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「原爆は威力として知られたか。人間的悲惨として知られたか。」
2017/08/04(Fri)
 8月4日 (金)

 毎年この季節になると、井上ひさしが書いた朗読劇 「少年口伝隊1945」 の上演がおこなわれます。
 案内チラシです。
「昭和20年8月6日、一発の原子爆弾が広島の上空で炸裂した。
一瞬にして広島は壊滅。このときから、漢字の広島は、カタカナのヒロシマになった。
かろうじて生き延びた英彦・正夫・勝利の3人の少年は、やはり運よく助かった花江の口利きでヒロシマ新聞社に口伝隊として雇われる。
新聞社も原爆で何もかも失ったため、ニュースは口頭で伝えるほかなかったからだ。
3人の少年は、人びとにニュースを伝えながら、大人たちの身勝手な論理とこの世界の矛盾に気がついていく。
やがて敗戦。・・・そこへ戦後最大級の台風が広島を襲う。」

 3人の少年は国民学校6年生で孤児になります。口伝隊の仕事は8月10日から新聞社の臨時雇いとしてです。県知事の 「最後まで戦え」 という布告を伝えます。長崎への新型爆弾投下を伝えます。15日には 「正午にはラジオのあるうちに集まってください」 と伝えます。この日をさかいに大人の態度がガラッと変わります。GHQとアメリカの原爆効果調査団がくることを伝えます。大人の世界はガラガラと変わっていきます。
 9月17日の枕崎台風では戦争で荒れた山が崩壊し、街を高潮が襲います。広島で2012人が亡くなりました。そのとき勝利は水害で命を落とします。そのあと正夫が原爆症で死去。15年後に英彦も原爆症のため亡くなります。


 新聞社の口伝隊については、大佐古一郎著 『広島昭和20年』 (中央公論社) や御田重宝著 『もう一つのヒロシマ』 (中国新聞社) にも出てきます。
 当時、中国新聞は当時38万部を発行していました。輪転機1台と付属設備を郊外の温品に疎開させましたが動力線を引く工事はまだでした。本社は全滅です。6日のうちに軍を経由して他社に相互援助契約による代行印刷を依頼しました。しかし、代行印刷は1か月の期限です。

 7日、特高課長が 「知事布告」 を出したいと要請にきました。
 特高課長の口述を編集局次長が原稿にし、印刷屋を探してタブロイド判の大きさで60枚印刷、市内各所に掲示します。布告は、「我らはあくまでも最後の戦勝を信じあらゆる艱 (かん) 苦 (く) を克服して大皇戦に挺身せん」 と結ばれています。
 この後も 「中国新聞」 と題字をつけたダブロイド版の壁新聞が発行され続けます。飛び込みニュース程度のものを2、3本書き込み、焼け跡の電柱、塀、駅前などに貼りました。
 憲兵が中国軍管区参謀長の命令をもって本社ビルに来ました。「中国新聞社で民心安定のため、口伝隊を組織し、市民に情報を知らせてくれ」 と要請します。編集局次長が断ると、憲兵は 「いや、こんな状況下では、憲兵ではだめだ。民間人でないとうまくいかない」 といいます。軍は火急の場合の広報活動は民間人でないと国民は信頼しないことを知っていたのです。
 新聞社は、生き残った社員でメガホン隊を編成し、焦土の中で市民に情報を伝達していきました。
 整理部長の回想です。
「『万難を排してニュースや諸情勢を伝達し、民心の動揺を防ぐ』 ことを新聞人としての最大任務と心得ていたのである。
 しかし7日には、まだ外部からのニュースは何も入手できないし、墨も紙もない。そこで最大の知恵は古風な口伝隊となって現れた。罹災者の応急救済方針、臨時傷病者の収容所、救援食糧、被害の状況など思いつきを口で伝えるのである」
 最後は 「決して心配はありません」 と結びました。
 比治山、饒津公園、東西練兵場、その他罹災者の集合場所や焼け残った郊外住宅地などに分散して回りました。情報に飢えている被災者には結構喜ばれました。
 しかし内務省の規制は厳しく、戦争が終わるまで原子爆弾の表現は禁止されました。

 大佐古記者の日記です。
「8月12日 (日) 快晴。
 本社焼け跡に行く。三井、佐伯、尾山、八島君らが、鉛筆と紙に代わるメガホンを持って口伝隊員として活躍している。この口伝隊はトラックの上からニュースを流すもので、軍の報道部にいた山本中尉らが、有事の際に憲兵隊を中心に編成することを予定していた。それが制服では信用がなくなったので、新聞社員や放送局員が代わって登場し、軍官の告知事項や重要なニュースを被災市民に伝達しているものである。」


 中国新聞社は疎開先で自力での発行に漕ぎつけますが枕崎台風で水害に遭い不可能になります。新聞発行は再び代行印刷となりますが、鉄道が被害を受けていた運送には困難をきたしました。
 20日から、再びこんにゃく版刷りの壁新聞 「特報第1号」 を発行します。
 大佐古記者の日記です。
「9月29日 (土) 晴れ、のち曇り。
 ここ1週間 『中国新聞特集』 の壁新聞をまた発行する。同盟や県庁だねを中心に数項目ずつをガリ版で刷り、それを販売部員が広島駅、横川、己斐、宇品、向洋など市内の要所に貼り出すほか、社員や県庁員に頼んで鉄道沿線の各駅に掲示してもらうものだが、見出しを長くした程度の内容で果たして何人の市民が見てくれるか。しかしわが社はピカドンにもめげずにまだ生きていることを宣伝するのには役立っている。」

 10月1日から本社移転に漕ぎ着けました。復員した社員、新たに採用した社員を含めて214人でのスタートです。

 8月3日、義勇隊本部から口頭で中国新聞社国民義勇隊に 「4日から8日までの5日間、主水町県庁付近一帯の疎開作業に毎日80人の隊員を出せ」 という出動命令が出ます。
 中国新聞社国民義勇隊には広島に支社をおく他の新聞社員も編入されていました。
 8月6日、中国新聞社員40人と他社員6人合わせて46人が県庁北側にあたる天神町の強制建物疎開作業に出動していました。集合を終え、作業に取り掛かろうとした時、上空で原子爆弾が炸裂しました。爆心地から西南500メートルの距離でした。
 新聞社は一瞬にして113人の社員が奪われました。当時の従業員の3分の1にあたります。助かった社員も熱線を浴び、放射能を浴びていてみな数日後には亡くなっていきました。

 中国新聞労働組合は1985年8月、被爆40周年事業として仲間が動員されて作業をしていた本川のほとりに 「不戦の碑」 を建立します。「碑」 は 「P」 のデザインです。Press、Pen、Peace の頭文字の 「P」 です。原爆で亡くなった新聞労働者を追悼し、二度と戦争のためにペンを執らない、シャッターを押さない、輪転機を回さない 誓いを込めた碑です。


 原子爆弾の被害をうけ、記者は苦闘します。
 大佐古さんの日記です。
「8月24日 (金) 晴れ、のち薄曇り。
 ……そういう新聞人はいったい何だ。反省も贖罪もなしに保身に窮々としている私を含めて……。私は名刺入れの中から日本新聞会が発行した登録記者証を取り出して破り捨てる。
 朝日が 『英霊にわびる』 というシリーズものを連載している。その中の吉川英治が書いた 『慙愧の念で胸さく』 を読み、新聞人の戦争責任についてとつおいつ考えつづけると、布団の上を三転五転して眠れない。」
「8月30日 (木) 曇り、ときどきにわか雨。
 東久邇首相が記者団との会見で 『一億国民はすべて懺悔しなければならない』 と発言したことが戦争責任を国民に分散させ、うやむやに葬り去ろうとするものだとして話題になる。……
『日本人に総懺悔するほどの余裕などあるものか。国民はそれどころか一億総餓死しようとしているのに……。とくに広島の市民は総討死に追い込まれ総ぼけしとる。指揮者が責任を霧消させようとする口実だよ』
 と歌橋君がいうと、佐伯君がそれにつづける。
『われわれを国家総動員法で身動きできないほど縛り上げたうえ、馬のように目隠しをして、一億火の玉になれと号令をかけて一直線に走らせた指揮者はだれだ。その馬に懺悔しろなど、何と虫のいいことをいう指揮者だ。それを批判しないジャーナリストは敗戦の虚脱でふ抜けになってしもうたんじゃないか。英霊にわびるくらいですむ問題じゃあない』
 私も1週間前の県議会議員の打って変った姿を思い出しながら話す。
『われわれが総懺悔論に反発するのもこの間の議員諸公が憤懣を県の理事者へぶっつけたのも、その相手は同じだよ。しかし目標がはっきりしないので、手近なところに対象を見つけて、やりようのない気持を発散させとるんじゃないのかな。ぼくはこの間から戦争責任の問題を深刻に考えとるが、どうも今度の戦争を起こした源流にまでさかのぼって反省し直す必要があるんじゃないかと思う。明治以来の軍閥やそれに加担した政治屋、財閥、官僚が上流で日本という大河を汚染させてしまっていたことをだ……』


 9月21日、GHGは 「日本に与える新聞紙法」 (プレス・コード) を指示します。同法は “自由な新聞の持つ責任とその意味を日本の新聞に教えるためのもの” で新聞以外のあらゆる刊行物にも適用されます。10カ条から成っており “連合軍にたいし破壊的な批判を加えたり同軍に不信もしくは怨恨をまねくようなことこと” “連合軍の動静” “公安を害するようなこと” などの報道を禁じています。

 実際の中国新聞の基本的な論調は 「広島の復興」 で、プレスコードが解除になっても原爆被害の実態や悲惨さを伝える記事は多くありませんでした。
 そのような状況を変えたのが54年3月1日のビキニ環礁での第5福竜丸が死の灰を浴びた事件でした。
 金井利博記者は、原爆を落とされた側の広島が人類に与えることができるのは落とされた現実の報告とそれに基づく忠告であるという視点に立ち紙面づくりを始めます。金井の指導を受けた若い記者も、在韓被爆者問題、沖縄の被爆者問題、被爆小頭症の問題など様々な問題を 「『人間』 の側から核兵器の問題見ていくという視点」 から原爆被害の記事を書き続けました。
 この取り組みはさまざまな集会で呼びかけられます。金井記者は1964年に開催された第10回原水爆禁止世界大会で呼びかけました。分裂含みの大会です。
原爆は威力として知られたか。人間的悲惨として知られたか。」 「世界に知られているヒロシマ、ナガサキは、原爆の威力についてであり、原爆の被害の人間的悲惨についてでは」 ない。この広島での大会を主催する広島、長崎、静岡の 「三県連絡会議が単なる社会党、総評、親ソ路線に極限された平和運動でなく、もっと広く日本人の大衆的国民運動として幅広く盛り上がるためには、広島、長崎、あるいは焼津の原体験が、はたして十分に世界に知られているかどうか、どういう基礎的事実にもっと注目してよいのではないでしょうか。水爆に比べて、もはや広島型爆弾は威力ではなくなったとされ、その人間的悲惨は国際的に無視され、あるいは忘れられつつあるのではないでしょうか。平和の敵を明らかにする論争のなかで、まず被爆の原体験を国際的に告知する基礎的な努力がなおざりにされてはいないか」、そこで 「今、広島、長崎の被爆者が、その死亡者と生存者とを含めて心から願うことは、その原爆の威力についてではなく、その被災の人間的悲惨について、世界中の人に周知徹底させることである」

「原爆は威力として知られたか。人間的悲惨として知られたか。」
 このあくまで原爆被害を被爆者の立場に立って捉えなおそうという呼びかけは、その後の中国新聞の報道姿勢になっています。

 1995年8月6日、中国新聞労働組合は、原爆投下50年目を検証する8ページの 「ヒロシマ新聞」 を発行しました。
 題字の下には次のように書かれています。
「この新聞は、原爆投下で発行できなかった1945年8月7日付の新聞を、現在の視点で取材、編集したものです。被爆50周年に、一日も早い核兵器廃絶を願って製作、発行しました。」
 社説には訴えます。
惨状を前に、原子爆弾を投下した者に対する憎しみはわき起こる。しかし圧倒的な被害を前にして思う。憎悪による復讐は人類を滅ぼすことにつながるだけだ。この爆弾は、アメリカが日本に落としたものでなく、人類が人類に落とした兵器、そして歴史として刻まれるべきだ。
 私たちは、本日ここで起こっているできごとを多くの人に知らせなければならない。国境を越えて世界のあらゆる人々に知らせなければならない。時を超えて後の世のすべての人々にも広く知らせなければならない。
 死と破壊の惨状と、地獄の町に身を置いている者の体験を永遠に伝え続けていく。」



 日本政府は今年7月の核兵器禁止条約の採択に参加しませんでした。
 悲惨な体験はヒロシマ、ナガサキだけではまだ足りないのでしょうか。
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「まず自分を守ること。自分を守れてはじめて他の人も助けられる」
2017/08/01(Tue)
 8月1日 (火)

 地球の温暖化のせいなのかはわかりませんが異常気象がつづいています。
 7月5日、福岡、大分県を襲った九州北部豪雨は土砂崩れも発生し36人の死者をだしました。追い打ちをかけるように台風が襲いました。
 6日、大分県日田市では警戒活動に従事していた消防団員が土砂崩れに遭いました。地域を回って周囲に避難を呼び掛け高齢者を避難所に運ぶなどの活動をしていました。いったんは公民館に避難しましたが被害の状況を確認しようとして出かけました。

 5月4日、横浜市で、消防団員のあり方を考えるシンポジウムが開催されました。東日本大震災のときに岩手県宮古市田老地区での救援活動で指揮をとった2人の消防団員が報告をしました。
 教訓として 「逃げることは恥ずかしくはない。生き抜くことがいかに大切か」 「津波のときにはとにかく自分の身を守るということが大前提。自分を守らなければ、人は助けられない」 と語りました。
 そして心身の疲弊を懸念し、交代で休みを取れるよう特別な部隊編成に見直すとともに、臨床心理の専門家によるストレスチェックを受けられるよう消防署と掛け合ったことも披瀝しました。
 東日本大震災では、地震が発生すると消防団員は水門を閉めに海のほうに走った、地域住民に避難をよびかけてまわった、1人では避難できない住民と一緒に避難をして波に巻き込まれたなどの話をたくさん聞きます。250人の消防団員が亡くなっています。

 東日本大震災のあと消防団のあり方の議論が進んでいます。そして消防団員だけでなく防災の議論も進んでいます。
 15年3月20日の 「活動報告」 の再録です。
「『階上中学校といえば 「防災教育」 といわれ 内外から高く評価され 十分な訓練もしていた私たちでした。』
 しかし東日本大震災で3人の卒業予定者を亡くしてしまいました。
 階上中学校では震災前は3年間の間に 『自助』 『共助』 『公助』 のサイクルで防災訓練を行ってきたといいます。
 震災を経て防災教育の見直しをしました。何よりも自分の命を確実に守ること、それが多くの人の命を守ることになるという確認をしました。その結果、『自助』 『自助・共助』 『自助・公助』 のサイクルで、『自助』 を基盤にした防災学習に変えました。
 「とにかく自分の身を守る。自分を守らなければ、人は助けられない」 です。

 東日本大震災のとき、消防団員は震災後も避難所の運営などにたずさわりました。
 全国から駆け付けた救援部隊による捜索活動には地元の地理と状況を知っているということで水先案内もおこないました。捜索活動は知っている方の遺体にもであいました。しかしたずさわっている任務が優先です。個人的行動は後回しです。
 このようなことは今回の災害においてもそうだったと思われます。しかし救援活動にたずさわる人たちもくれぐれも 『自助』 『自助・共助』 『自助・公助』 を心にとめてほしいと思います。


 朝日新聞は 「てんでんこ 皇室と震災」 を連載しました。その6月6日の記事です。
「陸上自衛隊東北方面総監の君塚栄治さん (15年死去) は宮城県東松島市の松島基地で両陛下を迎えた。
 かつて君塚さんに取材したとき、印象深かった話がある。『遺体の扱い』 だ。3月14日に被災地の陸海軍の統合任務部隊指揮官に任命された際、当時の北沢俊美防衛相 (79) に 『ご遺体は生きている人と同じように、丁寧に扱ってください』 と言われたという。
 君塚さんは大臣の言葉を部下に伝えるにあたり 『自分の家族と同じように』 と言い換えた。『被災地の現場に行くのは18歳から20歳の若者。身近に死体を見る経験もない隊員たちにもわかるように説明する必要があった』」

 防衛相の発言は間違いで危険です。
 この発言のテレビニュースを消防団員の方と一緒に見ていました。
 彼は間髪を容れずに 「この対応は間違い」 と叫びました。「ご遺体は生きている人と同じように、丁寧に扱ってください」 の対応をしていたら、救援者は持ちません。
 防衛相は背広組ですから実際の対応方法がわからないこともあります。しかし制服組の幹部も同じ発言をするとは驚きです。消防団では周知されていることを自衛隊では幹部が知りません。

 11年4月22日の 「活動報告」 の再録です。
「米軍の制服組を養成する学校には遺体を扱うときの留意事項が列挙されたマニュアルがあります。『遺体が救援者に引き起こす気持ちの変化:救援者向けパンフレット』 として防衛医科大学の医師が翻訳しています。日本でも消防庁では活用されています。(加藤寛著『消防士を救え!』 東京法令出版刊)
 しかし、自衛隊では救援活動は本来の任務でないということからかあまり活用されていないのでしょうか。軍としての 「殺す」 という任務は側面で 「殺される」 ということも覚悟していると思われますが。
 パンフレットを紹介します。
 【基本的な心構え】
 ・業務の目的を忘れないでください。そして、それを見失わないようにして下さい。
 ・業務前に「心の準備」をすることは簡単ではありません。そのため、業務内容で何が求められ
  ているのか、可能な限り事前に知ることが大切です。また、同じような経験をした同僚から話
  を聞くことも大切です。
 ・休息をこまめにとり、衛生を保ち、食事と水分をしっかり摂って下さい。
 ・業務外の時間では、心身ともに休んでください。
 【遺体への接し方】
 ・遺体に接する時間は必要最小限にして下さい。そして、ほかの人にも必要以上に見せないように、
  敷居、カーテン、パーティーション、カバー、袋などを用いて下さい。
  業務中は、防御服・手袋を着用し、二次感染の危険性を減らしてください。
 ・特定の遺体に集中しすぎないようにして下さい。自分が強い気持ちを抱きやすい遺体には、
  特に注意が必要です。
 ・遺体はあくまでの遺体であって、もう生きてはいないことを、自分の中で言い聞かせてみるのも
  一法です。これは、必要以上に気持ちが流されないためなので、業務終了後、そのような距離感を
  取ったことに対して、決して自分自身を責めないでください。
 ・遺体の近くにある遺留品は、身元確認のために重要であり、遺族にとって大切な所持品です。扱い
  には注意を払ってください。しかし遺留品への必要以上な執着は、あなたの気持ちを必要以上に
  つらくしますので、注意が必要です。
 ・臭いを消すための香水や香料は、業務体験とともに後々の記憶に (悪い形で) 残してしまうことが
  ありますので、使用にあたっては注意が必要です。」
 自衛隊では 「まず自分の身を守ること。自分を守れてはじめて他の人も助けられる」 の 「まず自分を守ること」 が組織的に行なわれていません。

 そして今回の朝日新聞の記事を見て思うのは、このような記事を何のためらいもなく載せるということは、救援活動ではなくても現場に駆けつけることがある新聞記者自身と新聞社においても 「まず自分を守ること」 の必要性が理解・周知されていないことがうかがわれることです。いつか新聞社そのものが深刻な事態に陥る危険性があります。


 雑誌 「トラウマティック・ストレス」 の13年12月号に東日本大震災の経験について防衛大学の医師らが共同で 「自衛隊における惨事ストレス対策―東日本大震災における災害派遣の経験から―」 を寄稿しています。
「東日本大震災では、自衛隊史上最大の災害派遣規模に加え、遺体関連業務や被爆関連業務が多くの隊員が関わることになったため、発災当初、『メンタルヘルスの問題を抱える隊員が大量に生じるのでは?』 と懸念されたのが正直なところである。しかし、これまでのところ、そうした事象は確認されていない。
 PTSDの症状は心的外傷性体験した多くの隊員で観察されたが、それは一時的なもので、多くは数日、残りのほとんども数週間で自然消退した。PTSDの診断基準を満たす症状を有し、それが1か月以上続き、診断に至った隊員も若干名いたが、数カ月の治療で軽快、寛解しており、精神障害として重症化した事例は現時点では認められていない。……
 長期フォローアップのスクリーニングについても、カットオフポイント以上を示した隊員は数%のみであり、そのほとんどが上司との面談、心理職によるカウンセリングにより改善もしくは経過観察となっており、医療機関に受診となった例はわずかであった。結果的に、2011年の自衛隊全体の精神科受診患者数は、例年と変わらない数に留まっている。
 今回の災害派遣では、任務の中に隊員に心的外傷をもたらす体験があったことは間違いないと思われるが、幸い私たちが懸念していたような事態には至らなかった。」

 誤った指示をうけても大きな影響が出ていません。信じられない報告です。結論先にありきの報告なのかもしれません。教訓をくんで生かそうとしていません。このような報告を信じて対処していたら次には大変な事態が発生します。
 自衛隊員の対応は正直に答えたら不利益が生まれるなどの何らかのバイアスがかかっていると思われます。それは自衛隊が持つ体質からきています。東日本大震災の直後、派遣された部隊から逃亡した自衛隊員がいました。派遣を回避するため事件を起こした自衛隊員がいました。彼はその後どうなったのでしょうか。派遣後に自殺した隊員もいます。(16年3月9日の 「活動報告」)
 「とにかく自分の身を守ること」 を周知しないで 「他の人も助けられる」 任務を遂行できません。
 自衛隊は隊員を大事にしていません。

 自衛隊にとっては自衛隊法に救援活動は任務と謳ってあるといっても本来の任務ではありません。不得手な部隊に押し付けると無理・無駄が生まれます。国としては早期に専門の 「災害救助隊」 のような組織を創設すべきです。

   「軍隊の惨事ストレス対策」
   「心のケア」
   「活動報告」 2016.3.9
   「活動報告」 2015.3.20
  当センター「いじめメンタルヘルス労働者支援センター」ホームページ・ご相談はこちらから
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当たり前の生活ができる最賃に
2017/07/28(Fri)
 7月28日 (金)

 厚生労働相の諮問機関である中央最低賃金審議会の小委員会は25日夜、2017年度の最低賃金 (時給) の引き上げ額について、全国の加重平均で25円・3%上げるべきだとの目安をまとめました。現在の全国平均は823円です。実現すれば全国平均は848円になります。
 安倍政権は 「1億総活躍プラン」 で、毎年3%引き上げて全国平均1000円とする目標を掲げ、賃上げで景気浮揚を狙っています。今年3月にまとめた「働き方改革実行計画」にも同じ目標を明記しています。政府は企業への賃上げの呼びかけを続け、2020年までに「1000円」に引き上げることを目指しています。
 今年も物価や所得水準などの指標をもとに都道府県をA~Dの4ランクに分け、ランクごとに目安額が提示されまし。東京など大都市部のAランクは26円。Bは25円、Cは24円、Dは22円。この目安を参考に都道府県ごとに引き上げ額を決め、秋以降に順次改定されます。現在の最高は東京都の932円で、最低は沖縄の714円です。

 厚労省は、第2回の小委員会に資料を提出しました。今年の春闘の連合における妥結状況と高校卒の決定初任給です。
 連合調査の非正規労働者の春闘妥結状況は、時給の値上げ額は、単純平均は20.46円、平均時給965.13円、加重平均は21.29円、平均時給952.18円です。
 労務行政研究所による東証第1部上場企業と生命保険、新聞、出版でこれに匹敵する大手企業を調査対象にした高校卒の決定初任給は、事務・技術職一律166.231円、現業167.759円です。
 1か月の労働時間を8時間×21.75日 ((365日-104日) ÷12ヶ月) =174時間として計算すると
 平均時給965.13円×174時間=167.932円です。
 高校卒の決定初任給とほぼ同じ額になります。
 つまりは、非正規労働者の賃金は年齢や経験年数に関係なく高校卒の初任給とほぼ同じ額になります。
 しかし非正規労働者の賃金965.13円は労働組合に組織された労働者の平均で、最高の東京都よりも高い額です。これを非正規労働者の実態とみることはできません。
 最低賃金は都道府県によるばらつきのなかで各ランクのギリギリの賃金で働いている労働者も大勢います。


 海外ではすでに19世紀後半から最低賃金に関する法律が制定されます。
 理由は、賃金は労使の交渉によって決定されるべきで国家が介入すべきではないが、そうすると組織されていない労働者や家庭内労働などの労働者が低賃金のままに置かれるという事で該当しないということで最低賃金の決定機関が必要という声が大きくなっていきます。
 1928年、ILOは26号条約 「最低賃金決定制度の創設に関する条約」 を批准します。条約は、「団体協約その他の方法によって賃金をきめる制度が存在しない、あるいは賃金が非常に低い職業に従事する労働者を保護するため、最低賃金率をきめる制度を作ることを目的とした条約である。」 を目的としています。

 1970年、ILOは131号条約 「開発途上にある国を特に考慮した最低賃金の決定に関する条約」 を採択します。
 条約の目的は、
「最低賃金については、1928年の最低賃金決定制度条約 (第26号) や1951年の最低賃金決定制度 (農業) 条約 (第99号) があり、重要な役割を果たしてきた。しかし、第26号条約は賃金が非常に低い限られた産業や業種だけを対象にしたものであった。そこで、一般的に適用されるが、発展途上国のニーズを特に考慮した新たな条約を採択する時期がきたとして、本条約が採択された」
です。 規定としては
「この条約の批准国は、雇用条件に照らして対象とすることが適当な賃金労働者のすべての集団に適用される最低賃金を決定し、かつ随時調整できる制度を設置する。制度の対象集団の決定は権限ある機関が、関係のある代表的労使団体と合意または十分に協議して行う。
 最低賃金水準の決定にあたり考慮すべき要素には、可能かつ適当である限り、次のものを含む。
 1.労働者と家族の必要であって国内の一般的賃金水準、生計費、社会保障給付及び他の社会
  的集団の相対的生活水準を考慮したもの
 2.経済的要素(経済発展上の要請、生産性水準並びに高水準の雇用を達成・維持する必要性を含む)
  最低賃金制度の設置、運用及び修正に関連して、関係ある代表的な労使団体と十分協議する。」
です。
 日本の最賃制度は最賃とはいえません。


 終戦後、戦争中の賃金統制令がずっと残っていました。廃止されたのが昭和46年9月です。給与審議会ができますが、インフレと最低賃金の関係、公務員の賃金に適用したら財政にどういう影響を与えるか、最低賃金を決めるとしたら最低にするのか、標準にするのか、そういう議論が中心に議論がおこなわれます。しかし片山内閣のときの新物価体系による公定価格に入れる業種別平均賃金が出てきると、この議論は終わってしまいます。
 47年9月に労働基準法が施行されます。労働基準法の中に賃金委員会の規定があり、賃金委員会で最低賃金を審議することができる、その審議会に基づいて労働大臣が最低賃金を決めることができるという条文が入っていました。
 しかしGHQは、インフレで混乱している時期には最低賃金をやるのはあまり適当でないという意見を出したりしたこともあり、基準法ができたのですが、賃金委員会の条文だけは適用されませんでした。
 48年、経済9原則でインフレが収束すると最低賃金をそろそろ検討すべきではないかという意見がだされて50年に労働基準法および賃金審査会令による中央賃金審査会ができます。しかしその後も何段階かの議論をへます。

 戦後の賃金要求は生活給から始まりますが、能力給が登場し、毎年の賃金増が続くと産業間、企業間、さらに企業内においても個人間に格差が顕著になり、労使ともの課題になります。生活給的要素と能力給的要素をどう調和させるかが、最低補償的な要素を賃金制度の中でどう捉えるかが問題になります。
 総評は57年、「産業別最低賃金保障」 をうち出しますが中味は各企業でばらばらです。例えば、私鉄は年齢別最低補償・最低賃金18歳〇〇の要求で、おおよそ年齢30歳、勤続10年、扶養家族3人の基準時点に対する最低賃金を柱にして、年齢係数、勤続係数、経験係数、職格係数等を計算要素とした生活給賃金を要求しました。
 しかし中小企業などは置き去りになっていました。
 このようななかで最低賃金法制定の要求が大きくなり、57年5月に中央賃金審査会が再開され、59年、最初の最低賃金法が成立します。しかし業者間協定による最低賃金を認めていました。これはILO26条の決定機関に関する条項に抵触します。
 その後、ILOの国際労働基準を守れという労働組合の運動によってやっと1968年に最低賃金法が改正され、業者間協定は廃止されました。


 2007年11月28日、最低賃金法が改正されました。ワーキングプア解消を目指すため最低賃金を決める際、「生活保護に係る施策との整合性に配慮する」ことを明記し、9条には「労働者が健康で文化的な最低限度の生活を営むことができるよう」 との文言も加えられました。
 この流れは、2009年に民主党政権になると加速しました。翌年、2010年6月に策定された政府の 「新成長戦略」 では、民主党のマニフェストに沿って、「最低賃金について、できる限り早期に全国最低800円を確保し、景気状況に配慮しつつ、全国平均1000円を目指す」 ことが決められ、2020年までに達成すべき最低賃金の水準として 「全国最低800円、全国平均1000円」 という目標が設定されました。
 これでも正規労働者と比べたら6割くらいの水準です。


 高卒初任給、現在の非正規労働者の平均時給、そして生活保護はほぼ同じ水準です。
 高卒初任給は、家族と生計を一緒にするか、会社の寮などに入った時に維持できる生活費です。独立して生計を維持できるものではありません。非正規労働者も同じです。ましてや非正規労働者が一家の大黒柱であったり、扶養家族を抱えている場合は生計が成り立ちません。
 それでも 「生活保護に係る施策との整合性に配慮する」 ということは、働いている者の方が働いていない者の収入を上回るということでしかありません。
 フランスでは生活困窮者への扶助は 「積極的連帯所得手当」 ととらえられ、世代をこえてだれでも生活困窮者に陥る可能性がある、そこから這い上がるための支援も必要という “持ちつ持たれる” の共通認識があります。
 しかし日本では生活困窮者にも自己責任・自助努力を強制し、そこから這い上がることも困難にしています。日本の社会福祉政策の貧困さが最低賃金の水準も決定しています。

 現在の非正規労働者の平均時給965.13円が1000円になったとしてもILO条約の 「1.労働者と家族の必要であって国内の一般的賃金水準、生計費、社会保障給付及び他の社会的集団の相対的生活水準を考慮したもの や2.経済的要素(経済発展上の要請、生産性水準並びに高水準の雇用を達成・維持する必要性を含む)」 といえるものにはなりません。
 憲法第二十五条で保障されている 「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。○2 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。」 は、最低賃金法にはおよびません。
 その結果、生活を抱える非正規労働者はダブルジョブ、トリプルジョブをおこなわざるをえず、必然的に長時間労働を強いられています。


 最低賃金法の議論が起きると必ずでてくる主張があります。
 1つは、中小企業は人員削減をおこなわなければならないか潰れてしまうというものです。しかし中小企業のためにそこで働く労働者は我慢しなければならないのでしょうか。現在ばらまかれている雇用に関するさまざまな補助金はそのようなものにこそ優先して給付される必要があります。
 もう1つは、生活費補てんのために働く主婦パートの時給はそう高くなくてもいいのでは、賃上げを望まない人もいるというものです。その人たちは働く時間を短くすればいいのです。
 3つ目は、正規職員の本音で、高くすると正規労働者の賃金に影響が出てくるというものです。時代錯誤と言える主張ですが、使用者が賃金を抑える理由として公然と登場し、正規と非正規労働者の分断をはかります。

 最近は 「今すぐ時給1500円」 の要求が掲げられています。
 年収では年間労働時間2000時間として、1500円×2000時間=300万円です。
 これでも労働者の平均年収の8割にもなりません。
 本来の“働きかた改革”はこのようなことにもメスが入るものでなければなりません。

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連合 「勝手に決めるな!」
2017/07/25(Tue)
 7月25日 (火)

 7月13日、連合の神津会長は安部首相と会談し、これまで反対の姿勢を表明してきた 「高度プロフェッショナル制度」 の創設を条件付きで容認する姿勢を表明したことを明らかにしました。そして3月ころから水面下で政府と交渉をつづけてきていたことも明らかにしました。
 「高度プロフェッショナル制度」 はいわゆる 「残業代ゼロ法案」 です (2015年2月17日の 「活動報告」 参照)。労基法を改正する法案は2015年4月に国会に提出されましたがこれまで一度も審議がおこなわれていません。

 労働政策にかんする決定・変更には必要な手続きとして政・労・使で構成される労働政策審議会での議論が必要です。
 「高度プロフェッショナル制度」 に関する労働政策審議会の建議は2015年2月13日に 「今後の労働時間法制等の在り方について (報告)」 として行われました。報告書から 「高度プロフェッショナル制度」 に関する部分を抜粋します。
「4 特定高度専門業務・成果型労働制 (高度プロフェッショナル制度) の創設
 時間ではなく成果で評価される働き方を希望する労働者のニーズに応え、その意欲や能力を十分に発揮できるようにするため、一定の年収要件を満たし、職務の範囲が明確で高度な職業能力を有する労働者を対象として、長時間労働を防止するための措置を講じつつ、時間外・休日労働協定の締結や時間外・休日・深夜の割増賃金の支払義務等の適用を除外した労働時間制度の新たな選択肢として、特定高度専門業務・成果型労働制 (高度プロフェッショナル制度) を設けることが適当である。
 なお、使用者代表委員から、高度プロフェッショナル制度は、経済活力の源泉であるイノベーションとグローバリゼーションを担う高い専門能力を有する労働者に対し、健康・福祉確保措置を講じつつ、メリハリのある効率的な働き方を実現するなど、多様な働き方の選択肢を用意するものである。労働者の一層の能力発揮と生産性の向上を通じた企業の競争力とわが国経済の持続的発展に繋がることが期待でき、幅広い労働者が対象となることが望ましいとの意見があった。
 また、労働者代表委員から、高度プロフェッショナル制度について、既に柔軟な働き方を可能とする他の制度が存在し、現行制度のもとでも成果と報酬を連動させることは十分可能であり現に実施されていること及び長時間労働となるおそれがあること等から新たな制度の創設は認められないとの意見があった。」
 労働者代表委員からは高度プロフェッショナル制度は認められないという意見が述べられたと明記されています。連合会長は 「方針転換ではない」 と力説しますがどう見ても大きな方向転換です。
 連合会長の容認の表明は労政審を否定し、「建議」 を愚弄し、実質的法改正の内容を国会以外で決定するものです。これまでも労政審は 「政・使・使」 で構成されていると揶揄されてきましたがそれをも飛び越えています。


 長時間労働を合法化する動きはこれまでもありました。
 98年9月25日、男女雇用均等法と労働基準法が改正されました。均等法では男女差別禁止の強化がはかられましたが、引き換えに女性労働者に対する時間外労働、休日労働、深夜労働の規制などが撤廃された。時間外労働、転勤などを了承して男性並に働く女性労働者については男性と同じような処遇をするチャンスを与えるというものです。
 法改正で労働時間についての規制が撤廃されたといえる状況になりました。使用者はやり放題です。この中で労働者に成果主義賃金制度、ノルマ・評価制度が導入されます。
 法改正に際して全国で反対運動が盛り上がり、連日反対する労働者と労働組合は国会を包囲し、労働省前で抗議行動を続けました。
 今捉え返すと、この時に労働者と労働組合は女性労働者と同じように男性労働者の労働時間規制の対案を出して長時間労働の問題提起をすべきでした。

 2005年6月21日に日本経団連が 「ホワイトカラーエグゼンプションに関する提言」 を発表すると反対運動が盛り上がりました。同時に、合わせて行われようとした労働契約法の制定についても議論がまき起こりました。労働契約法案は現在の内容とは大きく違います。
 「ホワイトカラーエグゼンプション」 導入は労基法改正によってです。当時の労働契約法案反対の意見は、労基法を改正して盛り込めはいい項目をなぜ新たな法律として独立させるのかということでした。労働契約法で労使の契約・労働条件が 「民民契約」 として個別的に決定されていくと強制法規である労基法、労働組合法が持つ集団的労使関係が否定されてしまう危険性を指摘したものです。そのなかでホワイトカラーエグゼンプションが導入され、その条件である年収基準がどんどん下がっていったら労基法は機能しなくなることを危惧しました。
 このような労働法制の流れを見るなら、ホワイトカラーイグゼンプションの導入は、単に 「残業代ゼロ」、過労死が増大するという問題だけではありません。それまでの労使関係が崩壊し、労働者の働き方 (働かされ方)、労働に対する価値観を強制的に変革させられて、会社と一体化してがむしゃらに働く労働者群を作り出す労働者群を作り出そうとするものでした。
 ホワイトカラーエグゼンプションに対して労働者と労働組合は 「残業代ゼロ」 のスローガンを掲げて反対の声を大きくして阻止しました。同時に労働契約法案も大きく修正させました。しかしこれ以降、労働時間短縮の闘争は取り組まれず、長時間労働・ 「過労死」 の問題は忘れられて放置されたままでした。
 今捉え返すと、この時に労働者と労働組合は 「残業代ゼロ」 ではなく、「残業ゼロ」 の対案と 「ワーク・ライフ・バランス」 を問題提起すべきでした。
 
 政府が推し進めてきた “働きかた改革” は、ホワイトカラーイグゼンプションの焼き直しをした変化球による攻撃でした。しかし “働きかた改革” の議論の最中にも過労死が起きています。長時間労働・過労死の問題は、全国過労死を考える家族の会の闘いなどで社会問題として取り上げられるようになってきました。
 電通でおきた過労自殺に労働組合も連合にも自分たちの仲間が殺されたという自覚がありません。もしかしたら仲間とすら思っていないのかもしれません。今の連合にとって仲間は 「政」 であり 「使」 なのです。過労自殺にたいして労働組合は会社の共犯者です。仲間というよりは今はやりの言葉でいうなら 「お友達政・労」 です

 連合についての評価は発足当時からさまざまに分かれます。労使協調路線に純化した、経済界のふところに抱え込まれた、発足時はそう思われなくても遅かれ早かれ戦時中の 「産業報国会」 の二の舞になるなどなど。
 今回、会社と一体化してがむしゃらに働く労働者群を作り出すことを容認するということでは 「産業報国会」 を連想させます。今、政治が戦前回帰していますが、労働組合も巻き込まれています。すでに 「産業戦士」 ならぬ 「企業戦士」 の多くが過労死してきました。また 「官製春闘」 になんの恥じらいも感じません。
 ユニオンショップで組合員を強制的に加盟させている企業内労働組合の集まりである連合は、政府や経済界がお墨付きを与えられたからといって労働者の代表とはよべません。


 労働条件を規制するには2つの方法があります。1つは国が法律によって。2つ目は労働組合の力です。しかし日本では2つともあてになりません。そして今回の連合神津会長と安倍首相との会談はそのどちらでもありません。
 今回の会談が明らかになると、連合本部まえで抗議行動を行なう労働組合があらわれていました。労働者にとっては必死の思いです。連合はその思いと乖離しています。

 それにしても連合という組織の運営方法、民主主義にも驚かされます。組織としての合意がいとも簡単に反故にされています。代表が必要だと思ったら運動方針を勝手に変更することが許されるのでしょうか。傘下の労働組合は諮問機関なのでしょうか。民主主義が存在しません。
 しかし会長の独走も “諮問機関” は承認するという判断があったからおこなわれたのです。なめられています。

 イギリスのシドニー・ウエッブの 『産業民主制論』 には、民主化という言葉に2通りの意味があるとあります。東大学長だった大河内一男は終戦直後の労働組合の状況についてインタビューに答えていますが、そこで 『産業民主制論』 について触れています。
「『組合民主主義』 の問題というのが日本ではあまり検討されなさ過ぎているのではないかという感じが、ぼくには非常に強かったのです。たとえば民主主義の労働組合運動というと、いつも指導者が政府や経営者を相手に派手に闘争するんだというような、外を向いて相手と闘争する組合の姿だけが話題になってしまう。
 これに対して、組合内部が、1つの組織体として、近代的にどれだけ民主化されているのか、団体としての意思決定はどのように行なわれるのか、それがどう執行され、誰が何に対して責任をもつのか、さらに組合の役員はどういうふうにして選出されるのか、組合の財政はどう民主的に運営されているのか、そういった組合内部のガバナンス面と、あるいは内部統制の面は、日本ではどうも関心がもたれなさすぎるのではないか、そう思った。労働組合というものは、外に向かっては闘争体であるとともに、内に向かっては1つの経営体でなければならないのですが、その点の重要性は、ウエッブが強調していたほどには日本では誰も感得していないのではなかったでしょうか。」 (『大河内一男 社会政策四十一年 記憶と意見』 東京大学出版会 1970年) 

 労働組合は時には交渉相手に持っている力以上に強がる必要もあります。かつての春闘ではトップ交渉に力点が置かれ、対等な立場で交渉ができることを労使の民主主義ととらえられました。その時には一糸乱れぬ姿勢を示すことが必要です。そのなかで多様な意見は吸収されずに抑圧されていきます。それを団結と呼びました。
 トップ交渉に力を入れる裏側で、下部での戦いはおろそかにされ、労働組合の力は奪われて空洞化していきました。ますます上意下達の組織となります。
 しかし本当の強さは職場での日常的闘い、そこで醸し出される知恵、想像力などによる工夫などと成果の共有です。それが忘れ去られました。
 日常的闘いと監視がないと 「政」 と 「使」 にからみとられます。労働組合の力は数ではありません。


 今回の 「事件」 を契機に組合民主主義というものを連合傘下の労働組合だけでなく点検してみる必要があります。
 かつてホワイトカラーエグゼンプションの導入を阻止したのは連合の力ではありません。全国のどこにも組織されていない小さな労働組合・ユニオンや個人の労働者、市民の怒りが一つになって勝ち取ったものです。
 もう一度そのような力を 「政」 「使」 だけでなく連合にも見せつけるときがきました。

   「活動報告」 2017.7.11
   「活動報告」 2015.2.17
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韓国 2010年~14年 労災と認めたられた自殺は59件
2017/07/20(Thu)
 7月20日 (木)

 韓国での精神疾患の労災認定についての動向が新聞に載りました。日本と共通の課題を抱えています。

 7月16日のハンギョレ新聞は 「労災の可否、当事者の立場から判断してください」 の見出し記事を載せています。
 自殺も労災と認められます。ただし越えなければならない峠が数多くあります。
 労災の 「業務上の災害」 とは業務上の事由による労働者の負傷・疾病・障害または死亡を意味します。したがって自殺が業務上災害と認められるには、業務と自殺の間に相当な因果関係がなければなりません。労災保険法37条2項は 「労働者の故意・自害やそれが原因となって発生した死亡は業務上災害と見なさない」 と規定しています。基本的に自殺は業務上災害と見なしません。
ただし同じ条項で「その死亡が正常な認識能力等が明らかに低下した状態で行なった行為により発生した場合で、大統領令に定める事由があれば、業務上の災害と見なす」と例外規定を置いています。これによって労災保険法施行令36条は 「業務上の事由による精神的異常状態」 で自害したということが医学的に認められる場合などは業務上災害と見なされます。

 2010年から14年までの5年間、勤労福祉公団が自殺を業務上災害と認めた事例は遺族の申請190件中59件 (31.1%) に過ぎませんでした。これらの事件で勤労福祉公団は 「個人的要因の方が大きい」、「職場を持つ一般の人が耐えられる程度だった」、「ストレスの内容が自殺を誘発するほどに過度なものではない」 などの理由で遺族給与支給を拒否していました。
 クォン・ドンヒ労務士 (法律事務所 「明日」 所属) は 「勤労福祉公団で自殺事件を審議する際、精神健康医学と医者の医学的判断が重要な判断基準となる。医学的判断はどうしても業務上の構造的問題より労働者個人の問題に集中して見るという限界があり、業務上災害の認定がなされにくい」 と言っています。
 それに対し公団の統計によれば、公団の業務上災害不認定に不服があるとして、遺族が訴訟により裁判所から業務上災害確定判決を受けたケースは2010~16年に13件ありました。裁判所はそのような医学的判断より社会的・規範的基準を重要視するので、自殺の業務上災害を勤労福祉公団よりは幅広く認める方だといいます。最高裁の判例は「業務と災害発生の因果関係の有無は医学的・自然科学的に明白に証明されなければならないのではなく、規範的観点から “相当な因果関係” の有無として判断されるべきである」 と明らかにしています。さらに業務と自殺の因果関係に対しても「業務上過労やストレスが疾病の主な発生原因と重なって誘発または悪化し、それによって心身喪失などの状態に陥り自殺に至るようになったものと推断できる場合 “相当な因果関係” がある」という立場です。
 しかし裁判所も、自殺と業務の相当な因果関係を判断する基準が 「社会的な平均人」 なのか 「当事者」 なのかについては明確でなく、議論を生んでいます。最高裁は1991年から 「業務と災害の間の相当な因果関係の有無は、普通の平均人ではなく 『当該労働者』 の健康と身体条件を基準に判断すべきである」 という判例を何回も出していました。
 ところが2008年、最高裁は自殺事件で 「自殺が “社会的な平均人” の立場から到底克服できないような業務上ストレスのためでなければ “相当な因果関係” を認めることはできない」 と判断しました。この判例によって下級審では “社会的な平均人” の立場から見て自殺するほどのストレスを受けたものではないとして、自殺を業務上災害と認めない判決が続きました。
 しかしこのような判決に対し、当の最高裁が “個人的特性” をさらに考慮せよという趣旨で破棄した事例も2015年に確認されたものだけで6件あります。
 クォン労務士は 「最高裁が自殺と業務の因果関係の基準を “社会的な平均人” なのか “当事者” なのか明確にしないでいるため、混乱をきたしている。他の業務上災害認定基準と同様に、自殺事件も “当事者” の立場で判断すべきだ」 と指摘します。


 7月10日付のハンギョレ新聞は 「精神疾患そして業務上災害…自殺ではない、それは労災だった 2000年~2016年に労災判決を受けた自殺・精神疾患21件の分析」 の見出し記事を載せています。
 法律は労働者の身体的健康だけでなく精神的健康も保護されるべき対象として規定していますが、現実ではストレスなどによる自殺と精神疾患の労災認定は容易ではありません。
 ハンギョレ新聞は、クォン・ドンヒ労務士とともに、2000年から16年まで裁判所で業務上災害と確定した21件の自殺・精神疾患の判決文を分析しました。

 ■ 「業務変化」 がストレスの1位
 労働者が自殺するあるいは精神疾患にかかる理由は1つだけでは説明できません。そのため判決文に登場する多くの職場ストレスの原因のうち 「業務変化」 がとりわけ多く指摘されている点は注目に値します。
 コンドミニアムの総務チームに勤務していたLさんは2009年、一度もやったことのない客室管理を任されました。500を超える客室を維持・管理する業務はLさんにとって不慣れな仕事でしたが、副総支配人は客室の電話機に付いたシールの除去、エアコン点検などを指示し、さらに 「その仕事はそんなに時間がかかるんですか」 と随時督促しました。客室管理業務担当になってからLさんは不眠を訴えたり不安そうな姿まで見せました。2010年8月、Lさんは業務遂行の困難さ、会社の違法な業務処理などを記した遺書を残して亡くなりました。
 大邱 (テグ) 高裁は去年7月 「担当業務の突然の変更、変更された業務による自尊心損傷、ひどい侮辱感と羞恥心を誘発する事件に直面して業務上の深刻なストレスを受け急激な憂鬱症状などが誘発された」 としてLさんの自殺を業務上災害と認めました。

 軍需産業体に勤めていたCさんは軍需観測装備の組み立て・試験を担当していましたが、2012年8月射撃統制班に移った後、大きなストレスを受けて退社まで考えるほど悩みました。結局Cさんは同年10月12日病院に行って 「新しい業務によるストレスが大きく、初めてのプロジェクトを担当して心配でよく眠れず食事もまともに取れない」 と訴えます。適応障害と不安障害診断を受けてから4日目にCさんは自ら命を絶ちました。
 大邱地裁は2014年 「射撃統制班に移動した後、普段扱ったこともなく関連知識もない業務を担当することになり多くの心的負担を感じるようになった」 とし、勤労福祉公団の処分を覆して業務上災害と判断しました。

 ■ 条件・状況を考慮しない 「成果主義」
 通信分野でのみ働いてきたLさんは2010年にIPTV事業部長を務めるようになりました。部署移動の直後から営業損失が発生した上に2012年には市場占有率が下落し、Lさんはすべてが自分の責任に帰される雰囲気の中で 「売り上げ増大」 の圧迫にさいなまれます。そして2012年8月に命を絶ちました。
 ソウル行政裁判所は2015年8月 「LさんはIPTV事業に関する経験が全くない状態で会社の重点事業の売り上げ増大に対して負担を持っており、販売不振が続けば地位が保障されないかも知れないという不安を感じていたものと推断される」 と判断します。

 成果を上げなければならないという圧迫感は、長年やってきた慣れた仕事だからと言って違いはありませんでした。
 ある生命保険会社の支店長だったJさんは一日単位、週単位、月単位で目標対比実績を報告しなければなりませんでした。しかし2013年1~3月まで営業実績が27%下落する中でストレスを受けたJさんは2013年3月に自ら命を絶ちます。
 証券営業などを担当していたSさんも、2011年東日本大地震と世界金融危機の余波で顧客投資金に51億ウォン (約5億円) の損失が生じると 「死をもって償う」 として2011年8月に命を絶ちました。
 記者だったKさんは入社19年目にして初めて社会部に人事異動されると、精神的ストレスで鬱病診断を受けます。Kさんは他の部署に移ったが鬱病は持続し、4大河川特集企画記事を準備する中で2011年9月に極端な選択をしました。
 勤労福祉公団は 「20年間記者生活をした人であり、ストレスは認められるが死亡に繋がるほどの負担ではない」 として業務上災害を認めませんでした。しかしソウル行政裁判所は2014年11月 「4大河川特集企画製作を担当するようになり普段の2倍の分量の仕事を消化するために心的苦痛が加重され、成果を出さなくてはという精神的圧迫感が以前より大きかったと思われる」 として業務上災害不認定の判断を覆しました。

 ■ 「解雇」 は殺人だった
 2009年の整理解雇後死亡した双龍 (サンヨン) 自動車解雇者が28人にのぼり 「解雇は殺人」 だという声が高まったことがありました。高麗大のキム・スンソブ教授研究チームの 「2015年共に生きよう希望研究」 によれば、「過去1年間、鬱および不安障害経験」 のある双龍自動車解雇者の割合 (75.2%) は自動車工場労働者 (1.6%) の47倍に至ります。
 海藻類加工食品業体に勤めていたPさんは、会社と葛藤をきたし2013年3月に解雇通知を受けるや自殺を選びました。社長は防犯カメラで職員の勤務を管理し、社長の頻繁な叱責に一部職員が出勤を拒否して反発しました。社長はPさんが主導したと見てPさんと同僚を解雇した。光州 (クァンジュ) 高裁は2015年 「自分が解雇されたという精神的な衝撃のほかに自分のために同僚まで解雇されたという自責の念まで加わり、耐え難いストレスを受けたと思われる」 としてPさんの業務上災害を認めました。

 解雇の傷は復職後も容易に癒えませんでした。学校の非正規職調理師であるSさんは2007年1月、正規職調理師が同じ学校に発令されると解雇されます。4カ月後の同年5月、地方労働委員会の不当解雇判定でSさんは学校に戻ったが、急性ストレス反応などで精神科に通うようになりました。光州高裁は2011年 「突然解雇されたのであり、復職するまで相当なストレスを受けたものと見られる」 と判断しました。

 日常的に雇用不安を経験している非正規職は特にストレスに脆弱でした。派遣労働者のSさんは2003年ある工場に派遣されてコンピュータ管理業務などを担当したが、派遣業者と工場との契約が終結して2006年5月から失職の危機を迎えます。2003年から2006年の間、1年または3カ月単位で契約を結んでいたSさんは 「アルバイトでやれと言うが、ずっとそんなふうに勤めていられるか」 と憤慨して酒をたくさん飲みました。
 ソウル行政裁判所は2011年、Sさんの自殺を業務上災害と認めて 「雇用不安による心理的圧迫感など深刻なストレスを受けたものと見られる」 と明らかにしました。

 ■ 「劣悪な環境」 も精神疾患の危険要素
 劣悪な労働環境に露出している特定職業群のストレスも高く現れました。2003年からソウル都市鉄道 (地下鉄5~8号線) で機関士9人が自殺で死亡した事実が知られ、地下鉄機関士の劣悪な労働環境を指摘する声が大きくなったのが代表的事例です。
 ソウル都市鉄道5号線を運行していたYさんは2013年3月、自殺します。5号線はすべての区間が地下で粉じん濃度が高いのに換気が難しく、当時の9組5交代という勤務形態も一般人の生活パターンとは非常に異なるものでした。裁判所は 「劣悪な勤務環境は医学的に見て、精神疾患の発病または悪化に一部危険要素として作用し得る」 と判断しました。
 ソウルメトロの機関士であるKさんも2007年にパニック障害診断を受けました。ソウル行政裁判所は2009年にKさんの業務上災害を認めて 「機関士として高速運行に対する不安感、正確な時間に出発と下車を繰り返さなければならないところから来る緊張感、運行遅延による経緯書提出と乗客抗議などで持続的な精神的・心理的ストレスを受けてきたものと見られる」 と明らかにしました。
 特にKさんの判決文は、一般的な地下鉄機関士の精神健康問題を指摘しています。裁判部は 「研究結果によれば、事故を経験した機関士の外傷後ストレス障害とパニック障害発病率が、そうではない機関士よりずっと高く、同一業務をする地下鉄機関士の相当数がパニック障害を訴えている」 と明らかにしました。機関士だけでなく最近は感情労働者の精神的健康も社会的問題になっているだけに、ストレスに露出させられやすい業務環境を改善する事は労働者の精神疾患予防のために必須であるという指摘が出ています。

 クォン・ドンヒ労務士は 「職務ストレス検診制度などを取り入れて労働者が何のために苦しんでいるのか察してこそ、自殺や精神疾患などを予防することができる。事業主と政府が労働者の精神健康を保護できるような対策も具体的に反映させて法を作るべきだ」 と指摘します。


 7月10日付の記事は韓国・保健福祉部の 『2017年自殺予防白書』 について触れています。
 2015年の自殺者は1万3513人 (統計庁集計) で、死亡原因全体の5位を占めます。自殺者の中に就業者と非就業者が占める比重は、学生 (生徒) ・家事・無職が57.6% (7784人)、就業者は42.4% (5729人) です。2011年の統計で自殺者中非就業者の割合が61% (9706人)、就業者割合が39% (6200人) だったことから見れば、極端な選択をした人々のうち就業者が占める割合が増えている傾向にあると言えます。
 就業者がこのような選択をした原因を把握できるような統計はありません。ただし 「自殺の動機」 が記録された警察庁統計数値によれば、2015年の死亡者1万3436人中559人 (4.2%) の動機が 「職場や業務上の問題のため」 となっている。2012年には577人、2013年には561人、2014年には552人と記録されています。「職場及び業務」 から生じるストレスが年に500人ほどの犠牲者を出していることになります。自殺にまで至らなくても 「職場及び業務」 による精神疾患被害者の規模も相当なものと思われますが、これも正確な統計はありません。

   「海外のメンタルヘルスケア 韓国」
   「活動報告」 2017.7.7
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