ちこわしの後、ある武士が松平定信に改革意見書 『夢物語』 を献じます。その中には 「下は上の言い付け次第になるものと思うときは大いなるあやまちなり……今の武士においては、無理をいいつけられても心を屈してこれをなし、あるいは阿諛(あゆ)にしてするものあれど、百姓などはなかなか心を屈せぬものなり」 と書いています。(府川清司著 『江戸時代の民衆思想』 三一新書)

 人々の生活は、災害や飢饉などの影響が長期に及ばない限り維持されています。
 東日本大震災の後、江戸時代の救援活動についての研究も発表されています。例えば、八戸藩では、災害や飢饉に際して村限に親類同様に一統助け合って相続すべきという村請共同体的な救済原理が確立して機能していました。
 1833年、36年、38年の3度の天保の飢饉後においては、村請共同体的な救済方法と、藩権力が強権的に介入して村方の救済方法を取り上げて一元的に貧窮者を救済して生活を保障するという計画が衝突します。結果的には藩権力の計画は実行されませんでした。(『図書』 2013.2号)
 地縁、血縁は、互助組織の単位でした。

 江戸は世界最大の都市人口を抱えていました。都市では排泄物やごみが問題になります。解決策は、それを利用し尽くすことでした。不要物の行先は3通りあります。1番目は、それを使って異なる物を作る。2番目は燃料にする。3番目は土壌の栄養源として田畑に戻す。例えば、紙はすき返される。再生紙は戯作本の印刷に使われ、さらにちり紙になります。すき返せば質が落ちるので異なった使い方をされます。燃やす過程で燃料になり、残った灰は畑の養分になります。このように生活の中で消費されるあらゆるものを循環させています。


 自民党政権は、第二次世界大戦の経験を生かすことなく、戦後補償をきちんとすることもなく、軍事力を保持することを目的とした憲法改正案を作成して発表しました。個人の尊厳、権利が消され、国家が登場しています。  「国旗」、「国家」 の規定も盛り込まれています。現在の憲法を改正するため、先ず96条を変えようとしています。
 田中さんはそのような動きに対して警鐘を鳴らし、反対の運動を大きくすることを呼びかけました。
 江戸時代の 「百姓などはなかなか心を屈せぬものなり」 と同じ精神を、現在の人びとは政府に示していく必要があります。
 原子力利用は、循環しない危険なゴミです。そもそも使用してはいけないものです。


 話しが大きく変わります。
 東日本大震災にから2年が過ぎ、今年3月には被災地のたくさんの小中学校が廃校になったり統合されました。
 戦後に開校した中学校の校歌には時代を反映して 「平和」 「新しい時代」 「建設」 などの歌詞が盛り込まれています。憲法の精神を盛り込んだものでもありました。
 しかし廃校と一緒に 「平和」 の校歌が消えていきました。
 そのかわり、震災の経験を乗り越えた、「絆」を大切にする新しい時代の校歌が作られました。それらもいい歌です。


 震災後に創られたものではありませんが、昨年からラジオで岩手県釜石小学校の校歌が学校行事に関係なく流されています。吉里吉里国の作家・井上ひさしが作詞しました。

   生き生き生きる 生き生き生きる
   ひとりで立って まっすぐ生きる
   困ったときは 目をあけて
   星をめあてに まっすぐ生きる
   息あるうちは まっすぐ生きる

   はっきり話す はっきり話す
   びくびくせずに はっきり話す
   困ったときは あわてずに
   人間について よく考える
   考えたなら はっきり話す

   しっかりつかむ しっかりつかむ
   まことの知恵を しっかりつかむ
   困ったときは 手を出して
   友達の手を しっかりつかむ
   手と手をつないで しっかり生きる

 生存権も表現の自由も福祉政策も含まれています。共存・共栄、連帯を大切にしています。1校だけの校歌、吉里吉里国の国歌だけにしておくのはもったいないです。
 この校歌が国歌になったら、国籍に関係なく誰でもどこでも歌えます。 
 
  
  当センター「いじめメンタルヘルス労働者支援センター」ホームページ・ご相談はこちらから
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